一つのことに集中すると他のことが見えない、というのは私の昔からの欠点である。小学生の時、担任に用があった私は職員室の前で仁王立ちしていた。今この中では、職員会議という私の理解の及ばない大人の話が行われている、ということをその当時の幼い私は知らないでいた。だから何も思うことはなくがらりと職員室の扉を開けた私は、無遠慮に顔を出して職員室をぐるりと見渡した。驚きの表情を浮かべた教師達の顔に気付くこともなく、担任を瞳に映した私は戸惑うこともなくズカズカと職員室に立ち入ったのだ。


―――結果、怒られたのだけど。



「はっ、お、思わず本音が…」
「本音…あ、案外ハッキリと言うのだな…」

ひくり、何故か顔色の悪い東堂君に私はクエスチョンマークを浮かべることしか出来ずに少し困ってしまった。状況を把握しようと目を動かせば、少し目を見開いた新開君の姿が私の視界に入った。その瞬間、私の悪癖を彼の目の前で露呈してしまったことに対しての後悔が私の胸中を覆い尽くした。それはまるで、青空が突然曇天に変わるような、そんな感覚。その光景が瞼の裏に容易く描けた私は、心を落ち着かせようと自分の胸元をそっと撫でた。

「みょうじ?」
「あ、福富くん…そ、そういえば私に用って…?」

突然ピタリと止まった私を不思議に思ったのか、福富君がぽんと肩に手を置いてくる。そして私はどうして自分がここにいるのかを思い出して、福富君を見上げて質問する。福富君は一瞬だけその鋭い目を瞬かせたと同時に、私の後ろにいた私が絶賛勧誘中の彼に目を向けた。

「泉田、練習に戻れ」
「え、あっ、はい!」

ピシッと、そう言った福富君は流石は全国区の自転車部を束ねる主将だと素直に感心した。普段はとっつきにくいような鋭い目つきをしているものの、話してみれば普通の男の子だと思っていた私からしてみればなんだが新しい発見をしたような気持ちである。…それより、私の勧誘が途中でシャットアウトされてしまったのは由々しき事態である。部長モードの福富君にはあんまり私も何も言えないし、とどうしようかと頭を悩ませていると、今度は福富君がくるりと振り向いて東堂君達の方を向いた。

「東堂、新開、荒北。お前達も早く着替えて練習を始めてくれ」
「ア?福チャンはどうするんだァ?」
「俺は…」

福富君はそこで言葉を切った。ん?と思って私より高い位置にある福富君の顔を見上げると、なぜか一心に私の顔を見ていて一瞬だけ、本当に一瞬だけ悲鳴をあげそうになった。

「みょうじと話がある」

ぽん、と肩に手を置かれて吃驚して少し飛び跳ねたのは私だけの秘密である。


ーーー


「合同、合宿…?」

きっと今の私は他人から見たら明らかにきょとん、としているのだろう。自分でもそう思えるほどに私は困惑していた。「そうだ」と答える福富君が嘘を言っている様子は微塵もない――というより、彼が嘘を吐く訳がないのだけれど――から、本当のこと、なんだろうけど。

美術部と自転車競技部の合同合宿、って…なにそれ?

「美術部の顧問の杉原先生が提案して下さったんだ。マネージャーのいない自転車競技部のサポートをさせて構わないから題材に取り扱わせてくれ、とな」

杉原先生と呼ばれるその人は、私達美術部の顧問である。ふわふわとした猫毛で、くりっとした目をしていて、何故か虎柄の眼鏡をかけた女性的な顔つきをした歴とした男の先生だ。その細い肢体と髪の毛から生徒からはモジャモヤシと呼ばれているというのは、割と学校では有名な話である。私達美術部員は尊敬と愛を込めて杉ちゃんと呼ばせて頂いている。

福富君の口から飛び出した言葉がよくわからず、え?と思わず首を傾げるの、福富君はぐっ、と眉間に皺を寄せた。これは、彼が困ってしまった時の表情だと私はよく知っていた。

「うーんと、つまり私達が自転車競技部さんのマネージャー的な役割をやって、それで対価として題材に取り扱わせて頂くってこと…?」
「ああ、そういうことだ」

こくり、と頷いた福富君に私も成る程、と頷く。自転車競技部はとっても人気な東堂君と新開君――あと、確か今年入った一年生?も人気らしい――という人気者がいるせいで、マネージャーの募集枠二人に対してクラスひとつ分程の募集が集った、とかなんとかで現在女子マネージャーがいない状態であるというのは有名な話である。合宿をやるにあたり、互いに利害が一致するとの理由でこうなったのだろうとは、簡単に予測がついた。

「後はみょうじが同意すれば合同合宿は決定だ」

どうする?と聞いてくる福富君に私は小さく溜息を吐いた。結局の所、そういうことなのだな、と。認識してしまうとなんだか気分と言うのは降下するもので、きっと福富君からは私は不機嫌そうに見えたことであろう。

「…うん、やりたいよ。やりたい」
「…では決まりだな、詳細は逐次杉原先生から聞いてくれ」

ガタン、とパイプ椅子から立ち上がった福富君は、その鋭い目を少しだけ柔らかくして「俺も、助かる」と仄かに口端を持ち上げた。福富君の笑顔って相変わらず、素敵だなあ。私もまた、「こちらこそ。助かるよ」そう笑って答えたのだ。

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