アジトとしてチームで利用しているアパルタメントから表通りを歩いて数分の所に新しくジェラテリアが出来たと言う話を聞いて、数少ない“表”のお友達である高校時代の学友へと誘いのメールを送ったのが先週のこと。そしてそんな彼女からの返信には一週間後の、つまり今日が暇だとのことであった。そうと決まれば私がやることは一つ、貯まりに貯まった仕事をどうにか片付けることのみであった。今日と言う日を空けるために三件の任務を梯子して一日で終わらせたり、またある日は報告書を一枚一時間程で終わらせたりと。同僚のイルーゾォがそんな私を不気味だと言ったのだが、そりゃあ普段とは違い真面目に仕事をしていたらそうなるわ、と特に何も思わなかった。私も“裏”の人間である以前に“女”なのだ。ドルチェは女なら――例外はあるかもしれないが――誰だって大好きだ。同僚は男しかいないしこんな機会がなければドルチェを思う存分味わえないと考えれば、普段の倍以上働いていくのは至極当然のことだ。そうして死ぬ気で仕事を終わらせた私は、私に割り振られた部屋から出て、隣のペッシの部屋を過ぎ、チームの共有スペースであるリビングへと続く扉
を開いたのだ。すると、珍しく一人だけ抜けているものの他は全員揃っているチームの三人(ペッシは私の方を向かずにソワソワと忙しなく視線をさ迷わせていた。ホルマジオは優雅にコーヒーを啜っていた。リーダーもホルマジオと同じで、コーヒー片手に新聞を読んでいた。つまりこの三人以外)が何故かギロリと一斉に睨みを利かせてきたのだ。何故だ。
「ボ、ボンジョルノ〜」
居たたまれないのでそそくさと彼等が腰を落ち着けるソファの真ん中をスタコラサッサと通ろうかと思ったのだが――このリビングはソファとソファの間にある道しか外へ続く扉がないという何とも不便な配置をしているのだ――がしっ、と腕を掴まれてぴくりと身体を固まらせてしまう。そろりとその腕の主を確認したら、やけに真剣な眼差しのメローネが珍しく真一文字に口を結んでいた。普段は口から変態的な発言しか飛び出さないと言う残念美形だとは思っていたので、口を開かないとはただの美青年だな、と少し瞠目した。
「な、なに、メローネ」
「なまえ、男と会うのか?」
「はぁ?何それ厭味?」
メローネの発言に眉をひそめれば、「やっぱり違うのか!ほら早く賭け金寄越せよイルーゾォ」とけらけらと笑ったかと思えばぐりんっ、と一人蒼い顔をするイルーゾォに朗らかな声でそう告げたのだ。「大体コイツに男なんて出来るワケねェだろーが」そう言いながらふんぞり返ってふん、と鼻を鳴らしたのはギアッチョだ。どうやら会話から察するに今日の私のお相手が男かどうかで賭けていたらしい。大損イルーゾォはどうやら私に男が出来たと賭けてくれていたらしい。賭けのネタにされるのはあまり嬉しいことではないが、イルーゾォのその心が嬉しいと思ったのは秘密にしておくことにした。
「遅れてごめん!!!」
あれからメローネとギアッチョを一発殴らせて頂いて(案の定、メローネは悦びギアッチョはブチ切れた)仕方ねェなぁ〜と口癖を連発するホルマジオと呆れ顔のリーダーに二人の応対を任せてどうにか走ってきたのだが、待ち合わせに10分程遅れてしまったのだ。彼女が几帳面と言うことは長年の付き合いでわかっていたので、友人の目の前で謝りながら一礼した。そんな私に周りからの視線がびしばしと突き刺さるものの、彼女を待たせた私が悪い、そう思って頭を下げていたのだが友人は「あ〜大丈夫大丈夫目の保養してたし!!!」とあっけらかんと言葉を返してきた。は?と不思議に思って顔を上げれば、友人は件のジェラテリアのテラス席を眺めていた。しかしまあ機嫌を損ねなくて良かった、そう思ってとりあえず友人と目の前のジェラテリアへ向かうことにした。そして私は、友人が目の保養をしていた相手を確認するという作業を怠ったことを盛大に後悔したのだ。
「ね、イチゴ美味しいでしょ?」
「ウ、ウンメチャクチャオイシイ」
味なんか分かる訳ないだろ、とも言えず多少片言になりながらもなんとか笑顔で返した。二人用のテラス席に腰掛けた友人は「だよね〜」とにっこり笑いながら言葉を返してきた。しかしその視線は私にでも、手元のジェラートでもなく、私の後ろに向かっていた。折角来たかったジェラテリアに来たと言うのに、最悪だ。小さくはぁ、と溜め息を吐いた瞬間に、「なァ」と低い声が空気を震わせたことにびくっ、と肩を揺らしてしまった。いかん、平常心を保つんだ。
「女ってのはよ、本当にドルチェが好きだよな」
「プロシュートってばいきなりどうしたのォ〜?」
「いいから答えろよ」
