偽りのカレンデュラ 



 客観のひとつでも係っていれば勇気ともなるが、盲目に尽きてしまえば自棄やけでしかなくなる。たとえ結果は同じでも、経緯の是非を巡って成長が試されるのならば、自然、前者に軍配があがるというものか。

 3日前に届いた月乃つきのさんからのレスは、間違いなくあたしに、これまでになかった客観性をもたらしてくれた。凝らす目を、もたらしてくれた。

 そう。あたしのコレは、勇気だ。





昌 範
Section 1
蛮 勇バンユウ





お お お お お お お お お 



 エレベーターは高くあがる。いまだ階数の知れない上の階とやらを目指し、あまり滑らかとは言えない挙動であがる。

 わずか5〜10mの高さではないとわかるが、なにせ施設の外観を見たことがないので規模をイメージしづらい。向かう1階が本当に地上階ならばまだいいけど、実は地下にある1階・・・・・・・だとすればとたんに気持ちが滅入ってしまう。してこの世に実在しない場所だとすれば萎えてしまうというもの。可能性は無限大ながら、きっと最後の仮説が正解。だから、客観性に規模を導入するのはすっかり諦めている。

 急いた思いを胸に秘め、最奥の壁に寄りかかったまま、いつものように、あたしは少女と対峙たいじしている。

 実在しない少女、カレンデュラと。

 彼女の成分・・についてももう諦めた。いまだに如璃じょりからの新規調査報告は届いていないが、初回分だけで充分だった。

『実在する気配がない』

 それだけでもう充分。如実。

 完全に呪いの類いだと認識してる。そう思えばかえって気楽だ。だって、あたしには呪われるに相応しい理由がある。

 人を、ひとり、殺してる。

 そして、テメェで殺しておいて、暢気のんきに葬儀に出席し、生前葬を錯覚する始末。

 そんな、自覚なき残虐な性根の持ち主を、見るに見兼ねてあらわれた喪服の少女。

『舞彩さんもすぐいくわ』

 つまり、これらの経過はすべて、あたしに懺悔ざんげさせる演出なんだ。カレンデュラとは、すなわち、死刑確定囚のもとに派遣される教誨師きょうかいしのようなもの。あるいは、改悛かいしゅんさせるための天界の使者か。きっと彼女は、その外見とは裏腹に、広い心の賢者なんだ。

 ……ふざけんな。

 人を裁けるのは実在する人だけだ。


2010/06/18[Fri]??:??
悪夢 - エレベーター内


「誰なんだおまえ」

 囁き声で尋ねてみるものの、相変わらず期待し得るほどの反応は微塵もない。

「岐阜県」

 いつもの上から目線が小癪に障るので、それっぽいキーワードを投げかけてみる。逆上されては困るけど、ほんのわずかでも反応があればこっちのものだと思える。

「か、かみ、かみ」

 神榁──読み方がまったくわからない。出鼻を挫かれた落胆が胸裏を占める。

「お、恩田おんだ、病院」

 でも、カレンデュラはぴくりともしない。出入口をふさいだまま、腕を左に伸ばした仁王立ちで、いつもどおり、あたしよりも上手に心を閉ざしている。

 間もなく1階に着く。

 大切な人たちの死に、立ち会う。

 実際には立ち会わないんだけど。

 ていうか立ち会えないんだけど。

 ……立ち会わせてくれている?

 あたしのほうが先に死ぬから?

 要らないよ、そんな優しさなんて。

 それに、みんな早死にするとでも?

 もしもカレンデュラが心の広い賢者だとすれば、私選館しせんかんに関わる人の誰もが一定の早さで死ななくてはならなくなる。あたしひとりの問題ではなくなり、早死にとなる理由──裁きを受ける理由もまた千差万別となる。

 みんな、友達より、恋人より、親よりも早く死ななければならない?

