箱根学園は珍しく、冬休みが短い学校だ。その為、真冬の全国で有名な行事、クリスマスが休みに入る前になるというのは生徒にとっては嬉しいようで、悲しいような現実であった。
12月25日、その日はなまえにとってはある意味で決戦であった。…といっても、なまえ自身はそれに積極的に参加しようとも思えずに今年も観客側で良いな、と思っていた。しかし、それを許さないのが彼女の友人であるマキちゃんであった。
「ババ抜きで負けたら絶対やる、いいね?」
「ま、負けないからいいよ!」
ふっふっふ、と笑うなまえに対して、マキちゃんもまたにやりと笑った。なまえは気付いていないが、彼女はポーカーフェイスというものを全く使わない人間であった。普通の数字のカードに指を置けば眉根を寄せて唇を引き締めるし、ジョーカーを指し示せばそれこそ花が咲きそうな程の朗らかな笑顔を浮かべてしまう。これはマキちゃんが一年の後半に見つけた細やかな彼女の秘密である。発見して以来、マキちゃんは何かとババ抜きで勝負して全勝いるのだが、当の本人であるなまえはマキちゃんババ抜き強いなあ、程度にしか思っていないので少なくとも高校在学中はこの手が使えるだろうとマキちゃんは思っている。
そして、案の定今回もポーカーフェイスのポの字もない勝負を繰り広げたなまえはアッサリと負けた。ぐぬぬ、と唸るなまえを見下ろしながらマキちゃんはふふふ、と不敵に笑っている。
「はい決まり、クリスマスプレゼント渡しなよ」
「うう、…はい」
なまえは、机の横にかけた自分の鞄に目を遣った。何の変哲もない学生鞄であるが、その中には実は昨日寒さに堪えながらも作ったクッキーが入っていた。震える指先でいかにも、なクリスマス柄のラッピングを施したのは記憶に新しい。確かに、努力はしたのだからこれを廃棄してしまうのは嫌だ、なまえはぐっと拳を握り、鞄を持ち上げた。
「が、がんばり、マス」
「がんばって」
ひらり、と手を振ったマキちゃんの表情は随分と穏やかなものである。彼女が恋をして、彼が好きだと聞かされて、早一年は経っている。残りの学生生活、そして彼に関われる時間は、受験等のことを考えれば半年程であろう。その短い期間で、奥手中の奥手の彼女が出逢えるチャンスなど片手で数えられるか否か、程度だろう。可愛らしい友人の、淡い恋。応援しない訳にはいかないじゃないか。マキちゃんは教室から出るその小さな背に「頑張って、本当に」と呟いた。普段強引にしているマキちゃんだが、実のところそれは愛情故であるのだ。なまえと入れ替わるように教室に――満面の笑みを携え、諸手を挙げて――入ってきた自分の彼氏に思わず眉根を寄せたのも愛情故、である。
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新開隼人は部活の関係で人より多く食事を取る。とはいえ、彼とて怪物ではない。あくまで人より多く食べるだけ、である。何故か新開がよく食べる、と学校では広まっているようで、何かの行事の折には新開の元に多くの食物が届けられていた。バレンタインやハロウィン、季節の行事の時には度々彼の机の上や手持ちの鞄は可愛らしくラッピングを施された手作りのお菓子で一杯になっているのも既に見慣れた光景である。荒北はその光景を見る度に「食糧倉庫かよ」とぼんやり思う。自らのクラスに大量のプレゼントを抱えてやってきた新開と手ぶらの荒北に、これまた多くのプレゼントを机の上に載せている東堂がからりと笑いかけた。
「流石、今年も大量だな!」
「おめさんもな、尽八」
「ワッハッハ、当然だろう!」いつものように東堂の唇が言葉を紡いだ時、荒北は面倒そうに「ア〜うるせェ」と東堂の席の一つ前、空いた席にどかりと座った。新開はその荒北の席の一つ前にちらり、と視線をやってから隣に座る。
「…彼女なら先程出て行ったぞ」
「…そうか、残念だ」
折角来たのなら一目でも、と続けようとした言葉を新開は引っ込めた。余計な言葉を続けて女々しい部分を仲間に晒すのは恥ずかしく思えたからだ。さてどうしようか、そう思ったとき、がらり、教室のドアが開いた。そこから姿を現したのは、これまた彼等の部活仲間である福富寿一であった。平素より眉間に寄ったシワは何時ものことであったが、福富のアシストとして共に戦っている荒北と、中学から共に過ごしている新開には福富が少し困っているように見受けられた。
