私には、女の子が大好きな幼馴染がいる。特にクールなお姉さまが大好きで、レフトバンドのギターを弾く姿が誰よりも似合って見える…、私の好きな人。
生まれた時から隣に住んでいた私たち。母同士がとても仲が良くて、出産時期も私の方が数日遅れたけれどほぼ同じ。となれば、私達が母親同士が会話するネタにされるのもまあ当然なことで、その上出産した病院まで私がレオンと出会ったのは産声を上げて数日後だったと聞く。母同士が共に決めたためナーサリースクールからプライマリースクール、という調子でスクールも共にしてきた。
気が付けば、レオンは何がきっかけかもわからないけれどいつの間にか英国紳士らしく女性を大切に扱うようになった。それ自体は私も別に素晴らしいことだと思うけれど、一番不思議というか納得がいかないのは私の扱いである。紛うことなく、女子の私に対してだけレオンは所謂女性扱いとかではなく、それこそ男子の友人に話しているような調子で話すのだ。物心がついた時には既に彼に恋をしていた私としては実に、まったく、面白くない。

ーーー

「今日も先生に怒られたの?」
「なんだよその言い方!」とふくりと頬を膨らませるその様子は、ジュニアハイスクールを既に卒業した様には思えない。ついでに言うと、イギリス紳士にも思えない。けれどそんなところも魅力の一つなんだよなあ、とひっそりと思いながら「いつものことだから仕方ないでしょ」と息を吐く。私の好きな人、こと赤毛の青年、レオンはよく先生に怒られている。
それは普段の不真面目な授業を受ける態度であったり、女生徒に所謂ナンパをしてしまうとかそういったことだ。根は真面目なのに、どうしてこうも軽薄なのだろうか。今日も朝から先生に呼び出しを食らって、先程漸く教室に帰ってきたところだった。クラスの女子がハロー、と声を掛ければいつも通りの笑顔で返していたけれど、自分の席に着くなりはあ、と溜息を吐き出すものだから隣に座る私としては声を掛ける以外の選択肢がなかったのだ。
「まったく、俺に信用がなさすぎる!」
「あると思ってる方がビックリ」
なんだと〜!?とむすっとし始めるレオンに相変わらずの子供っぽさにくすくすと笑いながら機嫌を取らなきゃなあ、と口を開こうとした時「ハローレオン!」とレオンの机の前に立って満面の笑みと共にひらひらと手を振る美少女、こと学校のマドンナ、メイが立っていた。「おはよう!」とレオンは途端に私から視線を外してメイに少し上擦った声で挨拶を返す。この上擦った声、というのはレオンの癖だ。長年共にいる私だからわかる。この癖は、少しだけ緊張している時のもの。普段女の子に対して緊張なんてそうしないのに、レオンが緊張するのはいつも私から見てもとびきり可愛い女の子と会話する時だけだ。…それに、嫉妬を覚えて心臓が軋むのもいつものことだ。
「ハローなまえ、今日も相変わらず仲良しね。流石幼馴染!」
「ふふ、有難う。仲良しな幼馴染だから、ね」
相変わらず、彼女は嫌味ったらしい。それもその筈、彼女はレオンを狙っているからだ。獲物に近づく私をまるで女豹みたいにぎらりとした、野心に満ちた瞳で牽制してくるからいつもいつも私は背筋を震わせている。
彼女がレオンを狙っている、という確かな確信を持った上にこんな風にあからさまに敵意を向けられるようになったのはつい一月程前のこと。それまで確かに話し掛けてくることが多いなあ、なんて思っていた私を根本から叩きのめす出来事が起きた。