 そんな道理はない。

「そんな賢者はいない」

 つぶやいた直後、少女の背後、盲目的にスクロールしていた出入口の向こうの壁が、速度を落としはじめた。

 1階に到着する。

 あたしは脇をしめ、肩をすくませ、耳の穴に人さし指を詰めた。あの金属音も、まだ慣れない。



お お お お お ぅ ん ん ん 



 胃の内容物が込みあげそうな不快な遠心力を下腹に感じる。これまでの人生でさんざん乗ってきた普段のエレベーターと、まったく変わらない遠心力なのに。

 そして、あたしを格納した鋼鉄は完全に動きを静止させ、



ぎ ゃ ら ぎ ゃ ら ぎ ゃ ら ッ 
ぅ わ し ゃ ん ッ 



 鉄柵が出入口の上部に吸い寄せられた。

 赤褐色を帯びた薄暗い部屋が目の前に姿をあらわす。右端には、いぶされた鉄扉てっぴの朧気な姿も。

 ナオの眠る病室への扉。そして、ここからでは見えないが、あの左隣には来瞳くるめの眠る仏間への扉もある。

 いずれにも、大城舞彩おおしろまいという人間は反映されていない。彼の恋人なのに、彼女の親友なのに、ママでさえも登場しているのに、肝心のあたしが登場しない。

 行きたくない。

 でも、あのどちらかをくぐらなければ、もとの世界に戻れない。

 行くしかない。

 カレンデュラの掌の上で踊らされていることがすごく悔しい。企画されたとおりに誘導されているのがたまらなくムカつく。

 この少女もカレンデュラの駒だろうか?

 プログラミングされた挙動で、向かって右へと座標を移すマネキン。もしもタグでプログラムしているのだとすれば、もっとサイト巡りをしたほうがよい。

 鼓動を隠すように両腕を組み、上半身をわずかに左側へと傾けた姿勢で、あたしは出入口を目指す。

 ちらと少女を見やる。髪の毛だらけの頭部。相変わらず表情は知れない。

「ごくろう」

 労いながら出入口を出ると、またすぐに耳をふさいでリスクマネジメント。



ぎ ゃ ら ぎ ゃ ら ぎ ゃ ら ッ 
ご し ゃ ッ 



 耳をふさいでいてもつんざいているとわかる轟音。確かな振動もまた踵をくすぐる。

 重厚な音を立てて退散するエレベーター。なんてシュールなんだろう。意図不明瞭なくせにエレベーターとしての機能を果たしているだなんて、シュールすぎる。

 も し ょ

 病室と仏間とを併せ持つ、謎の粒子が撒布さっぷされた謎の施設の謎のエントランス。



ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん 



 エレベーターの動力なのだろうか、モーターみたいな重低音が踵の皮膚に聞こえる。

 シュールすぎる。

 あたしは今、至って冷静だ。こうして情景描写できる頭がある。怯え、震え、地声と裏声を駆使して号泣していた初回と比べたら、だいぶクールに成長した。

 冷静な目で、ゆいいつの窓を見た。

 縦1 × 横2mの窓が腰の高さから上へと伸びる。ガラスは欠片も見られず、代わりに木材が打ちつけられてある。窓の外側に、縦横無尽に、大雑把に。





日付  2010/06/15 20:12
差出人 You Love Books
件名  MAILより

■名前:
 月乃

■ホームページのURL
 http://**.****.**.**/*.***y=moonchild

■内容:



月乃です。

会ってもらえるなんて、よかった!

話したいことが星の数ほどあって
だからちゃんと話せるか心配ですけど
ともあれ雨音さんとお会いできること
たのしみにしています。



私の都合といっても
限度というものがあるでしょうし
休日のほうがいいかな、と。

ですので
来週の日曜日はいかがですか?

6月20日の日曜日です。



もしご都合がつかないのであれば
ご一報をください。

私にたいするご遠慮は
どうかなさらないでください。

たぶんしばらくの間は
フリーでいるはずですので。



ご連絡
待ってます。



――――
配信元
Abyss Media Works
東京都渋谷区渋谷x-xx-x

■お問い合わせ
http://xxxxx.xx/xxxxxxxx/xxxxxxxxx





 明後日、いや、たぶんもう明日のこととなった約束。会合場所は西新宿のカフェに決まった。若者の集まる渋谷や恵比寿ではなく、ビジネスマンの御用邸のほうが落ち着いて会話できるだろうと踏み、あたしのほうから新宿をと提案。月乃さんも賛成の意向で、知っているカフェがあるからと、明日の午前10時、新宿駅の西口から徒歩5分のところにあるスバルビルの前で待ちあわせることに。

