スパゲッティ・ネーロを妙に気に入ったらしいジョセフは器用にくるくるとフォークにそれを巻き付けてそれを食べていた。その言動からがさつにもお調子者にも思える彼は意外にも器用であったり、冷静な判断力があったりすると知ったのはつい最近のことだ。と言うのも、私が彼と出会ったのがつい最近のことだからである。しかし彼はとても気の合う人で、話を交わす内に打ち解け、数年来の友人かのように気軽に話せるようになったことも記憶に新しい。ごくり、とジョセフが咀嚼し終えたスパゲッティ・ネーロをごくりと嚥下した所で、指先でこれまた器用にくるっとフォークを一回転させた。
「お前さァ、それで良いワケ?」
「それ、って?」
何でわからないかねぇ、そう呟いてジョセフはワイングラスをやや乱暴に掴んでちゃぷりと揺れる濃い紫色の液体を一気に飲み干した。彼の言葉の意図するところがわからず、ただ首を傾げ疑問符を浮かべる私に、ジョセフはグラスを手から離すとその身を乗り出し、私の額を逞しい指先で軽く叩いた。
「いだっ」
「お前も、シーザーも馬鹿だよな」
ばしん、指先で叩いたとは思えない大きさの音が私とジョセフのせいで閑静なレストランに響いた。周りの客はひそひそと私達を横目に何かを口々に呟いているようだが生憎私には彼等が何を言っているのかは聞こえなかった。気付けばジョセフは再びスパゲッティ・ネーロを口に運ぶ作業を再開させていた。
「別に、馬鹿じゃないよ。私はシーザーの意思を尊重させたいだけだもん」
「よく言うぜ、お前、その内後悔するぜ。あの時首輪付けとけば良かったァ〜ってな」
うんそうだね、そう答えて視線を手元に落とすと、マカロニがつるりと滑ってフォークに刺さらず皿の上で転がった。バジルソースを纏ったそれは爛々と光っているように見受けられた。はあ、近さからジョセフのものであろう溜め息が漏れた。
「そんななまえに、俺からのとびきりのプレゼントをやるよ」
「プレゼント……?」
だからとっとと食え、言われて気付けばジョセフの黒々としたスパゲッティ・ネーロは皿に少しだけその色を残したものの、姿を消していた。それをぽかんと見ていれば、又もや逞しい腕が私の皿に伸びてきて、その手が持ったフォークが私のフォークから逃げたマカロニをずぶりと突き刺して、そのまま落ちることもなく滑ることもなく、ジョセフの口へと運ばれていった。それ私のだよ、と咎める暇もなく素早い行動にただただ目を丸くしていればジョセフは「うめぇ」と一言呟いたかと思えばにかりとイカスミで所々黒くなった歯を見せて笑った。その笑顔に、私はまだマカロニを一口も口にしていないとは言えなかった。
―――
私達がどうしてレストランにいたのか、それは、私がリサリサ様の元で修行をしているジョセフとシーザーを連れてリサリサ様が買い出しに出られるというので着いてきたことに起因する。リサリサ様より自由時間を与えられはてどうしようかと首を捻っていた私に昼でも食おうぜとジョセフが声を掛けてきたのだ。快くそれを受け入れ、ならばシーザーもと側にいた彼を振り返ったときにはもうそこに彼は居なかったのだ。そうして私達は二人でレストランへ向かったのだ。バジルソースのマカロニはとても美味しかった。ジョセフに手を引かれるままに、私達はこの町の小さな名物である噴水の前へとやって来た。手を引かれながら、私は私と同じくリサリサ様の使用人であるスージーQと目の前の巨躯 を持つ男は親密な関係に近しい筈だと記憶を思い出していた。二人がじゃれ合うのだってよく見たし、その度に微笑ましく思っていたのは記憶に新しい。さて、ならば何故、私の腰に彼の鍛えられた逞しい腕が巻き付いているんだろうかと、その問いに対する答えが浮かばなかった。
「……どしたのジョセフ」
「ん〜?いやァお前柔けえなあ」
ジョセフの身長が高いからか、彼が私を抱く力を強めると私の耳が彼の心臓の辺りに押し付けられるような形になった。とくりとくり、規則正しく打つ心臓の鼓動に何故か安心を覚える。身動きも取れないし、仕方ない。瞼を閉じて視界を暗闇で染めてしまえば、余計にジョセフの心音が身体に響いた。端から見たら私達はどう見えているのだろうかとふと疑問に思ったとき、私の脳裏にちらりと美しいブロンドが瞬いた。
「、え」
「……何をしてるんだ、ジョジョ」
ひらりと、目の前に見慣れたバンダナの先ともうひとつ、呼吸法矯正マスクで口元は見えないけれど、両手を開いて少しだけ目元を柔らかくしたジョセフの姿が瞼を開いた私の視界に映り込んだ。ぐっと引かれた身体は誰かに背でぶつかって、その誰かの腕に後ろから抱き留められた。誰か、だなんてわかりきっている。
「シー、ザー……?」
絶対的な確信を持っているのに、それが信じられなくて、名を呟いた途端に更にきつく抱き締める腕に、僅かに戸惑った。普段は口喧しい癖に、ジョセフは無言でひらひらと手を振って、私達の側で頬を膨らませている女の子に声を掛けに行ってしまった。きっと彼女は、彼が今の今まで共に居たシニョリーナだ。なら、それは、ジョセフの役目ではないでしょう?
「え、ちょ、ジョセ、」
「なまえ」
慌ててその背を追い掛けようと足を踏み出すも、彼は私を抱く腕の力を緩めようとはしない。又もや身動きの取れない私に、彼は静かに、けれど確かな力強さを孕んだ声で私の名を呼んだ。鼓膜を震わすその声が、今は少しだけ不愉快だった。
「シーザー、あの子行っちゃうよ?」
「別に良い」
彼もまた、ジョセフと同じで身長が高い。ジョセフよりは小さいけれど、女子の平均程の私の身長からすれば高い方だ。首が痛くなるのを覚悟して、彼のグリーンの綺麗な瞳を覗こうと顔を精一杯上げる。ばちりと視線が絡まると、彼は動じることもなく、ただ真剣に私を見ていた。
「良い、って……良くないよ、シーザーの“彼女”でしょう?」
「だから、別に良いんだ」
ぎゅう、と更に私を抱く腕の力が強まる。それと同時に、言い様のない息苦しさが私の身体を蝕んだ。それはきっと聞いてはいけない言葉だった。素直に、そう感じた。
「……そんなシーザーは、嫌い」
しっかりと、彼のペリドットみたいに美しい瞳を捉えたまま、はっきりと言葉を紡ぐ。は、と小さく彼の唇から声が漏れたかと思えば、彼の身体から力がするりと抜けていった。漸く離れられる、と彼の厚い胸を両手で私にできる限りの力で押せば、想定していたよりも彼の身体は力無く、頼り無く、私の柔な力で簡単によろめいた。それに対して私も驚いたものの、私の意識はよろけた彼よりも瞳を潤ませていたあの女の子が気になって仕方なかった。頭から、離れなかった。深く考えるよりも先に、私の両足は無意識にシーザーから離れるように地面を蹴っていた。残されたシーザーの、表情を、振り返って見ることはなかった。