偽りのカレンデュラ 



 そうといって、決して罪悪感がなくなるわけではなかった。

 苦しい過去を聞いてしまったこと。

 なのに突き飛ばしてしまったこと。

 なのに気づかわせてしまったこと。

 なのに身の上話をしなかったこと。

 一方通行で散会してしまったこと。

 時間を追うごとに罪悪感は募り、そして罪悪感を払拭するように筆を走らせた。

 あたしのほうからカレンデュラの悪夢に乗りこむために。





昌 範
Section 7
攻 勢コウセイ





 プロでもないのに缶詰になった。

 学校に1日が区切られれば、その都度、必要最小限の寄り道だけにとどめて自宅に帰る。いつもならば、来瞳が遊びにこないかぎり、晩ご飯に滑りこむタイミングでの帰宅だったのに、今では自分の部屋で待機する時間的余裕がある。もちろん、ご飯の点呼がかかるたびにイラッとするけど。

 急ピッチで描かれる、新作短編。

 だからといって、別に公開したいとか、読んでもらいたいとか、そんな願望からの執筆ではない。これまでの2作のような、YLBに多く寄せられるであろうピュアな欲求からは、かけ離れた動機だった。

 今度は、あたしのほうから、悪夢に乗りこむ。攻めの姿勢を悪夢にぶつける。そのための、カレンデュラの私選館に登録するためだけの作品づくり。

 打開策のヒントがほしいわけじゃない。もしもほしければ如璃に情報を乞うていたほうがまだ有意義だろう。あたしが自分の手でつかみたいものは、ヒントではなく、あくまでも“攻め”の姿勢だ。与えられる恐怖ではなく、自分の手で、足で積極的に恐怖へと飛びこむこと。これを達成して、初めて次のステップへと進めるような気がしている。

 ヒント探しの“旅”に、出られる気が。

 月乃さんとの対面をはたした翌日から、あたしは動きだした。

 構想に3日、執筆に3日、手直しに1日……スケジュールを組み、1週間の完成を目標にしてあたしは動きだした。プロでもないのに、あたしは缶詰になった。

 大丈夫。

 あたしはもう、ひとりじゃない。

 携帯電話に新規登録された、月乃さんの電話番号を勇気にして、筆を走らせた。

 目指すは「家族小説」。

 モデルは、パパ。

 なぜパパなのか。

 これまでの悪夢に、まだ1度も登場していないから。

 今さら気づいたのだ。こちらから悪夢に侵攻するための優秀な素材が、あたしには圧倒的に足りないことを。

 ナオは投入ずみ。

 来瞳も投入ずみ。

 ママはもう、悲しんでいる姿を見たから投入は気が引ける。

 おばあちゃんは悪夢にする必要がない。

 月乃さんはさすがに“利用”できない。

 友達は皆無。

 だから、あとはパパしかいない。

 利用できる人材は、パパしか。

 ……ヒドい娘。

 そういえば、大城家の家訓のひとつに、こんなものがある。

『立っている者は親でも使え』

 提案者はママ。主に食事中に発揮され、物心がついたころには、すでに家訓として確立されていたような気がする。

 だからといって、ここは食卓ではない。来瞳と、たまにナオが踏み入るぐらいの、親の侵入を許さない自室。もちろん醤油もなければソースもない。もし必要とあらば自分で立って取りにいくしかない。

 なのにあたしは、無関係なパパを素材にして、利用しようとしている。

 罪悪感の基準が狂っていると、思わないでもない。おばあちゃんの事件で芽生えて以来、きっと、常に対峙しつづけてきたであろう罪悪感が、贖罪を超えた異形の観念へと成長してしまったらしい。あるいは、あの対面の日、物理的にも精神的にも月乃さんに触れすぎてしまったこと、そして、月乃さんの罪悪感を垣間見すぎてしまったことで、第三者に実害のおよばない事柄に対しては、胸が痛まなくなってしまったのかも知れない。

 悪夢を見て苦しむのは、あたしだけだ。パパは苦しまないし、痛まない。だから、パパを利用してもあたしの胸は痛まない。

 ……なんだろう?

