真っ白なフレアスカートに、水色のコードレースフレアブラウス。レース生地で出来たそれは花柄が可愛らしくて小さな頃夢に描いたお姫様になったような気持ちにさせてくれるから、この服はお気に入りの一つ。少しでも日々を重ねる毎に輝きを増すあの人に近寄りたくて、気合を入れる為にも鏡に映る自分を丹念にチェックして「よし」とぱしんと腰を叩いた。
天道輝、彼は私の大切な人だ。私よりいつも前を歩いていていつか置いてかれてしまっても、戻ってきて手を引いてくれるようなそんな素敵な私には勿体無い人。気が付けば約束を果たす為にとアイドル界の一番星を目指して走っていた彼。私はそんな彼と大学時代の縁で今も恋人という関係を持っている。一度は彼に遠慮して別れようとも思ったのだけれど、彼に「自分で決めずに別れるのは許さない」と言われてからはそう思うことは彼に失礼だと思って考えることを辞めた。
しがない小さな法律事務所のパラリーガル兼
事務員の私と、元弁護士の今や人気アイドルDRAMATIC STARS天道輝。今をときめくアイドル、天道輝のスケジュールが忙しいのは勿論としてしがない小さな法律事務所の私はなんだかんだしっかり週休2日を頂いている。とはいえ、 固定の曜日ではなくシフト制の為に決まった日に休みということがなく、彼と完全オフの日が被ることがなく数ヶ月が経過したとある日、彼から電話が掛かってきて…結果として数ヶ月振りに漸く被った休日に、久々に付き合って初めてデートに行った水族館に行くことになった。
久々に出会った彼は黒縁の伊達眼鏡に、ハンチングを被っていた。顔を隠すために付けられたそれは寧ろ芸能人ですよ、とでも言いたげなので注意しようとしたら「久し振り、だな」とテレビではお目にかかれない目尻を少し下げる、穏やかで優しい笑みを見せられたので思わずグッと言葉に詰まってしまった。この人の笑顔は相変わらず、本当に、綺麗だ。
彼の購入してくれたチケットを手にーー私は払うって言ったけど「こういう時は男が払うってもんだろ、少しは格好つけさせてくれ」と照れながら言うものだから仕方なくお金を取り出そうとする手を引っ込めたーー二人で懐かしい水族館に足を踏み入れる。お土産屋等が軒を連ねる場所を超えた先、目の前一面に現れる青く照らされる水槽とそれを映えさせる為に少し薄暗い空間に息を呑む。一歩、その薄暗い空間に足を踏み入れた時、彼は私の右手を左手でそうっと握って先導するように歩き始める。最初はしっかり握られていた手が、優雅に泳ぐ魚達が住む水槽に寄るに連れて指先を絡める握り方に変化していく。指先同士から伝わる温もりに、じわじわと頬が熱を持つのはこの優しい触れ合いに何年経っても慣れないからだろう。
見上げる程の大きさの水槽に、ぺたりと握られていない方の手で触れる。暖かな右手と違って、ひやりと冷たさを感じるアンバランスさに心が少し落ち着いた。ふう、と一つ息を吐いて隣の彼をちらりと窺えば、彼もまた水槽を少し背を反らしてぐっと見上げていた。ルビー色の瞳に、少し蒼色が混じっていて思わずごくりと固唾を呑んでしまう。彼から視線を外して、同じように水槽を眺める。ゆらゆらと身体を揺らして、群れを作って、目の前の世界で泳いでいる優雅な姿を眺める。
「懐かしい、この景色」
「だな、何年ぶりだろうな…」
「俺もいい歳になったな、なんて」とくつくつと笑う彼に肘鉄する。わっ、とびっくりしたような声を上げたので思わずクスクスと笑ってしまう。「輝くんでいい歳なら私もいい歳でしょ」恨めしげにじとりと睨むようにすれば、輝くんは水槽に向けていた視線を私に向けて笑顔を浮かべて笑った。
