みょうじなまえは入学当初、一部の人々の間で有名であった。一部と言っても本当に極一部、中学生時に美術に関わっていたような人間だけである。元より運動部に力を入れている箱根学園、美術部出身の者は大した人数はいなかったのだが、クラスが悪かった。何の因果か知らないが、なまえの属するクラスには文化部出身のものが半数を超えていたのだ。文化部同士ならば気の合うもので、そのクラスは随分と仲良くなるのが早かった。話題が無くなるのは誰しも嫌なことであった故か、美術部出身の者が挙って話題に上がるのは当然のことであった。

「みょうじさんの話、知ってる?」

そうしてジワジワと広まって行ったなまえの噂は、クラスの枠を超えて行ったのであった。元より自己主張をすることも、自分のことを積極的に話すこともないなまえからすれば、どうしてその話題が広まっているのだろうかと疑問に思うばかりであった。だが、不思議と居心地が悪くないのはこの時から既に仲良くしていたマキちゃんのお陰だろう、となまえは常々思っている。そうして、時折噂を聞きつけてやってくる人の視線を気にせずになまえは日々を過ごしていた。

奇しくもそのクラスには、その後有名となる福富寿一も所属していた。彼はというと現在とも変わらずに威圧感を放っていたために、クラスメイトにはある意味で一線を引かれていた。福富もまた、あまり口数の多い方ではない。…故に、なまえと福富は同じクラスであるというのに、福富が初めてのインターハイを応援という形で体験し、また、なまえは新開に恋をした後の秋、初めて言葉を交わしたのであった。

箱根学園は毎年体育祭、文化祭と片方を隔年催すのではなく、一年で両方を催している。その分、授業のスピードは早いのだが箱根学園の生徒の学力的にはそれは苦ではなかった。ただ面倒なのは、部活に時間を割いている生徒が多いために、準備期間を長く取れないことであった。特に文化祭は長く時間を取られる。どのクラスも短い期間で良いものを出そうと抜かりはない。なまえと福富のクラスもそうであった。幾度かの会議を繰り返し、なまえと福富のクラスは文化祭の定番、喫茶店を行うこととなった。そうと決まれば、と張り切って役割振り付けを役員である学級委員が振り分けて行くのをぼんやりと眺めているなまえに漸く自らの苗字が耳に入る。その次に続いた名前は、福富、であった。

そうして二人は、看板担当となった。

なまえが選ばれた理由としては実に簡単なもので、なまえならば美術部であるしデザイン性の高いものを作ってくれるだろう、ということ。福富が選ばれた理由は色を塗るだけの作業となるので部活に支障が出ないだろうから、ということであった。

「ええ、と、福富くん、よろしくね」
「ああ、こちらこそ」

初めての二人の会話はこれで終わった。なまえとしては福富に対しては特に何の感情も抱いておらず、敢えて言うならば新開と同じ部活って凄いなあ、という程度の感想しか抱いていなかった。福富はというと、そういえば入学当初に話題に上がってたのはみょうじだったな、程度であった。

そんな二人の関係が変わったのはとあることがきっかけであった。



「よう、寿一!」
「ああ、新開か」
「へぁっ」

ペンキを扱うために、教室では出来ないからと、二人は外で色塗り作業を行っていた。なまえは看板の下絵を描き、清書。それに従って几帳面にもはみ出さないように塗っていくのが福富、と分担して作業していた時のことである。突然姿を現した鳶色の髪を持つ少年…新開隼人は、福富に片手を挙げて声を掛けた。福富はペンキを扱う手をぴたりと止めそれに平然と返しているのだが、特筆すべきはなまえである。彼女は奇妙な声と共に下書きに使っていた鉛筆の芯をぱきっと折ってしまったのであった。

「おっと、驚かせたかな、悪い」
「あ、あああ、い、いやへーきで!す!」

ぶんぶん、となまえが目の前で両手を振った。新開は「ごめんな」と柔らかく微笑むと、再び福富へと向き直った。

「何やってるのかな、と思って話しかけたんだが、邪魔だったか?」
「…いや、そんなことはない」

左右に首を振り、福富は桃色のアクリル絵の具に筆を付けた。福富が今着色しているのは喫茶店の名前の背後に散らばる桜だった。キッチリとした性格故か、なまえの下書きからはみ出している箇所は見当たらなかった。なまえはというと、一度大きく息を吸って吐いて、高鳴る心臓を悟られないようにと平静を装いながら鉛筆削りを使っていた。ガリゴリ、その場を低い音が包んでいた。

「俺の所は劇をやるんだってさ。暇があったら見てくれよな。…まあ俺は、レースがあるから出れねえんだが」
「ああ。…勝てよ、新開」

漸くそこで、福富の視線が持ち上がる。それを受けた新開はというと、に、と微笑んでいた。なまえはそんな二人のやりとりを見て、随分と二人は深いところで繋がっているように感じていた。

「じゃ、寿一ってわかりにくい奴だけどいい奴だからさ、頑張ってな」
「え、あ、はい!」

ひらり、と左右に振られた手になまえは一瞬遅れるものの、慌てて返事をした。初めてまともに喋ってしまった、なまえは福富が傍にいることも忘れてほう、と感嘆の息を吐き出した。新開が去ったことにより、再び筆を動かしていた福富の筆が、その瞬間ピタリと止まった。

「…みょうじは…」
「え、?」

はっ、と目を見開いて、途中で言葉を止めてしまった福富の顔をなまえは覗き込んだ。まだちゃんと喋った期間は極短いものではあるが、彼の誠実さはその言動の節々や行動に垣間見られる。そんな彼が、言葉を濁すことはなんだか意外に思えたのだ。自転車競技部期待の一年生だというし、あまり話したことも話している姿も見なかったものだから、気難しい人だと思っていたのだが、この数日間でなまえの中での福富の印象は随分と変わった。だからこそ、福富のその一言に絶句した。

「…新開が、好きなのか?」
「……は、え、えっ?」

ばきっ、なまえの手の内にあった鉛筆が再び嫌な音を奏でた。見事に身体を二つに折られてしまったその姿は見るも無残なものである。…が、なまえは何故か恋心を当てられてしまったこともありかなり焦っており、それに気づかない。なまえは何故バレてしまったのかわからず、思わず両手で自分の頬を覆った。福富はそれを見て、確信したかのように一つ頷いた。

「…やはりか」
「ちょっ、ちょ!?な、なんでわか…」
「みょうじ」

凛としたその声に、なまえは思わず息を呑んだ。ひゅうひゅうと吹き付ける風が、二人の足元の落ち葉を攫って行く。すう、と福富が息を吸う。なまえは、それをただ見ていた。

「協力しよう」
「…え?」

「お前の想いを、届けるための協力をする」

福富はしっかりと、なまえの目を見ていた。なまえはというと、今まであまり話したことのない福富に何故そこまで言われるのかもわからず、一体どうしようかと戸惑っていた。福富の性格を考えれば嫌がらせ、なんてことは絶対にあり得ない。…きっと、これは、チャンスなんだろう。なまえは静かに決意した。一歩、福富に近寄るとなまえはその手を握った。

「お、お願い、します…?」

かくして、二人は協力することとなった。大切な高校生活の三年間を捧げる程の、想いを遂げるために。



秘密裏に結成


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