「おお、フクではないか!珍しいな!」
「ああ、少し用があってな…新開」
つかつかと東堂達の居る場所まで歩み寄ってきた福富は、片手に持っていたものを新開の目の前にずいっと寄せた。
「ん?」
「お前へのプレゼントだそうだ」
出来れば今感想をくれ、そう告げられた新開はぱちりと瞳を瞬かせた。得体の知れない人物からの物は常日頃から口にしたくないと思っている新開であるが、福富がこうして態々持ってくるということは彼からの信頼のある人物なのだろう、と判断出来る。新開はそれを受け取ると、綺麗にラッピングされた包装紙を出来るだけ綺麗に剥いた。
「クッキーか」
オーソドックス、とぽつりと呟く荒北にうむ、と一つ頷いた東堂を横目に新開は幾つか詰め込まれたうちの一つを摘み上げた。焼いている間に膨らんで先端が丸くなったであろう星型の何ら変哲のないクッキーである。焼き色もさして悪くはない。味まで普通だったらどうしようか、そう考えていた新開であったがじ、と見詰める八つの瞳に促されぱくりと一口でそれを放り込んだ。
「……」
「…どうだ?」
さくり、クッキーに歯を立てれば柔らかまでとは言わずとも丁度いい程の固さ。鼻腔を擽るのはバニラエッセンスの心地よい香り。
一言で言えば、美味い。それに尽きた。
「…美味い、」
「そうか、伝えてくる」
新開が呟いたその言葉を耳にした途端、福富は頷いてそのままスタスタと立ち去った。一体なんだったんだ、と驚く東堂と荒北を他所に、新開は何故かなまえのことを思い出した。…そういえば、彼女はどこへ行ったのだろうか。なまえの机の横の鞄は、チャックが開いていた。
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なまえは静かに目を瞑っていた。クラスを出てから真っ先に向かったのは福富のところであった。自分一人じゃ彼と話す勇気も度胸もない、とはいえ自分で渡すのも無理、そう考えて頼ったのは福富であった。福富は事情を話せば一瞬眉根を寄せたものの、快諾した。彼がどういうのか、ネガティブな考えばかりが先行する頭の中を整理するように、なまえは静かに福富の帰りを待っていた。
「みょうじ」
「ふ、福富くん、どど、どうだっ、た…?」
やばい吃りすぎ、と焦る自分を落ち着かせるように胸に手を当てるなまえに、福富は少しだけ笑みを浮かべた。…のだが、落ち着くのに必死ななまえはそれに気付かずに自分の鼓動が異様に早いことに驚いた。
「美味しいと言っていた」
良かったな、と柔らかに笑む福富に、なまえはぱっと笑顔を浮かべた。
「う、うん、有難う福富くん…!」
本当に有難う、そう笑顔で告げてなまえは自分のクラスへと戻るために踵を返した。その背を見送りながら福富はふう、と小さく息を吐く。柄じゃないことはよくわかっているが、どうにも彼女には協力したくなってしまう。福富はそんな自分を不思議に思いながら、先程まで読み耽っていた本を再び読み始めた。
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るんるんの足取りで教室へと戻ってきたなまえを横目で見た新開は少し驚いた。彼女があそこまで露骨に喜ぶのはあまり見たことがないからだ。しかし、自分の席の後ろにいる新開たちを視界に入れた途端にまるで風船が萎んだかのように明らかに静かになったなまえはすぅっ、と喜色に満ちた表情を真顔に変えた。まさか、新開くんがいるなんて、なまえの頭の中はそれで一杯であった。真顔のまま自席に座ると、背後の荒北や東堂の笑い声を耳にしながらなまえは机に突っ伏した。穴があるなら入りたい、先程の嬉しい気分とは一変してその気持ちが胸中を埋めていた。
そんななまえに対して、新開は彼女の表情の変化を目の当たりにしてふ、と小さく笑った。こんなにも彼女の反応が見れるのは初めてのことだ。最早これが俺にとってのプレゼントだな、と染み染み思うのであった。
二年のクリスマス