 この、パパを責めたい気持ちは?

 パパをイメージして筆を走らせるたび、なんだかパパに八つ当たりしたい気持ちが湧いてくる。パパに対して、ズルいと思う気持ちが育っていく。

 ……なんだろう?

「あたしの苦悩も知らないくせに」という腹立たしさとは、趣旨が異なる。だって、それならばナオや来瞳にも思っていていいはず。だけど彼らには腹が立たない。

 この、胸の谷間に燻る微熱は、いったいなんなんだろう。

 謎の種火に悶々としながらも、6日目を迎えたころにはすでに、ほとんどの骨格を組みあげていた。

 もちろん、みるみるうちに拡がっていく新作の箱庭はあまりにもカオスで、偶然にいただくかも知れないレビューを思うと、身の毛も弥立つ思いだった。だけど、公開してもいないのに【私選館】に登録したのならば、それはそれで、意味不明だと誹謗される懸念もあった。

 とても公開できたものではない。でも、公開しないで登録するのも憚られる。

 葛藤と闘いながら、あたしはこの作品に「野ケモノ」と名づけた。

 娘によって無下にあつかわれる父親が、実は密かに娘の毎日を支配していた……という内容になった。ホラーテイストの長編小説だったらまだ自己満足にも走れそうな内容。そして、予定の1日も早く、駄作の新作は完成を見た。


2010/06/26 [土] 19:48
東京都品川区西五反田
大城舞彩の部屋


 湿気に弱いナオは、今日も、くしゃみのしすぎで死にそうになっていた。夕方には腹筋が痙攣、撫でてほしそうな顔をした。撫でてあげようと思った。撫でられそうな気も、わずかにはあった。月乃さんの肩を取ったオープンカフェの記憶が、危うく、暴挙をうながすところだった。触れられることをあたり前だと思われるのが怖くて、かろうじて右手を思いとどまらせた。

 今日も触れられなかった。

 触れられないことがあたり前にならない毎日が、しんどい。慣れた儀式のように、触れられなかった、触れられなかった……天井を仰ぐ毎日が狂おしい。

 焦燥から脱するための執筆でもあった。現実逃避という意味もあるし、悪夢の謎を明かすことで、恐怖症を克服できるような気もしていた。

 だって、あたしの体温恐怖症は“死”が前提なのだから。

“物の死”と“者の死”が。

 つまり“あたしの死”が。

 あたしの“精神の死”が。

 念のための推敲をざっとかけて、まずは非公開のままパソコンを落とした。そして今度は携帯電話を開く。

 美園ママの部屋で受信した、如璃からのメール、あの文字化けの解読方法が昨日になって判明したような気がしたから。

『キュウリ夫人ってなにした人?』

 いつもどおり、なんの前兆もない来瞳の質問がきっかけだった。

『キュリー夫人でしょ?』

『なにした人?』

『放射線の研究をした人だったかな。物理学者とか化学者なんだよね。ノーベル賞も2回、獲得してて。確か放射能って言葉も発案したんだよ』

『じゃあ、ナイチンゲールは?』

『フローレンス・ナイチンゲール?』

『有名なほうのナイチンゲール』

『看護師・統計学者・看護教育学者』

『じゃあ、ガンジーは?』

『マハトマ・ガンジー?』

『有名なほうのガンジー』

『弁護士・宗教家・政治指導者』

『じゃあ、モールスは?』

『あ?』

『モールス』

『モールス信号をつくった人?』

『それ。で、モールス信号って誰?』

『モールスって人が発明したのがモールス信号。確か画家でもあるんだっけ』

『画家? モールス信号? 仰有っている意味がわからないんですけど』

『こっちの台詞』

 知っているくせに尋ねるヒマ人の親友に嘆息しながらも、この時のあたしの頭には「暗号」の2文字が踊っていた。

 そしてその晩、メールボックスから例の文章を呼び起こしていた。

 最初に化けた文字たち。

 その中でも、サンプルにするのに持ってこいの2つの文章を睨んだ。

『だ21らもう少し調べてみる』
『トトっち、気をつ24て』

 文章の流れから前者の「21」に該当する文字は「か」だとわかる。後者の「24」は「け」だとわかる。間違いないと思う。

「か」になるための「21」。
「け」になるための「24」。

 どちらもカ行。

 どちらも20番台。

 ということは?