 会える。

 月乃さんに会える。

 興奮と不安が眉間のあたりでせめぎあっている。どんな服を着て行こうかと考えている。ちゃんと話せるのかと考えている。笑顔をつくれるのかと考えている。失礼のないように立ち回れるのかと考えている。遅刻などできるはずがないと考えている。しっかり寝ておこうと考えている。悪夢を見ることを考慮した上で、高校生としてはあり得ないほど早めに寝ておこうと考えている。

 どんな人なんだろうと考えている。

 初めてナオとデートした時のことを思い出している。緊張でほとんど記憶がない。記憶がないということを思い出している。たぶん、そのデートに匹敵している。だいぶ人生経験が貯まっているだろうから記憶がないことはないだろうと思っている。でも、その日を迎えてみないことにはわからないとも思っている。だってあたし、人見知りだったんだと思っている。

 3日前に届いた月乃さんからの返信は、間違いなく、これまでになかった客観性をあたしにもたらしてくれた。凝らす視力をもたらしてくれた。

 そう。あたしのコレは、勇気だ。

 もしょもしょと腑甲斐ない足音を立て、窓の手前にまで歩み寄る。打ちつけられた板、その隙間から、夕方を思わせる茜色が仄かな光線を落としている。わずかな塵がもやもやと、確かなウェーブを引き立てている。きっと外は晴れていると、これまで思いもしなかった建設的な予測を立てる。

 窓の中央に、右の掌を当てる。ひんやりとした冷たさが甲を突き抜ける。物であるとすぐにわかる。物ならばなされることもないと、即座に覚悟を決める。

 大丈夫。これは物だ。愛着なんかない。カレンデュラの所有物かも知れないけど、相手がカレンデュラならば躊躇する必要もない。大丈夫。大丈夫。大丈夫。

 壊しても、胸は痛まない。

 ぐッと掌に体重をかけてみる。わずかに外側へと凹む感触があった。同時に、頭に浮かんだ単語は「ラッキー」。

「なんだ、イケんじゃん」

 2度、3度と体重をかける。そのたびに手応えが掌へと跳ね返る。たとえ貧弱な腕力であっても、頑張れば壊せる。

「うん!」

 唸りながら体重に腕力をプラスする。めしッという軋む音が聞こえた。しかも、感動的なことに、背中に昆虫がかない。そぞろな気持ちにならない。

 なんて爽快感!

「ぅあん!」

 この際、雄叫びの羞恥心には構っていられない。左手を重ね、48sの体重を乗せながら全力で押す。押す。押す。

「あぁもう!」

 鼻息も荒く、足の裏底で粒子を除ける。自分の土俵を確保する。踏ん張れなければ徒労に終わる。徒労に終わるのでは困る。

 あの灰色の扉なんてくぐらない。

 いつもどおりには終わらせない。

 誰が終わらせるもんか。

 いったん窓から離れる。導線さえも確保しながら2mの距離を置く。そして、小学生の徒競走みたいなスタートの姿勢。固唾かたずを飲む。瞬きを2つ。頭を振って前髪を微調整。ふッと素早い吐息。右利きだから右肩だと再確認し、あたしは、

「しゃッ!」

 窓を目掛けて突進した。

 たぶん、生まれて初めての体当たり。

 何物をも壊さないよう、だから触らないように生きてきた。いては、自分の心を壊さないように努力してきた。負の因子を積まないように下積みをしてきた。たとえどんなに微細な傷であっても、長年を経て蓄積されればいとも容易く壊れてしまうのがガラスというもの。だから蓄積しないように慎重に、丁寧に生きてきた。

 体当たりをするなんてトチ狂った人間のすることだ。あたしの常識ではあり得ないことなんだ。ガラスの心を持つあたしの、独自の常識と照らしあわせたら、絶対に。

 信じがたい暴挙。

 果たして、コレを、勇気と言えるのか。

 客観のひとつでも係っていれば勇気ともなるが、盲目に尽きてしまえば自棄でしかなくなる。たとえ結果は同じでも、経緯の是非を巡って成長が試されるのならば、自然、前者に軍配があがるというもの。

