春の夜の雨の中で

それは夕方のことだった。
「ねえシェゾ、誕生日おめでとう!」
突然の轟音に、思わず耳を塞ぐ。
「……俺がお前なら相手の誕生日にわざわざ家のドア壊してまで入ろうとは思わんがな」
家の入り口付近には焼け焦げてへし曲がったドアが内側に崩れるようにして落ちていた。
「あれ? 壊れてた?」
「見ろ、修理代出せよ?」
「じゃあ明日の勝負でパーにしてもらおうかな」
「ほお、明日も勝てるとでも思っているのか。明日は勿論俺が勝つ。修理代もお前も頂く」
「君こそ明日は勝てるだなんて思わないでよ、ヘンタイ。まあ、それはそうとして……」
よくねーよ、そのツッコミは無視された。
「はい、誕生日プレゼントの魔導書。それと、後でカレー作るから」
「……礼を言う」
渡されたのは、少し前から俺が目をつけていた魔導書だった。近所で売っていたし、まあこんな内容だ、買うような物好き魔導師もいないだろうと思ってそのうち、と思っていたら売れていた。この前立ち読みをした時に気配が感じられたから、その時に買ったのだろう。全く、案外見られているものだな、と手の中の品を見る。口元が緩む自分が許せない。
昼になってもアルルが来ないので、また何かあったのかと思ったがそんなことは無かったらしい。別に心配していた訳ではない。「いつもの」が無かったから少し戸惑っただけだ。動揺なんぞしていない。まさか夕方くるとは思わなかったが。
「シェゾ、この鍋使うからね。それと、そこの人参とって」
「それくらい自分で取れよ」
「目が離せないの。鍋の様子はきちんと見ておかなきゃ」
全く、いつもなら視線が宙に舞っているというのに、よく言う。まあ、今日は張り切っているんだろう、そういうことにした。
「ほらよ」
「ありがとう、シェゾ」
わざわざ名前を呼ばなくてもいいだろう。きまりが悪い。
しかし笑ってしまう。闇の魔導師であるこの俺が、人々から恐れられるはずの俺が、こんな少女に祝われるなど。いくら、いくら魔導力を持っている少女とはいえ、ただの魔導師ならとうの昔に、あの遺跡で殺していただろうに。力を奪っていただろうに。更にはその少女に負け、あらぬ言い間違えの揚げ足を取られ、不名誉極まりない名前で呼ばれ、家を破壊され、このように共に食事をするなど、あの時の自分に想像できただろうか。いや、無理だろう。そんなことをこいつはいとも簡単にやってのけたのだ。驚きを超えて呆れる。
「まーた険しい顔してるよ、何考えてんのさ。もっと幸せそうな顔してよ、こっちが不安になるじゃないか」
「お前、目が離せないんじゃなかったのかよ」
「あ」
墓穴掘ったな、こいつ。第一俺が幸せそうな顔をするなんてありえないだろうが。自分で想像して吐き気がするんだ、お前から見たら気持ち悪いじゃすまんだろう。
「もー、理屈っぽいなあ。結構時間かかるからさ、先お風呂入ってきちゃえば」
「お前の家みたいなノリで言ってるけどな、ここは俺の家だからな。あと、先ってなんだ、お前泊まる気なのか」
「カレーの前に入ってきたらって意味だよ! 泊まらないよ、このヘンタイ!」
「な、そんな想像したお前がヘンタイだ!」
「ボクは、先入って来ればって言っただけで泊まるっていう考えがヘンタイだって言ってるのさ! 早く入ってきなよ!」
「ぐ……」
完璧に論破され何も言えない。なんて情けない。

「全くシェゾったら、ほーんとヘンタイだよね! 全然変わらないんだから!」
静まり返った部屋で言う。カレーはもう少しでできそうだ。
「全く、ボク達の関係も、全然変わらないしね……」
さっきより小さな声で呟く。でも別に泣きそうになって言ったわけじゃなくて、ちょっと残念だなっていう気分でさ。シェゾの中じゃ、まだ「獲物」だとしか思われてないんだろうなって。ボクからしたら「友達」でさ、もしかしたらそれ以上なのかもしれない。だけどね、肝心のシェゾがさ「友達」とでさえ思ってくれないならそれこそ意味がないんだよね。こんなことをさ、少し前から考えていたんだ。
シェゾの態度は矛盾だらけ。口では「獲物」とか「器」とか言っておきながら、今もこうやって友達以上の付き合いをしてくれる。少なくてもボクの中では。自惚れてもいいなら、シェゾの言動にはボクへの好意が多少なりとも感じられるよ。たださ、何か壁みたいなものを感じるんだ。だってこんなに友達ぽいことしてるのにさ、まだシェゾは「獲物」っていう関係を主張している。それは彼のポリシーなのか、その他理由があるのかはわからないけど、変なこだわりがある。それこそヘンタイ的な。ごめん冗談、って誰に謝ってるんだろ。
「シューーー」
「あ、やっば! 焦げちゃう!」
考え事をしながら料理っていいことないなあ。急いでコンロの火を消す。なんか唐突に終わったけど、とりあえず完成。
「よし!」
これであとはヘンタイを待つだけ! ご飯の用意もできた!