 推理を進める。

 カ行は、五十音順の2番目。

「か」の母音は「ア」。
「け」の母音は「エ」。

「ア」は、上から数えて1番目。
「エ」は、上から数えて4番目。

 ということは?

 なんだかわかりかけてきた。

 とはいえ、コレがわからない。

『実在する気配がない03だよ』

「0」ってなに?

 五十音順で、0番台?

 ア行よりも前があるの?

 その時は「0」の謎がわからなかった。やむなく、恐る恐るベッドに横たわるしかなかった。

 悪夢に落ちる直前になって、ふと閃いたことがあった。陽炎のようになった意識の時ほど、鋭い閃きに輝くことがある。でも閃きを満たすことが叶わないまま、人間の3大欲求のひとつ、睡眠欲に大敗、来瞳の悪夢を見た。

 今、携帯電話を開いて、遅ればせながら閃きの成就に取りかかる。

 そう、これは、携帯電話だ。

 携帯電話の“テンキー”だ。

「か」と入力するためには「2」を1回、プッシュする必要がある。

「け」と入力するためには「2」を4回、プッシュする必要がある。

 ということは?

「0」を3回で?

『実在する気配がない“ん”だよ』

 そう……「03」は「ん」だ。

「待てよ。待て待て」

 自然と、あたしの十八番である独り言がこぼれる。悪癖にもほどがある……幾度となく来瞳に指摘された独り言が。

「じゃあ、アルファベットは?」

 2通目は、アルファベットも混ざる文章だった。

「やりかたは同じ?」

 メールを睨む。

 例えば、

『テレパ3204(Te53e71at42y)』

 もしも推理が正しいとすれば「3204」で「シー」と読める。

 つまり「テレパシー」。

 じゃあ「53」で?

 携帯電話のメモ帳に「5」を3回だけ、プッシュしてみた。

「L……か」

 じゃあ「71」で?
 じゃあ「42」で?

「Pに、Hか」

 試しにあてはめてみると、

「Telepathy?」

 辞書機能を起こす。利用した験しのない和英辞書。その検索窓に「テレパシー」と打ってみた。すると、

『テレパシー【テレパシー】
 [英]telepathy《精神感応》』

 やっぱり、あたしの推理に間違いはないらしかった。

 カタルシスに胸が賑わう。数学の公式を解くよりも派手な賑わいを抑制しながら、いや、抑えきれないまま、2通目のクロスワードの完成を急いだ。








如璃です


超能力にも
いくつか種類があるんだけど
例えば

・テレパシー(Telepathy)
・予知(Precognition)
・透視(Clairvoyance)
・念動力(Psychokinesis)
・サイコメトリー(Psychometry)
・瞬間移動(Teleportation)
・念写(Thoughtography)
・発火能力(Pyrokinesis)

ちなみに
テレパシー・予知・透視の3つを
まとめて
『超感覚的知覚(ESP)』
と呼ぶ

でね?

恩田病院の話を
前にしたと思うんだけど
岐阜県にある病院
ここに
念動力を持つ女の子が
いたんだって

不治の病で
入院してたとかで

今から
10年以上も前らしいんだけど

でもこの子
どうも
力を上手く操れない子らしくて
暴走することもあったとか

特に
病気の部分が痛み出した途端に暴走して
周囲に被害をもたらしてたみたい

でも病院としての体裁もあるし
なんにもしないわけにもいかないし
しかも
母親が恩田病院の看護士ってのもあって
いちおうの優遇策として
廃病院のほうに隔離されてて

実質
放置状態なんだけどね


その子がそのあと
どうなったかはわからないんだけど
隔離中にその子
ホムペをつくってたんだって

ちょうど
ケータイ小説ってコンテンツが
世に出回り始めた頃で
その子もそこで小説を書いて
日頃の膿を出してたとかで


問題なのは
その子のペンネームなんだけど

『カレンデュラ』

だったんだって


伝えられる範囲でわかったのは
ひとまずここまで

でも
もうちょっと調べてみるね


その子の名前なんだけど

『カナエ』

とかいうらしい(これはまだ自信ない)


トトっち、無事?