 後者じゃないと信じよう。

 あたしは、極めて冷静だ。

 高さを計算し、50p前でジャンプ。大して運動神経があるわけでもないあたしだけど、冷静なぶん、目測を誤らなかった感触が脚にあった。ならば、あとは上体を左にねじりながら右肩をさし出すだけだ。スピードもあるし、勢いもある。負傷なんて考えない。どうせ夢の中での出来事。

 昭和時代を振り返るテレビ番組に観た浅間山荘事件の、壁を突き破る鉄球を思い出した。そしてなぜだか、日本最長記録の人質事件によってカップ麺が流行ったという蘊蓄うんちくも思い出した。警察同士の差し入れの1コマが不動のジャパニーズカルチャーを生み出すなんて、これだからマスコミは侮れない。

 刹那の滞空時間を支配した無駄な思考。

 ご ば き ッ

 軋んだ音と激しい音が半々に、あたしの右肩に冷たく響いた。間もなく、

「でッ!」

 激痛が、顎に。

 弾かれたらしい。助走と等しいパワーで跳ね返され、わずかに滞空したのち、ロイター板よりも深い位置に顎から墜落。

 即座に飛び起きる。両手で顎を押さえ、背中を丸めて悶絶の徘徊はいかい。あまりの激痛で下の歯茎がワサビになってる。

「ヒ、ぎ……!」

 言葉にならず、うろうろ。

 窓に背中を向けてやおらに停止。全身がわなわなと震え、自然、頭に火が点いた。

……ってぇなぁ!」

 咆哮ほうこうを再び。背中を丸めたまま上半身を振り返り、ぎろりと窓を睨む。

 窓の中央、右端、板の1枚がわずかに押し出されていた。とはいえ、目に見えて光線は太り、茜色が熱くなっている。

 釣果はもう目の前だ。

 余分な助走距離を取ることもなく、ノーモーションでダッシュしていた。

 絶妙なタイミングでロイター板を踏んでジャンプ。右肩を入れ、

「りゃあッ!」

 舌を噛むことも恐れずに咆哮の特攻隊、剥がれかけの板へとぶつかった。

 と同時に、

 ば か ッ

「ごぉッ!」

 板が──打ちつけられてあったすべての板が、まるでたった1枚のベニヤ板でできていたかのように、もろともに向こう側へと剥がれた。まさかいっぺんに剥がれるとは夢想だにしておらず、勢いあまったあたしまでもが向こう側へと傾れこむ。ところが下半身までは傾れこまれず、さんに下腹部を強打。破裂したかのような声をあげると、ベランダに干された布団よろしく、窓枠を境にしてあたしは前後に折れた。

「こ、ご、ここ……!」

 顎に続いて下腹部の鈍痛。もはや徘徊することも叶わず、前後に折れたまま絶句の悶絶。激痛が腸を貫いてなぜか尾てい骨に達している。

 およそ8秒後、

「ぎおおお!」

 左のふくらはぎが唐突のコムラ返り。トラバサミにかかったキジのように両腕を広げ、その場でじたばたと無惨な羽撃はばたき。それから、ゆっくりと、小学生よりも不様な前転で窓の向こう側へと着地。額を強打。

 厄日。

「イ、お、ぐおぉ!」

 額を押さえ、顎を押さえ、腹を押さえ、尾てい骨を経てふくらはぎに到着。左脚を天空に伸ばして奇蹟の悶絶。もはや余命もわずかなキジのじたばた。

「痛い、痛い、痛い、イい、痛い!」

 ボキャブラリーの貧困さを恥じることなく素直な気持ちを連呼。届きそうで届かない足先にやっとの思いでしがみつくと、天に胡座あぐらをかいて五指を反らす。最初から膝を曲げていれば容易く届くのに、人間とは、痛みを手もとに置いておきたくない生き物だったらしい。

「い、ヒ、ほぉぉ」

 急速にふくらはぎが回復し、安堵の息。痛みが引くまでストレッチを継続。お腹の痛みなどすっかり相剋そうこくされていた。

 情けないポーズで仰向けになっている。ナオが見たらきっと幻滅するはず。口角に微笑みを湛えながらも、呆れた流し目を投げて寄越すに決まってる。

 なんであたしがこんな目に。

 悪夢さえ見なければ、あたしは普通に、呆れられないよう枕もとに決意して眠っていられたのに。女らしくいようって、恋人らしくいようって、心していられたのに。

 まさか体当たりの暴挙に出るばかりか、全身を強打してコムラ返りを起こすことさえもなかった。絶対になかった。

 あってたまるかバカヤロウ。

 しんどくて、情けなくて、腹が立って、ふた筋の涙が後頭部を目指した。

 ここにある痛みも、苦しみも、すべてが現実じゃないか。夢のくせにどうしようもなく痛くて、苦しいじゃないか。だったらあたしは、本当に、病室や仏間に連想される未来を迎えているとでもいうのか。

 どこで?