シェゾが戻ってきたのは五分後だった。
「シェゾ、カレーできたよ。早く一緒に食べよう」
「ああ」
「「いただきます」」
じっとシェゾの顔を見つめる。美味しくできてるだろうけど。
「なんだ、人の顔ジロジロ見て。食べにくいだろうが」
「いやー、君の顔はいつ見ても綺麗だよね」
適当にごまかす。余計恥ずかしいこと言ってるって? カレーの出来を気にしてるってばれた方がボクにとっては大打撃だよ。
「……たく」
シェゾがカレーを口に運ぶ。表情は……変わらない。つまらないなあ。でも目を細めた気がしたから良かったのかな。
「辛口で作ったんだな」
「うん。そうだよ」
ホントはボクは中辛の方が好きなんだけどね。それは言わなかった。言ったら、負けだよ。わざわざ辛口にした、って言っているようなものじゃないか!
「……美味いな」
「ありがとう、シェゾ」
ああ、察されちゃったか。さすがシェゾ、なんて照れ隠しで思う。本人は気がついてないだろうけど。耳が真っ赤です、シェゾ・ウィグィィさん。ボクまで赤くなりそうだよ。そこで本当に赤くなってうつむいてれば良かったんだけど。
そのタイミングで、何故だろう、窓を見てしまったんだ。空は暗い灰色で、雨が降っていた。しとしとと音が聞こえる。今日は月が見えない。
「……」
胸の奥が痛くなる。なんで痛いのかも良く分からないけれど、一人でああ呟いた時と同じ気持ちになった。それでなんだか急に、シェゾの瞳を見れなくなった。
「……どうした、何故急に黙るんだ?」
「今日は月が見れないね」
「まあ、当たり前だろう。この雨では見れんし、第一今日は新月の五日前だ、まだ月は昇っていない」
「黙った理由はないよ」
「そうか」
嘘をついた。言いたいことはあるんだけれど言うべきか言わないべきか迷ってる。言ったら、シェゾは怒るかな、睨むかな、困るかな。どれでもやだな。だけど多分これは、今日言わなきゃずっと先まで言えない気がするんだ。
カレーの皿を片付ける。何と無くだけど。シェゾはもう三杯目を食べ始めるところだった。
「珍しいな、一杯目で止めるなんて」
「まあ、たまにはね」
息を吸い込んで深呼吸をする。
「君ってさ、月に似てるよね。例えるならさ、多分月だよね」
「前にもそんな話しなかったか? まあいいが。確かに太陽の光を反射させて光るところは当たっているかもしれんな。俺は闇の魔導師だからだ」
「ボクは銀色の光的に似てるかなって思うんだけど。まあ、本当に言いたいことはというと、前には言わなかったけれど……」
「ほお?」
「月ってどうやって自転するか知ってる?」
これでどうやって話を繋げるかなんて、何ヶ月前から決まっていたよ。
「……公転周期と同期している」
シェゾはカレーの三杯目を食べ終えた。ボクはそれを流しに持っていく。
「つまり、地球からじゃ永遠に裏側が見えないんだよ」
「ああ、知っている」
「ボクは月の裏側を知らない」
この比喩的表現が、言語欠落人間のシェゾに伝わるのかな。
「ボクは月の裏側を知りたい」
「……」
シェゾは黙り込んでボクの方を見つめていた。恐ろしいくらい無表情で。
「だからボクはどうにかして宇宙飛行士になって、見てやるんだ、月の裏側を」
「出来るものならな」
深い溜息をつきながらシェゾは言った。
「ボクの辞書に不可能なんて言葉はないの」
「俺の辞書にならあるぞ」
「夢が無いんだね」
「お前が話していたのは比喩では無いのか」
びっくりしたよ。こんなに直接的に聞くとは思わなかったから。ちゃんと分かってたんだなって。
「そうだよ」
「お前は、お前は良く知っている方だ。これ以上は知っても意味がない」
「でも、ボクは何も知らないよ」
「俺がこう言ってるんだ、お前は良く知っている方だ。下手したら……」
「……?」
「いや、なんでもない。どうでもいいことだ」
「全く、そんな風に誤魔化すから、ボクは気になって仕方ないんだよ」
「聞いても意味のないことは存在する。気にしたところで、デメリットしかない。それでもお前は月の裏側が知りたいのか。妙な奴だ、理解できん」
「魔導師の血が騒ぐでしょ? 誰も見たことのない景色を見るっていう、ある種の冒険というものはさ」
「その景色は俺が見ている。さらに期待するほど凄くもない」
ことごとく論破される。組立てたはずの話の筋が通らない。ガードが固すぎる。月の裏側はトップシークレットらしい。
「そんなに見られるのが嫌なの?」
「さあな。意味のないことはするな。お前が心を読むような変な魔法でも使わん限り、俺はそれについて直接答える気はない」
「直接ってどういうこと?」
「無意識にこぼす可能性があるな。大したことは言わないが」
ああこの人は、シェゾは、腐ってもシェゾなんだと何と無く思う。
「ふ、なにそれ、凄いシェゾっぽい」
「全く、なにがだ」
不機嫌そうに呟く声は、いつもよりほんの少し柔らかい気がした。