 最適だと思われる漢字に変換して試してみれば、こんな感じになるだろうか。

 思っていたほどの難易度じゃなかった。おおむね正解だった。暗号の解読法もそうだけど、美園ママの家で解いた内容もまたおおむね正解。恩田病院という病院に女の子が入院してたこと・隔離されてたこと・ホームページを立てていたこと・ケータイ小説を書いていたこと・そのペンネームがカレンデュラであったこと、それから、

「カナエ……か」

 悪夢の中にあった恩田病院、そこで耳にした悲鳴の主語もまた「カナエ」だった。そして、きわめつきが、謎の崩落。

『念動力を持つ女の子がいた』

「念動力?」

 超能力の冒頭が圧倒的に気にかかる。

 だって、超能力だなんて、

「裏ワザにもほどがあるだろ」

 信じてるわけではないし、信じないわけでもない。あたしにとっての超能力とは、あくまで娯楽の分野だった。バラエティの一環であり、まさに都市伝説。信じるのも信じないのも、まさにアナタ次第の認識。

 信じたってなにができるわけでもない。逆に信じなくたってなにができるわけでもない。どうしたって、あたしにはどうすることもできない。知識もなく経験もなく、超能力なんて持たないあたしなんかには。

 だから、どっちつかずですごしてきた。信も不信もなく、曖昧な傍観者として。

 それが今、ここにきての“超能力”。

「卑怯くせぇ」

 にわかに、信じられない気持ちが湧いてくる。あれだけ曖昧なポジションが普通でいられたのに、いざ当事者となった瞬間にコレだ。卑怯に感じる。

 なに、カナエって女児が念動力の使い手だっての? 超能力者だっての? まさかあの崩落は、超能力の暴走だっての?

 だって、アレ、夢じゃん。

 なんだか、絶望的な気分にさえなった。超能力なんてものを出されては、一般人のあたしには太刀打ちできない。

「あたしは“普通”だ」

 超能力という1点においては、あたしはいたって普通。

「差別するだろ」

“敵”を差別しないなんて、あたしはそこまで善良にはできていない。ちゃんと差別して、軽蔑する。してやる。

「ムカつく」

 キチガイの犯行だったとは。

 積極的な考えと消極的な考えが渦巻き、まとまらなくなり、ついに面倒臭くなったあたしは、非力なため息のスピードで携帯電話を閉じた。推理して損した気分。

 再びパソコンを立ちあげる。

 BOOK管理トップを開いて「野ケモノ」の編集メニューへ向かう。ページの最下部にある「BOOKナビの登録・削除」をクリックして、必要項目を埋めていった。






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 選択し、記入し、確認し、そして登録のボタンをクリックした。なんの躊躇もないスピーディな流れだった。まるで、惰性のような作業だった。つまり、流れ作業。

 この項目を完遂した瞬間をもって作品はYLBの本棚に登録される。不特定多数の目にさらされる、オフィシャルな本棚に。

 駄作のくせに、登録してしまった。流れ作業で、諦めたように。

 それでも罪悪感は微塵もなく、その足であたしは、馴染みのサイトを訪れていた。常連客になどなるつもりもないのに。

 開きなおった掌で暖簾をくぐり抜ける。寄り道することなく「家族小説」の個室を選択。常連客名簿を確認することなく登録ページを開いた。そしてやっぱり、躊躇うことなく記帳をすませる。通算で3度目となる記帳。皮肉なほどにスムーズだった。

 6日でできた新作「野ケモノ」が、呆気ないモビリティで登録された。罪悪感などあるはずもなかった。

 本登録までに時間を擁するので、確認はあとまわしにして、ひとまずトップページへと戻る。そして「本音小説」を覗いた。そういえばここにはきたことがなかった。








 本音小説



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好きな彼のメアド
聞く方法教えて!