ーーー

とある日。友人達と楽しく会話しながら昼食を嗜んでいた時。フライドポテトにつけすぎたケチャップが重力に耐えられず、私の口に運ばれる前にぼたりとスカートに落ちたのだ。口々に心配の言葉を投げかけてくれる友人達、しかし誰も拭けるものを持っていなかったので私はトイレへと赴くこととなる。個室に入り、トイレットペーパーでケチャップを拭い、トイレに流す。ふう、と一息ついてさっさとトイレから出たその時、手洗い場からけらけらと笑う複数の女の子たちの声が耳に届いてきた。
「だぁから〜Aクラスのレオンだって!顔は良いじゃん!」
「出た!メイのアクセサリーボーイフレンド」
「好きでもないのに顔が良い男をボーイフレンドにするのやめなよ〜」
その言葉に、私はメイの彼氏の遍歴をすぐさま脳裏に思い描いていた。思春期な私たちはそういう噂は大好物で、誰と誰が付き合っただの別れただのはいつも大盛り上がりの話題だ。その中に毎度毎度出てくるのは、メイ。つい先月、女子の間で大人気な紳士ことダニエルとお別れして、まだ彼氏出来てないのかな?なんて先程まで友達との会話にも上がっていた程だ。そう、次のターゲットは私の幼馴染、だったのか。慌てて手洗い場に顔を出せば、メイとその取り巻きの二人は一瞬だけ目を見開いた後、くすくすと笑い始めた。
「あれ、なまえ。もしかして今の聞いてた?」
聞かれてても良いけど!ひらりと身を翻して、去っていったメイ達。一瞬だけメイが振り向いたその時「ただの幼馴染にはどうしようもないでしょ?」とメイが告げた言葉に、私は自分の立場を否応なく自覚させられる。と、同時に、頭に少し血が上るのを感じて落ち着け、と自分に念じる。はっきり言って、彼女の言葉は間違ってないのだから。そう、私はただの幼馴染。レオンの中の?女の子枠?から可哀想にも外れてしまった、ただの幼馴染。

ーーー

「やっぱメイは綺麗だなあ…な、なまえ!」
「そうだね」

じゃあね、とグロスの塗られたぽってりとした唇を三日月に描いて、メイは去っていった。その後ろ姿が消えると同時に、レオンはキラキラと瞳を輝かせて私に話し掛けた。その瞳の輝きすら今の私には不愉快なもので、同時にレオンへの返答も冷たいものとなってしまった。「お、おいどうしたんだよ…?」戸惑うレオンの声は聞こえていたものの、答える必要はない。そう思って私はレオンから顔を逸らすと、小さな溜息と共に彼から目を逸らした。

「レオン!おはよ!」
「あ、ああ、おはよ!」

尚も私に食い下がろうとしたレオンだったが、流石はクラスの人気者。登校してきたクラスメイトに挨拶されてそれの返事で私に言葉を割く時間がない。漸く解放されて、私の方に向き直ったレオンが「なまえ!」と私の名前を呼んだ瞬間に、授業開始を示すチャイムが無常にも鳴り響いた。

「席戻れば?」
「〜〜っ!後で絶対話聞くからな!」

顔を真っ赤にして、レオンは私の隣の席にどっかりと座った。別に何を聞かれても、特にいうことはないんだけどなあ。と思いながらも、レオンの頭の中に私と言う存在が大きく占めている現状に心がときめいていた。自分の歪んだ恋心に、少し嫌気が差した。

ーーー

本日の授業は午前中のみということで、授業が終了した瞬間「なあ、」と横にいたレオンが教科書も仕舞わずに身体を私の方に向けて話しかけてくる。私はそれににっこりと笑顔を返すと、口を開かずにスクールバッグにそれを突っ込む。そして立ち上がって、脇目も振らずに走った。気分はマラソン選手、なんていえば聞こえはいいがこんなことしか出来ない自分が恥ずかしい上に幼稚で情けない。

バタバタ、と後ろからもう一つ忙しない足音が迫ってくるので、どうやらレオンは私を追っているようだった。私の向かう方は家の近くまで通っているスクールバスの停留所なので、必然的にレオンもまた私と目的地は同じだ。しかし午前中のスクールバスは五分置きに出発している為、ここでレオンとの差をつけておけば同じバスに乗るという悲劇は起きない。後ろから迫ってくる足音に焦りながらも、眼前に現れた階段をジャンプで一気に飛び降りる。「おっま、危ないだろ!?」悲鳴混じりのレオンの声が廊下に響き渡る。