「ボク、帰るよ」
「ああ、そうか。送るぞ」
「うん、ありがとう!」
俺は大きな勘違いをしていたようだ。俺はこいつが、何も考えていないのーてんきなお子様だと思っていた。まさか自分の言葉の端々に見え隠れする捻くれたなにかに、こいつが気づくなど思いもしなかった。しかし気づいていたのだ。それは俺にとって、複雑なことだった。
あの日から俺は随分と捻くれた。いや、それだけでは済まないことまで。闇の魔導師に相応しいこと全てだ。見るのもおぞましい位の汚れなのだから、誰だってそれに気がついて俺を避けた。こいつは違う。真っ向から向かってきた。避けなかった。俺はてっきり、汚れに気がつかないからだと思っていたのだが、違うらしい。こいつにも、分かるらしい。では何故俺を避けない? こんなにもおかしい俺を避けない?
獲物に避けられる避けられないなど別にどうでもいいのだ、と考えてみるがまとまらない。まとまるはずがない。心の底でどうでもいいはずが無いと何かが叫ぶ。そうだ、どうでもいいはずがない。獲物に避けられたら捕まえるのに厄介だ! それだ、きっとそれなのだ。強引に納得して思考を断ち切る。これ以上考えたら吐いてしまいそうだ。

「空間転移を使うからこっちにこい」
「はーい。シェゾ、本当に誕生日おめでとう!」
「何故繰り返すんだ」
「だって、ボクはシェゾに会えて嬉しいんだもの。君を産んでくれた君のお母さんに感謝しなくちゃね」
自分の子供に<神を汚す華やかなる者>と名付ける親が感謝されるべきだと思うのか?その言葉はさすがに飲み込んだが。
「じゃあ行くぞ」
ぎゅっとアルルが俺の服を掴む。こそばゆい。

「今日はドア壊しちゃってごめんねー」
「許さん」
「えー、許してよ。あしたどうせボクが勝つんだからさ」
「俺が勝つから許すつもりはない」
「いいや、ボクが勝つよ」
こいつはいつだって変わらない。だからきっと俺がこんな事を聞いたところで、深く考えることもなく忘れるだろう。
「アルル、劇をした事はあるか?」
「はい? いきなりなんなのさ。まあ、あるけど……」
「悪役を演じた事はあるか?」
「ないよ。大体ボク勇者役だったから」
なんだこいつ……女なのに勇者役やってたのか?
「性格の悪い嫌な野郎に悪役にならないとお前と戦うと言われたらお前ならどうする」
「断るよ。そんな人はじゅげむで吹っ飛ばしてやる」
「そう言うと思ったが。そいつをボコボコにした後にお前は悪役になる運命だ、抗ってもお前には悪役になる素質があって間もなく開花する、無駄だ、と言われたらどうする」
「変なシェゾ。劇でそんなこと言われないよ、普通。でもさ、そんなこと言われたら意地でも正義役をするよ。そんな不気味な変なこと言われたら、劇をめちゃくちゃにしてでも正義役をやるよ」
「お前らしいな」
「誰だってそういうでしょ」
「そうだな」
「……シェゾなら? シェゾならどうするの?」
「揉め事にならないうちに、適当にどうにかするな。結果として悪役になるかもしれない。いや、既に手遅れか……」
「シェゾらしくないね」
「は?」
「ボクに関してびっくりするくらい粘着質なのに、別人みたい」
「そう見えるのか? まあいい。そろそろ帰る。さっきの質問は忘れてくれ」
「余計覚えちゃうよ。じゃあね」

ドアに背を向けると急に寒くなった。心身ともに、だ。質問の答えが頭の中で反響する。
「劇をめちゃくちゃにしても正義役でいる、か」
その発想はなかったな、と呟く。昔のあの時にあいつが同じ目に遭ったら、俺とは違う選択をしたのか。いや、そもそもあいつだから遭わないのか。まあ「劇」と偽った質問の真意をあいつは永遠に知ることがないのだから、そんなのも無意味、なのだが。
夜にも関わらず温かく柔らかく降る雨の中を無表情で歩く。厚い雲の上にきっと細い月がもうじき昇ってくるだろう。そんな事を、ぼんやりと頭の片隅で考えていた。


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