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 登録作品、なし。

 それはそうだろう。意味がわからない。

『本音小説』

 そんなカテゴリ、どの書店を、ネットを探したって見つかるわけがない。つまり、サンプルもないのに登録のしようがない。

“本音”をどうすればいい?

 ノンフィクションとはなにが違う?

 登録のしようがない。本音をどうすればいいのか、その説明もされていないのに、ユーザが「本音小説」の主旨を任意に理解するなんて無理な話なんだ。

 管理人の怠慢といわざるをえない。

 なんの努力もせずに思いどおりにいくと思ったら大間違いだ。ざまぁみろって話。

「やっぱり超能力者は普通じゃない」

 社会性のないクズの異常者。

 爽快な足取りで、今度は「自伝小説」を覗いてみる。

 直後、

「……え?」

 爽快さが霧散した。








 自伝小説



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1. なにもない私

なにもない私です。なんの事件もないし、なんの障害もないし、なんのドラマもない私です。でも、探してみたらありました。私には“私”がありました。

[月乃] 2010/06/25 23:41

2. ありがとう

親友のみんな

[YUKI] 2009/12/11 20:21

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待ってくれ、時間
進路選び大丈夫!?



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 電話番号を交換しておよそ1週間。でもまだ、あのミルキーなフルートを堪能する機会を持てていない。最後の切札のように携帯電話へと隠したまま、掘り起こす手段さえも逸している。最後と呼ぶに相応しい毎日を送っているくせに。

 あの日のウサギが脳裡をよぎる。丁寧に隠したつもりが、そうじゃない、どうして隠すんだと訴えていた、罪悪感のウサギ。

「ダメだよ」

 あたしが電話をしなかったから、こんなことをしちゃったのかな。こんな、残酷で馬鹿げたことを。

「それは、しちゃダメだよ」

 せめて電話していればと、瞬時に後悔が湧きあがった。

 月乃さん。

 どうして?

 どうして“自分の死”を?

 日付は昨日だった。昨日の今ごろには、登録の準備が整っていたことになる。自分自身の、死に際を垣間見るための準備が。

 対面の日、月乃さんの絞りだした言葉が次々に蘇る。

『たとえ恋だとしても、それでもいいと、私は胸を張れるんです』

『この世のすべてが美しいというのなら、私はそのすべてを息子と比べるでしょう』

『悲惨だったって思わないと、心が、落ちつかなくて』

『生きていこうとも死にたいとも思えない宙ぶらりんな状態』

 ああ……月乃さんは、ずっと、ずっと、絶え間なく、絶え間なく、今も、ずっと、絶え間なく、苦しんでいたんだ。どんなにあたしには明るくふる舞ったって、笑顔とフルートの奥に狂おしい苦しみをずっと、ずっと隠していたんだ。闘っていたんだ。

 回復なんて、できるわけないんだ。立ちなおるなんて、できるわけないんだ。

 そんなの、あたり前じゃないか。

 泣いてすっきりするなんて、そんなの、絶対にありえないドラマなんだ。

 でも、だからって、

「ダメだよ、月乃さん」

 それは、切札じゃないよ。

 前向きには、なれないよ。

 だって、早死にだったら救われるの?

 だって、長生きだったら報われるの?

 納得できるの?