「なまえ、待てって、おい!」
「うっるさい!聞こえてるってば!」

夫婦喧嘩は他所でしろ〜!と、擦れ違う生徒からの揶揄う声が聞こえても足は止まらないし止められない。私よりレオンの方が足が速いので、このまま学校を抜けたら追いつかれてしまうことは確定事項だ。スクールバスの停留所まで走って飛び込んだとしてもで 、きっとレオンもギリギリで追いついて同じバスに乗るし、その後に質問責めに遭うのは確定だろう。私とレオンの自宅は学校から徒歩で30分程。それなら、確実に隣で喋られるよりも。学校を抜けて、バスの停留所が目前に近付く。…が、私はそれを無視して、スピードを落とさぬまま自宅の方向へと方向転換す。

「あっオイなまえ!?」

レオンの想定外の行動、というよりレオンも私がスクールバスに乗り込む事を予想していたのだろう。驚きが多分に混じった声を背中に受けながら、私はふふん、としたり顔だ。

そもそもの話、私はレオンにこの気持ちを明かすことを毛頭考えたことがない。レオンが私を好きでなくて、私がレオンを好きな状態であることは私にとって心苦しいことに変わりないけれど、それでもこの前にも後ろにも動かない、停滞した微温湯の様な関係を断ち切ってしまうよりはよっぽどマシ。気まずくなって、会話をすることがなくなってくる。そんなコミックのようなティーンでありたくない。

ちらりと後ろの様子を伺えば、レオンはスクールバスを一瞥して悩んだ様子を一瞬見せたものの、同じくスピードを落とさぬまま私の背中を追い始めた。そろそろ脚も限界なので正直諦めてくれ、と小さく舌打ちをしてしまう。女子扱いを求めているのに、なんて可愛くない女なんだ。こんなのレオンだって女扱いしなくて当然だと、頭の中で誰かが囁いた。

「っあー!もう!何で!逃げるんだよ!!」
「うっるっさい!アンタが追って来るからでしょ!?」

背後から掛けられるレオンにべ、と舌を出しながら反論する。マラソンランナーでもない上に運動が大の苦手の私にはこの謎のマラソンはそろそろしんどいものがあるのだが、意固地になった私の心は止まるという選択肢を選ばない。というより、レオンに近寄りたくないという気持ちが私を走らせている。

「じゃあ止まる!から!なまえも!止まれ!」

あまり声を荒げることのないレオンの、必死な声に私はぴたり、と足を止めてしまう。じんじんと痛みを訴えてくる脚の筋肉よりも何よりも、私がレオンのそんな声を引き出したことへの動揺が胸を占めていた。私が止まったと同時にレオンもまた言葉通りに止まった様で、一定の距離を保ったままレオンははあ、と大きく一息吐いた。

「何で逃げるんだよ」

ぐい、とパーカーの袖で自身の額を拭う姿にぞくりと背が震える。男の子だったレオンは今やもう既に、男になろうとしている。身体が成熟しきったその時に、私は彼の隣に立てているのだろうか。コミックの様に、時間が経てば経つほど距離の取り方が下手になって、何も告げられないままに彼の横に立つ女に毎度苦しむ事になるのだろうか。そんなのは嫌だ、嫌だけど、私は臆病だから。

「別に、私がメイ嫌いなだけだから…私の前でメイの話されたくないだけ」

目線を逸らして、本心を隠して、伝えることしか出来なかった。言ったことは真実だ、けれど外側だけを切り取った、芯のない言葉。けれど長年隣にいた彼になら見破られることはないだろう、だってこれは嘘じゃない。レオンははあ?と眉を跳ね上げた。呆れた様なその表情に、ぐっと息が詰まる。

「おま、どうしたんだよなまえ…メイ、あんな可愛い女の子なのに…」
「…可愛い女の子ォ?」

ぷっつん。頭の中で何かが切れた音がした。こういうの、ジャパンの諺、ってやつにあった気がする。堪忍袋の緒が切れた、だっけ?よくわかんないけど、そんな感じ。私はずっと呆れていた、怒っていた。皮を一枚剥けばどいつもこいつも私より腹黒くて、女の子らしさとはかけ離れたやつらばっかりなのに、レオンがいつも愛嬌を振りまくのは私以外だ。私だって、女の子、なのに。誰よりも、世界でいちばん、