 どうやって?

 どうなって?

 どうして?

「ちゃんと見せろ!」

 遠回しに見せてんじゃねぇよ。どこで、どうやって、どうなって、どうしてなのか、ストレートに見せやがれ。

「ふざけ、んな……!」

 もう、ふた筋どころじゃない。

 たとえ普通ではないと揶揄やゆされようが、あたしにとっては普通でしかない人生だ。

 普通・・

 自分より苦しんでいる人間が星の数ほどいるにせよ、だったらその人の人生は特殊なのかと言えば、本人に尋ねてみないことには断定できるわけがない。そして、尋ねられた彼らは往々にしてこう答えるはず──「普通ですよ?」と。もっと言えば、苦しんでいる人間を掴まえて「あなたの人生は普通ですか?」と尋ねられる人間もいないはず。道徳的に、倫理的に、質問を躊躇うはず。

 普通か否かは問われない。普通じゃない人生なんて、有って無いようなものなんだ。

 あたしの人生も普通だ。普通としか言いようがないんだ。よく物を隠す少女時代を送っていようが、体温に怯えるような少女時代を送っていようが、おばあちゃんを殺してしまおうが。

 どんな重荷を、圧力を、贖罪しょくざいを背負ったところで、この建前社会で生活できているかぎりは、みんなに平等の普通・・が支給されている。

 だからしんどい。

 平等って危うい。

 差別を受けたい。

 もしも普通じゃないと酷評されていたら、どれだけ気楽だっただろう。罵倒され、愚弄ぐろうされ、人殺しのレッテルを貼られていたほうがあたしは気楽だった。

 どうしてみんなして普通に扱って、優しくして、甘やかすの?

「おばあちゃん」

 だってあたしは、

「おばあちゃん……!」

 取り返しのつかないことをした。

 これはきっと、カレンデュラの付与した罰なんだ。初めてあたしの人生を普通だと見做さなかった、正しいジャッジなんだ。

 あたしには罰を受ける義務がある。

 あたしが悪いんだ。

 あたしが悪いんだ。

 あたしが悪いんだ。

 しかと自分に言い聞かせながら上半身を起こした。痛みは引いたが、ふくらはぎはいまだに熱く、重い。

 涙を拭う。

 視線を右手の地面に落とす。

 さっきまで窓を遮蔽しゃへいしていた物が、1畳ほどのいかだとなって伏せている。

 ジャッジメントが錯覚だったとしても、裁きに相応しい苦痛を受けていることには変わりがない。どんなに誰かの援助を期待したところで、この世界で希望は叶わず、それでもやっぱり援助を待ちわびてしまうあたしは、さながら、流刑に処されて2度と故郷には帰れない、酌量からも見放された孤独な囚人。

 ぐにゃりと捩れた筏。

 もう使い物にならない。

 もうもとには戻らない。

 もうもとには戻れない。

 あのエレベーターと一緒で、一方通行。

 一方通行……か。

 なにかが引っかかった。これまでにも幾度となく引っかかってきたこと。

 この世界に来る直前、もうひとつだけ、あたしは一方通行の状態を体験している。進んだはいいが引き返せなくなる葛藤に陥る、不可思議な環境を体験している。

 なんだっけ?

 どこだっけ?

 頻繁ひんぱんに体験している感覚がある。眠ったあと、エレベーターの前で目を醒ますまでの間に、頻繁に。現実世界での話じゃない。もしもそうだったら記憶しているはず。

 記憶にはない。でも体験してる。

 あたしは、なにかを体験してる。

 なんだっけ?

 どこだっけ?

 ……まぁいいや。

 後頭部を掻く。考えるのが面倒になり、ここでようやく、筏よりも向こう側へと視線をやった。

 あたしは、長い廊下にいた。





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Nanase Nio




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