ふと、脳裏に思い付いた言葉を唇に乗せた。それが、間違いであるということに気付いた時には既にそれを言い終えていたので、私は自分をちょっぴり殴りたくなった。
「貴銃士っていつ死ぬんですか?」
「……おや、貴女は余程私に死んで欲しいようですねぇ」
私にそう問われたその人がぐるりと顔だけで振り向くと、さらり、とした口調とは裏腹に眉間に皺を寄せ、眉尻は少しだけ跳ね上げて怒ったような表情を浮かべていた。思わず「ヒェ」と漏れた悲鳴をどうにか留めるようにぱちりと自分の口を掌で抑えると、その人は「ほう?」と口端だけを持ち上げ、途端に興味を失ったかのように今まで視線を向けていた棚へと再度視線を戻した。
「そもそも貴女の言う死という概念が私には難しい、と私は思いますが」
つつ、と指先が本棚に鎮座する難しい単語が綴られた背表紙をなぞる。はて、どうしてだろう?と少し首を傾げた。そんな私のことはお見通しだったろう。お目当ての本を見付けた指先がそれを取り、頁をぺら、と捲る。
「難しい、です?」
「ええ、とても。何せ、私は人間の死しか知りませんからねぇ」
確かに言われてみれば、なんて言葉よりも先にひゅ、と息を吸った。その行動に込められた真意等には気付かなくていいし、気付かれないでくれと思っても聡いこの人は気付いてしまうのだろう。既に本への興味は失せたのか、その大きな掌は片手で本を閉じ、それが再びあった場所へと戻された。
綺麗に整列されたその本棚を見上げて、私はそっと、再び小難しい単語の並んだ背表紙をなぞる指先を見る。
この綺麗に整列された場所から選ばれるその本は、まるで私のようだ。
貴銃士という存在を世界帝が出現させ、彼等に幹部という地位を与え、兵士という力を与えた。幹部の元に振り分けられた私達は、彼等の前で命令を待ち、同じポーズで人形の様に立ち続ける。そんな有象無象の中で、その指先で示され、側仕えとして選ばれたのは私だった。選ばれたそれが、一時の戯れだったのか、今こうして目的を持って選ばれている本と同じ様な意図を持って選ばれたのか、それは側仕えになってから月日が経った今もわからない。
その本を選ぶ美しい手は、人間の血に塗れた美しい手だ。その人の手の内に掴まれたままの私の手は生きるも死ぬも彼次第。掌の上でさながらお手玉のように、投げては受け止め、弄ばれているに変りない。彼の気まぐれで受け止めなければ床に落ちて、それで終わり。貴銃士という存在はそれ程までに強く、人間からかけ離れているものなのだ。
「死ぬ、というのはどういう気分なんでしょう?貴女は知っていますか?」
また新しく選んだ本の頁を捲りながら、彼は私になんでもない世間話のように言葉を紡ぐ。ごくり、と思わず飲んだ唾が喉を潤したので私はすこしかさついた唇を動かした。
「……知らない、です。死んだことが無いので」
「でしょうね。私も、同じですよ」
ぱたん、再び本が閉じられて、本棚へと戻される。その人の興味は本棚からは失せたのか、今度は私の方へと身体毎向き直した。私より何センチも高いその身長に上から見下ろされ、その威圧感を感じて心臓が早鐘を打ち始める。どく、どく、先程よりも早く動く心臓の音が響いて、脳まで揺らしているかの様だ。
「貴銃士という存在は、どうやら力尽きたら銃に戻るそうですよ。以前ゴーストよりレジスタンスの貴銃士が銃に戻ったと報告がありました。銃さえなければ、私達は貴銃士にはなれませんからね」
「……そうなんですか」
「ええ、貴女の言う貴銃士の死の概念はそこに当て嵌るのでは?」
見下ろしてくるその視線に、ゾワゾワとしたものが背中を走って行く。行き場のない視線をどこに向けたら良いかわからなくて、彼のネクタイをじいっと見詰めている私に対して、彼は私の顔をじっと見ている様でジリジリと額に焼けそうな感覚を覚える。
「じゃあ貴方は、貴銃士として死ぬ事は無いんですね」
「……おや、確かにそうかもしれませんねぇ」
それは盲点でした、と彼の唇が弧を描く。その笑顔がどういった種類のものなのかわからず、少し首を傾げた私にその人はくつ、と小さく笑う。
「私が人として死ぬことありません。貴女は人である以上、人として死にますけどねぇ……さて、貴女はどうしてそれに興味を持ったんですか?」
「えっ!?あ、いや別に……」
思い付きでした、と口にするのも憚られて誤魔化すように一歩後退りすれば、かつん、と床を鳴らした私のブーツに続いて硬質な音が床を叩く。一歩退いてもまた一歩、距離を詰めてくるその人にひい、とまたもや悲鳴をあげる。そもそも側仕えとして時間が経っても、この人の出す雰囲気と威圧感に私はいつまでも慣れることがないのだ!
「どうして退るのですか?」
「はっ、いえ、な、何か嫌な予感が……!」
ふむ?と口端を少し持ち上げたその笑顔に今度こそ背筋をぞぞぞっと悪寒が走り抜ける。彼が私に向かって手を動かしたその時に、ガチャリ、部屋の扉が開いた。ひょい、とそこから顔を出したのは目の下に隈を作ったこれまた幹部の89さんだった。彼はその姿を見ると自然に私に伸ばしていた手を腰に置き、89さんの方へと向かい合う。
「あ?何やってんだお前ら……?」
「ひょっ、あ、89さん!な、ナンデモナイデス!」
「ええ、何でもないですよ。何でも」
はあ……?と訝しげに私達を交互に見るものの、特段語る言葉は無かったのか89さんは「ファル、アインスが呼んでるぞ」と私達に声を掛けるとそのまま去っていった。開けられたままのドアに首を傾げると、彼はこつりと靴音を鳴らして扉へと向かった。
「まあ良いでしょう、理由についてはまた後で聞かせて頂きます。貴女はちゃんと、仕事をお願いします」
「
、は、はい……」
顔だけで少し振り返って告げられたその言葉はちゃんと、の部分に随分力が入っていたように思う。これまで仕事をミスした回数を思えば、それも仕方ないことだ。肩を揺らし、敬礼すればそれではまた、とそのまま去っていこうとするその広い背に、「あ、」と小さく声を漏らせば、そんな小さな声も聞き漏らさない彼は「何ですか?」とくるりと振り向いてくれた。
「あの、」
敬礼した手を下ろして、これから紡ぐ言葉への不安を指先同士を触れ合わせて掻き消す。
「え、と……上手く言えないんですけど……ファルさんがファルさんとして死ぬ、その時に私は居られるかわからないですけど、私は私が死ぬその時に、貴方が居てくれればって、そう思います」
「……ほう?」
彼のことを真正面から見ることのないように、視線を右往左往させながら告げた言葉に返された言葉はその一言だけだ。流石にそれだけ?と思って漸く彼の顔を正面から見たのだが、彼は今まで見たことのない、意地悪でもなく、何かを思っているわけでもなく、そう、ただ柔らかに口端を持ち上げて、笑顔を浮かべていた。
「本当に、貴女は……」
小さくそう呟いたその人は、それ以上は何も言わずにかつりかつりと靴音を鳴らして去って行ってしまった。
「え、私が何なんですか……」
ぽつり、呟いた私の言葉もこの空間に吸われて誰にも届かず霧散した。一冊だけ引き抜かれ、その隙間によって少し斜めになった本と、綺麗に整列したその本達だけがきっと、私達の言葉を聞いていた。