微妙にR15


蕩けるような甘い夜。彼の指先が這う度にびくりと震えて、自分でも聞いたことのない自分の声が小さく響く。指先から爪先まで、微温湯で包まれるような優しさを伴った動きに、何度も何度も心が震えていたのを覚えている。

幸せな、夜。彼と過ごす時間はいつでもそう、でも、互いが初めて心を通わせたような気持ちすら覚える、きっとこの後も二人にとって忘れられない、大切になる夜だった。




ぱちり、と瞳を瞬かせると眼前に広がるのは見知らぬ天井だった。一瞬へ、と小さく呟いて焦って起き上がろうとするのだが、じり、と横で人肌が動いたので固まってしまう。慌てて横を見れば、ころりと寝転んだままその人は陽に透ける金色の睫毛に縁取られた琥珀色の瞳を柔らかに緩ませて、薄い唇を三日月型にして微笑んだ。

「Good morning,sleeping beauty?」

こてん、と純白のシーツに首を預けたその仕草にさらりと彼の金髪が揺れた。睫毛と同様に陽に透けたその仕草と素肌のままシーツを被ったその姿にもしかして天使か?と思わず固唾を呑んだ。…のだが、つつ、と彼の視線が緩やかに下がって、ぴたり。胸の辺りで止まる。私も彼に倣って自分の胸元へ視線を下げる。するとそこには何も纏わず剥き出しのまま、私の素肌が披露されていた。

「Good view!」
「っへ、んたい!!」

べちん、舞田さんの頬に綺麗な紅葉が出来た。


★☆☆


彼、舞田類は言ってしまえば私の職場の同僚だ。とは言っても、少し特殊な会社なので同僚という言葉も少し違うのかもしれない。彼は所謂アイドル、というやつで元教師ユニットS.E.Mという大人の魅力を醸し出しながらも、何事にも全力で取り組み、その背中を見て前に進む勇気を与えるその姿勢から老若男女問わず人気を得ている。

私はというと、そんな舞田さんが所属する315事務所の事務員その2である。学生でありながら仕事をこなす山村さんの補助として、山村さんの手が届かない部分等を担当しているどちらかというと事務仕事がメインの立場だ。基本的には事務所の隅っこにてカタカタとキーボードを鳴らして時たま電話対応、所属アイドルとは基本関わらない業務に就いている。その上に、私が自ら関わろうとしないので私はアイドル達とは余計に関わりがない。と、その点は話すと長くなるのでまた今度の機会として。

私と山村さん、プロデューサーさん、社長。それだけだった事務所にプロデューサーさんがスカウトしたアイドルを迎えてドンドン人が増えて。レッスンとオーディションを繰り返す日々だった彼等が、今度はオファーが増えて。そうして、ある程度売れてきた所属アイドル達が事務所に顔を出すことは少なくなり、いつもザワザワと賑やかだった事務所もすっかり静かになって、やっと落ち着いた頃。

山村さんは学校の用事、プロデューサーさんはBeitと虎牙道の映画PRの付き添い、社長は会食。カチリ、時計が定時を示したのでホワイトボードに書かれた今週の予定を消し、山村さんのデスクに置かれた仕事用の手帳を見ながら今度は来週の予定を書き込む。基本的にはアイドルにはその予定はプロデューサーさんから伝わっているが、事務員も彼等がどういった仕事をしている状態なのか把握しておく必要があるのでこの記入はとても大事なのだ。ガチャン、と事務所と外を繋ぐ扉が開く。こんな時間に一体誰が、とそちらを向けばそこにはS.E.Mというユニットに所属する舞田さんが立っていた。相変わらず、夕焼けに透ける綺麗な金の髪をしている。にこ、と口端を持ち上げる笑顔を見せる舞田さんに首を傾げる。

「お疲れ様、なまえちゃん」
「ま、いたさん…?」

彼からは事務所に今日戻るという話を聞いていない。首を傾げた私が面白かったのか、舞田さんは今度はくすくすと笑いながら一歩また一歩、と私に近付いてきていた。首を傾げたままの私に、一歩程の距離に寄ってきた舞田さんはニッコリ、最近事務所に送られてきた見本誌に写っているそのままの笑顔を見せた。そして、その片手が私にすっと差し出される。