「…なによ…」
「? なまえ…?」

突然様子の変わった私を怖気付いたのか、レオンはじりっ、と一歩後退した。これまで心の奥底に押さえ付けていた、マグマにも似た怒りが心臓から頭のてっぺんまで運ばれてきてしまったみたいに自分が何をしているのかの判断がつかなくなる。気が付けば、右手でレオンをびしりと指差していた。まずい、まずいぞ私。

「私だって女の子!世界でいちばん、レオンのことが好きな女の子!!」

ドーン!海賊王になるコミックの擬音の様な、音が聞こえてきた。それと同時に、物凄い後悔が押し寄せてくる。今までレオンには見せたことがないが、怒りの限界まで溜めた私は地雷を踏まれるとぷっつんとキレてしまって周りも何も見えなくなってしまうのが小さい頃から何度もあった。それは年に一度あるかないか、溜め込んでいたものを一度に放出するように吐き出す瞬間。滅多に怒らない、感情の起伏が激しい方ではない私の偶にある激情。まさかそれを、こんなタイミングで披露することになるとは思わなかった。

サァッ、と頭から一気に血が引くのを感じる。いやバカさっきまでの葛藤はなんだった全部が台無しだぞバカ!と内心パニック状態の私にレオンはぱっちりと青空を切り取ったかのような瞳を開いて驚いていた。私も自分自身の行動に驚いてぽかんと口を開けていたので、この瞬間を見た往来の人はきっと吃驚しただろう。田舎の学校で、移動にはほぼスクールバスを使う地域で良かったと心からそう思った。

「なまえ、それ本当…?」
「え、あ、いや、」

ぽかんと開いた口を両手で抑えて、私は漸く我に帰る。どう考えても、言う場面じゃなかった。レオンだって今も吃驚したままだし、
言ってしまった事実に今度は顔に熱が集まってくる。逃げよう。脳内会議で一致したのでので再びくるりと踵を返して走り出そうとした時、背後から声が飛んでくる。その内容に、ぴたり、と足は動かなくなる。

「っ俺だって!世界で一番お前が好きだ!!」
「…え、」
「ナーサリースクールからずっと、ずーっと好きだった!でもなまえ、俺のこと意識してくれてる様子ないし、友達でいいって思ってた」

レオンは私に大きな声のまま続ける。ここが往来だなんてことはきっと忘れている。現に数人私達の横を奇妙なものを見るように通り過ぎているというのに、私達はお互い以外を認識していない。一言一言噛み締めるように続けて、レオンは私に一歩、また一歩、と近寄ってくる。じり、と片足が後退するも、身体がそれ以上動くことは無い。変わらなかった私たちの距離が、どんどん近寄って行く。

「なあ、ホントに?本当に俺が好き?」
「す、好き、私だって、ナーサリースクールからずっと…」

レオンが伸ばした指先が、私の頬に触れて気付く。自分でも気付かぬ間に流れ落ちていた涙をレオンの幼い頃共に玩具を振り回していた頃とは全く違う、無骨な指が拭っていく。

「なまえ…」
「レオン…」

近寄り合う私達。再三言うが、ここは学校の登下校の往来だ。人通りは少ないとはいえ、スクールバスも数人程度も人は通る。そんな場所でこんなことを繰り広げていれば、当然のこと。

「ヒューッ!熱いねお二人さん!」
「家帰ってからやれ〜!!」

そんな冷やかしの声が聞こえてくるのも当然のことで。スクールバスの窓から身を乗り出してけらけらと笑う見知った顔たちに慌ててパッ、と距離をとればブーイングの嵐だ。なんというか、とても死にたい。

「あっちょっ!空気読めよお前らーっ!」
「死にたい」

窓から見える面々に、メイがいたのが少しやってやったぜ、という気持ちになる。本人はとんでもない鬼の形相をしていたので明日からの自分の身が少しだけ心配だが、スクールバスが見えなくなってからそっと繋がれた掌の熱が、胸を暖かくしてくれた。この熱があれば、きっと私は大丈夫。小さく笑って私は、握られた手をそっと握り返した。




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