暗い廊下を、彼の手に引かれて歩く。平日の早い時間だからか、そんなに人もいない上に水槽を目立たせようとして足元灯以外を暗めに設定しているこの水族館に今は感謝しかない。二人で初めて来た時は、休日の昼頃で私が兎に角人にぶつかってしまって終始頬を赤くしていたのを覚えている。輝くんはそんな私をけらけら笑っていた。でも今は、私が慌てることも人にぶつかることもなく、しっかりと歩けている。しかも、薄暗くて顔が見えないなんて芸能人である輝くんにはお誂え向けだろう。今にして思えば、この水族館に来たのは運命だったのかな、なんて少女漫画のヒロインのような気持ちになっていた。
輝くんに手を引かれながら展示されている魚達を横目に見て、二人してぴたり、と一つの場所で足を止める。天井までを貫いて、空に隣接しているかのような一つの水槽。中では様々な魚達が泳いでいる。
「此処だな」
「うん、此処だね」
此処は、過去、輝くんが私に約束を交わした場所だった。「いつか俺が弁護士になった時、俺と付き合ってくれ」輝くんがまだ髭も生やしてなくて、大学生同士だった私たちの間に交わされた約束。結局それは果たされて、輝くんが弁護士になった時に私達は晴れてお付き合いを開始した。今思い出したらまだ若かったなあ、と少し気恥しいが、きっと輝くんは気にしないんだろう。前を見ている人はきっと、後ろを見ている暇なんてない。
じっと掌をガラスに触れさせて、見上げている私の手に輝くんの手がそっと重なってくる。掌は冷たいのに、手の甲は暖かくてなんだか変な気分だ。輝くんを見上げて、笑う。
「輝くん、今度は私と何の約束?」
「何だと思う?」
おどけるように肩を竦めて笑う輝くんはとても楽しそうだ。でもその瞳だけは真剣な色をしていて、輝くんの場を和ませようとしている努力が垣間見える。と同時に、これから彼が話すことを少し予感してしまう。掌をくるりとひっくり返して、輝くんの掌に重ねた。私は貴方が何をしようとも、ずっと貴方の味方だよ。そんな気持ちを込めて、ゆっくりとその手を握る。輝くんの笑顔がすうっと消えて、真剣な色を浮かべる。
「俺がアイドル界の一番星になったら、」
「なったら?」
その瞳は私を見ておらず、目の前を通る海の動物達に釘付けだ。私も輝くんに倣って目の前を見ていると、すうっと三匹の魚が通り過ぎる。一人は悠々と泳いでいて、もう一人はゆらゆらと上から下へと泳いで楽しげに、もう一人は少し離れたり、また近寄ったりを繰り返している。でも、それでも三匹が離れることは無い。まるでどこかの人達みたいだな、と思わず楽しくなってしまうような光景だ。
もしかしたら、輝くんは彼等に今の自分の状況を重ねているのかもしれない。芸能界という広い世界の中で、三人で誰よりも輝きを放つその存在になろうとするその姿を、こんな風に見ている人が必ずいる。輝くんの指先にぐ、と力が入った。心の準備が出来たのだと察して輝くんに瞳を向ければ、輝くんは過去一度だけ私の前で見せた、真剣な表情を顔に乗せていた。
「…俺が、アイドル界の一番星になったら、」
こくり、と輝くんの喉仏が上下する。輝くん、きっと私、その日が来るのを永遠に待ってるよ。続く言葉を聞く前に、私はそっと瞼を閉じた。ちゃんと聞いておきたくて、泣きそうになるのを隠したくて。
「俺と、結婚してくれ」
輝くん、私、泣いちゃうよ。
ーーー
ぎゅ、と輝くんが私の手を掴む手に力を込める。もう片方の手は私の眦にある涙を拭うように優しく撫でている。輝くんが優しく、ふわりと笑う。
「…また、来ような」
「…うん、必ず」
きっとその時は、彼にプロポーズされる時なんだろう。何故だか私の胸はそんな確信を抱いていた。
水族館×「また来ような」×天道輝
Thanks for Request 麗兎様