 ただでさえ息子さんは、もう、生きてはいないのに。生きていないという事実が、すでに発動されてるのに。

 電話帳を起こす。タ行。登録されてある名前は、月乃さんだけ。

 ヒビだらけのシャンパングラスが脳内を占める。精一杯の大人を装いながら、その実、頬を撫でる風にさえも簡単に砕かれてしまいそうな、儚いグラス。

 月乃さんは、もうこれ以上、苦しんではいけない。これ以上の苦しみは、月乃さん自身の“死”にリンクするように思える。それは、決して精神論の“死”ではない。身体的な、物理的な、時期尚早な“死”。

 恐らく、自分の死期は昨晩のうちに見ているはず。いつ死ぬのか、どう死ぬのか、具体的にはわからなくとも、星の数ほどのヒントは、もう手に入れているはず。

 今ごろ、絶望しているのかも知れない。息子さんを喪ったのと同じか、あるいは、それ以上の絶望を。

 それとも、悟ってる?

 いずれにしても、幸福な状態にはなく、放っておけばもっと悲しい状態に移行してしまうような予感がする。まさかであってほしいとは思うけど、あたしの脳裡を支配しているのはまぎれもなく“生”を捨てた月乃さんでしか……砕け散った月乃さんでしかなかった。

 もしかして、自殺、してたりして。

 発信のページにまで進む。そして、あと1クリックで電波を飛ばせる段にきて……しかし、あたしは躊躇した。

 だって、なんて声をかければいい?

「悪夢、どうでした?」だなんて、傷口を広げるだけのような気がする。もちろん、批判も非難もできるわけがない。そもそも慰めなんてかけられないし。今の月乃さんには、慰めの言葉は無意味に思えた。元気づけられるどころか、むしろ、やっぱり、傷つけるだけのように思えた。

 傷つけたくはなかった。そして、あたしには傷つけないでいられる術がなかった。そんな知恵は、これっぽっちもなかった。

 クリアキーで戻ってきてしまった。

「自分のことで手一杯」という呪文を唱えながら部屋をあとにし、トイレをすませ、歯を磨いた。たっぷりと水を飲み、自室に舞い戻り、軽くストレッチ、そして呼吸を整えながらベッドに滑りこんだ。

 過酷な試煉に挑むようないつもの緊張はなかった。無力さからくる虚無感が毛布に深々と肉体を沈ませ、心の襞がかろうじて月乃さんという1本の藁につかまっているような、そんな就寝だった。

 ひとりじゃない……という、藁。










 それから──、



 sitEN-OKiyaku



 いつもの基地局。エレベータ前にたどりついた時には呆気なく忘れてしまっている【死線館】のトップページ。

 相変わらずのふわふわとした意識だが、今夜はちょっとだけ違った。他のページに探りを入れることもなく、すんなりと「EN‐OK」をクリックしていた。

 さしもの死線館といえども、この、胸に巣喰う絶望までは制禦できなかったのかも知れない。月乃さんの選択に感化された、この虚しげな絶望感までは。

「自伝小説」に登録をすれば自分の死期が見られる……考えてみればそういうこと。単純なカラクリ。ちょっと考えればわかるはずなのに、でも、あたしにはそれをする勇気がなかったんだ。アイディアとしてはわかっていながらも、実行に移す勇気が。

 自分の死を見るのは、さすがに怖い。

 第三者の死でさえも胸を狂わせるのに、そのせいで恐怖症をも発症しているのに、その礎である“自分”を犠牲にすることはできない。自分で自分の首を絞めることはできない。

 でも、月乃さんはそうした。安らぎなど得られるはずもない、転げ落ちるばかりの道を、月乃さんは選択した。

 そうしてしまう悪夢なのだと、初めて、思い知ったような気がする。そして、そうしてしまうのが人という生き物なのだと、学んでしまったような気がする。

 あたしも、いつか、そこまで自分を追いつめてしまうんだろうか。あたしの中に、そんな人間性があるんだろうか。そのうち自分の死を悟ろうとするんだろうか。その時、捨ててしまわないだろうか。

“生”を。

 最悪の展開しか思い浮かばない。希望のない大地へと向かっているような気がしてならない。絶望しか、胸を満たさない。

 絶望してる。なにも考えたくない頭が、トップページを抜けたあともスクロールを早め、純白の「行く」を輝かせる。

 そして瞬く間もなくクリックしていた。

 こんな惰性、初めてのこと。








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Nanase Nio




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