あの人、プロシュートって言うんだね、と耳打ちでもするように友人はこそこそと小声で告げてきた。そう、プロシュートだ。私の同僚の、プロシュート。まさか友人の目の保養をしていたのがプロシュートだとは思わず、テラス席で彼を見つけて悲鳴を上げそうになったというのに、彼の近くに行きたいと言われたときにはどうしようかと思った。結局プロシュートが見えるように、とプロシュートの連れであるやたらスタイルが良い美人な女性の背に背を向け、プロシュートからは私の背中のみが見える状態になり、友人は私の目の前に陣取った。そして、先程に至る。友人は目の保養の相手に興味津々なのか落ち込んだ私の表情は見えていないようだ。
「んん〜、女の子なら誰でも好きだと思うよ〜」
「それは普段女っ気が無くてもか」
「勿論だよォ〜、性別が女ならねえ」
「ブランド品よりもドルチェ、ってか?」
さあ、それは人によるよォ〜とケラケラと笑う声が響いた後に、一緒にいる子彼女じゃないのかな、と友人は首を傾げたのでははどうなんすかね、と返しておいた。ぱくりとジェラートを口に含むと口内がひんやりとするだけで未だに無味なのはきっとこの状況のせいだ。プロシュートにはこちらの会話は筒抜けであろうし、あちらの会話は隠す気は更々無いのだろう。このどうしようもない状況に追い込まれて、私はただ友人が変なことを聞いてこないことを願っていた。
「そう言えばなまえ、好きな人どうなったの?」
ぶふぅ!!!とジェラートを噴き出したことを許して欲しい。友人はうわあ大丈夫!?と心配そうにナプキンを渡してくれたのだが、お前のせいだろ…と思う気持ちもなきにしもあらず。とりあえず口元を差し出されたナプキンで拭いてから、仕事柄得意になったポーカーフェイスを顔面に貼り付けた。
「はは、それ相当前の話でしょ」
「ええ〜?でも同僚のグッチマンが好きって言ってたでしょ?それに転職してもないんだし、あんた昔から一途だったし…」
サクサクサクッ、とどこからか矢が飛んできて見事に全て心臓に命中したかのような錯覚がするほど、図星であった。実際私は同僚のグッチマン――現在背後にて美人とデート中の男――に実は淡い恋心を抱いていて、しかも彼への気持ちを自覚してから既に二年程度が経とうと言うのだ。彼女の言うことは全てが、当たりであった。心を落ち着かせるために、ぱくりと震える指先で一口ジェラートを頬張った。相変わらず味はしない。
「そりゃ、良いこと聞いたな」
とん、と私達の座る席のテーブルに均整の取れている、男らしい美しい手が置かれた。その声は、先程まで背後で聞こえていたテノールの響く滑らかな声であった。つまり当然、持ち主は、私の同僚で思い人の、プロシュートな訳で。「ええっ、プロシュートどうしたのよう」と彼とデートしていた美女がテーブルに置いた腕にすがりつくように擦り寄った。えっ?と瞠目しながら友人は私とプロシュートをなにかを確認するかのように何度も見比べていた。そんな中で私は一人、だらだらと垂れる冷や汗を感じながらジェラートの入った紙カップを握り締めた。
「なあなまえよォ?」
するり、テーブルから移動してきた指先が私の顎を撫でた。指先が肌をなぞる度に冷ややかな心地がするのは気のせいではないだろう、事実、プロシュートのもう一方の腕に絡み付いている美女は私に対してまるで石ころを見るかのように蔑み見下した視線を送っている。そりゃあ私は自分磨きたるものをしたりはしない、裏を見続けた女だ。貴女みたいに綺麗なものばかりを見てきた人間とは正反対の場所にいる。羨ましいと思うと同時に、上澄みしか知らぬ浅ましさを笑いたくなる。貴女が愛を乞うその男は、貴女が蔑む私と同種なんだよ。
「ねえプロシュートォ、行こうよ〜?」
ぐっ、と腕を引く女に一瞥も寄越さずにプロシュートは私の顎に滑らせた指先を今度は唇へと触れさせた。じっ、と見詰めるそのひとみはどうやら私の言葉を静かに待っているらしい。友人の好奇心を滲ませた視線に突き刺されながら、独り言のように私は漸く言葉を溢す。
「知ってた、クセに」
「ああ、知ってた」
プロシュートは私の唇に触れた指はそのままに、女に掴まれたもう一方の腕を動かし、その指先に私の髪を一房絡ませた。掴まった、瞬間的に、そう思った。
「お前の答えは一つだろ、早くしろよなまえ」
「貴方に寄り付く煩い蝿をどうにかしてくれたら答えるよ」
御安い御用だ、プロシュートは腕に絡まる女を振り払うと、私に手を差し伸べる。私がその手を取れば、プロシュートは駆け出した。背後から友人の驚いた声と、女のプロシュートを呼ぶ声が聞こえたのだが、プロシュートは歩みを止めなかった。どうせこうなるならば、もっとジェラートを楽しめば良かったなあ、なんて繋がる手を見ながら思った。