「Can I go with you, princess?」

そうして紆余曲折を経て付き合った私達。後に聞いた話だと事務所に入った時点で舞田さんは私のことを気になっていたらしく、あまり会話することもなかったのだけれど黙々と仕事するその姿に惚れたとかなんだか、恥ずかしくてあんまり覚えていない。


☆★☆


パタンと部屋のドアを閉めて、昨日までと同じ服に身を包む。そもそも今日は公休だから、代わりの洋服を持ってくることもなかったし準備万端だと思われるのも嫌だったので、そうした。学生時代から今まで、男性と付き合った経験がなくて少女漫画やらちょっぴり大人向けの漫画での知識しかない私には、ハードルが高すぎる。はあ、とじんじんとまだ腰に痛みが走るのを気が付かないふりをしながら、鏡に顔を向けて、絶句した。昨日したメイクをしたままだった、上に……をして翌日を迎えたその顔はそれはまあ、酷いものになっていた。こんな顔で舞田さんの前にいたなんて…漫画じゃこんなこと教えてくれなかった…と絶賛死にたくなりながら大急ぎでメイクを落とす。女として最早死んでいるので、メイク道具など持ってきてはおらず、このままスッピンを晒すことにはなるけれど偶に寝坊してスッピンのまま仕事することもあるのだからまあ許容範囲だろう。そもそも彼が普段目にする芸能界の美女達には素材で負けているので今更だ。

「あの、舞田さん、洗面台とタオルお借りしました。有難う御座いました。」
「You’re welcome!」

ぱちり、と私の言葉にウィンクも一緒に返してくれた舞田さんに思わず内心うわあと感心する。アイドルっていうのは顔だけじゃなく、こういった所作振る舞いから成り立つんだろうな、と感心した。ぱちぱちと瞬きを繰り返したままの私に舞田さんは首を傾げると、に、とまた笑った。…なんというか、先程までの、アイドルが雑誌で見せるような朗らかな笑みではなくて…昨夜見せ付けられた新たな妖艶な笑み、というものだろうか。連鎖的に思わず深夜の光景を思い出してかあっと頬に熱が集まってくる。

「…ふふ、like an apple」

私の頬を指先で柔らかに押し、笑いながらそう言う舞田さんにうぐ、と小さく呻いて押し黙る。林檎のようだ、なんて言うくらいだからきっと頬は真っ赤に染まっているんだろう。なんだかそれが悔しくて、舞田さんの指から逃れるように顔を背けた。

「そ、そういえばですけど、この間の硲さんの和装良かったですよね!し、信玄さんも玄武さんもなんだかい、色気があって…って、舞田さん…?」

取り繕う様に続けた言葉に、何故か舞田さんは段々と眉根に皺を寄せて行く。綺麗な顔をした人が不機嫌そうにしているのはそれだけで威圧感があって、彼のそんな表情を初めて見た私は何か地雷を踏んでしまったのかとびくびくと心臓が跳ねてしまう。

「Bad manner、だよ。こんな時に他の男の名前を呼ぶ、なんて」

す、と舞田さんの差し出した手は私の顎に触れる。人さし指でつう、となぞる様に触れたかと思えば、そのままくい、と持ち上げるように動くその綺麗な指先に思わずごくりと喉が動けば、舞田さんはちろりと紅い舌先を見せて蠱惑的にも思える笑みを浮かべる。どくり、と高鳴る心臓を服の上から抑え付けて、笑うその表情に戸惑いを込めて笑い返せば目の前の綺麗な唇が三日月形に歪んだ。

「え、あの、舞田さ、」
「Shhh,I'll kiss you」

私の戸惑う声も飲み込むような、貪るようなそれに、指先から力が抜けて何も言えなくなったのは私だけの秘密としたい。



☆☆★


「舞田さん今日お仕事ですよね」
「Yes!今日はCM撮影、だったかな?」

ふふん、と鼻を鳴らして上機嫌なご様子よ舞田さんに対して私は休みだというのにテンションが急転直下地面墜落済みだ。昨夜ごにょごにょされた腰の痛みは未だに引かないというのに、まさか綺麗にしたところでこんなことになるとは誰が思うだろうか。いいや誰も思わない、と反語を使って真顔になっている私に舞田さんは立ち上がると「お手をどうぞ、My princess?」なんてぱちりとウィンクをお供に私に手を差し出しながら言っている。相変わらずの切り替えの速さには尊敬の念を禁じ得ない。

素直に舞田さんの手を取って、へらりと力の抜けた笑みを返せば舞田さんはニコニコと笑って私の手を引いて部屋を出る。ぱたん、と閉じた扉の前で舞田さんが鍵を差し込むのを眺めながら、唇で奏でる口笛と朝から絶えない笑みに「そんなに笑って、何が楽しいんですか?」と思わず口から零れてしまった。かちり、鍵が掛かった音がした瞬間、舞田さんはぐるりと私の方へと向き直ると、がばっ、と抱き着いてくる。舞田さんは長身の硲さんと山下さんと一緒にいる上に、明るく活発な性格をしているので案外小さいと思われがちだがそこは成人男性、私よりも肩幅は広く身体だって大きい。すっぽりと舞田さんの身体に包み込まれてしまい、顔は舞田さんの胸元にしっかりと押さえ付けられてしまった。途端にぐ、と鼻腔を擽る舞田さんの爽やかな海を思わせるトップノートに心臓が跳ねる。私がいつも感じている香りは彼のミドルノートに近いラストノートなのだと思うと、トップノートを感じたその意味に頬が熱を持つ。

「おわっ、ちょ、」
「Everything is fun whenever I'm with you !」
「えっなにわかんないていうかここ外です!」

照れ隠しも含めてばしばしと舞田さんの背中を叩くも舞田さんは鼻歌でも歌い出しそうな程にご機嫌である。本当にバレてしまったらどうするんだこの人!と焦りを感じ始めた私が再びばしりと背中を叩いた時「あ」と舞田さんが小さく呟いた。

「えっなに、なんですか」

いきなりぴたり、と何かに気付いた様に私の後ろを見て止まったままの舞田さんに倣って私も舞田さんの緩んだ腕の中で身体を反転させた。

「あ」
「いや、あー、その……」
「お早う、舞田くん、みょうじさん」
「Good morning!ミスターはざま、ミスターやました!」

何かを察しているのか首の後ろを掻きながら視線を右往左往させる山下さんに、ぽかんと口を開けたまま固まった私。普段と変わりなく片手を挙げて舞田さんと私に挨拶をした硲さんに、普段と変わりなく返事をした舞田さん。思わずぐるり、と再び舞田さんの方を向き直って顔を見上げれば、彼はどうしたの?とでも言うかのように不思議そうな表情を浮かべていた。

「バレないようにってあれ程…!」
「大丈夫、俺を信じて?」

珍しく英語の混じらないその口調と真剣な瞳に思わずぐっと押し黙る。舞田さんが大丈夫、信じろ、なんて言って私が反論する余地があるわけがない。「…信じてます、当然です」小さくそう返すと、舞田さんはしっかりそれを聞き取って再びぎゅう、と私を抱き締めた。するとゴホンゴホン、と背後からわざとらしい咳が聞こえる。

「いや、お熱いですなあ…」
「申し訳ない舞田くん、今出ないと遅れてしまう」

しっかりと時計を見てそう言った硲さんに、なんだか少し疲れた表情をした山下さん。舞田さんは「じゃあ行くね」と私をぱっと解放したかと思えばするりと横を抜けて二人の元へと駆け寄った。「頑張ってくださいね」ひらりと三人に手を振れば、三者三様、舞田さんは片手を目一杯上げて左右に振って、硲さんは少し片手をあげて、山下さんはひらりと手を振って応えてくれる。そんな三人の背中を見ていると、私の心配は杞憂に終わるんだろうという確信が持てた。……とはいえ、二人には次からどういう顔で会ったら良いんだろうか。




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