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そんな私をちゃんと見てくれる人が出来たのは私が12歳になったときだった。 産休で休む先生の代わりに来た音楽の先生は、私を初めて見た時 「あなたすごいつまらなそうな目をしてるわね」 「わかるんですか?他の人は誰も気付かなかったのに…」 「当たり前じゃない教師なんだから」 そう言ってきた。 立ち入り禁止の場所でしかも先生の癖に煙草を生徒の前で吸いながらその会話は行われた。 私の特等席はいつの間にか私達の場所になっていた。 先生は普段はこんな先生らしくはないが一歩そこから出るとちゃんとした先生だった。 その姿は自分を見ているようでなんとなく親近感があった。
先生の口癖は"歌は素晴らしい"授業のたびにその言葉を聞かされた。 一度それについて尋ねてみると 「歌は言えない思いとかを歌詞として周りに思いを伝えてくれるでしょ?それが他人に伝わらなくても自分の心をさらけ出せる。だから歌は素晴らしいのよ」 「ふ〜ん……じゃあ私に悲しいときの歌を教えてよ」 「なら特別に私が作った歌を教えてあげるわ」
「あの時の歌がそれか?」 三蔵の問いかけに私は頷いた。 「あの歌の他にも特別に教えてくれた歌はあるけど…」 「けどなんだ?」 「たった一つ歌ったことがないのがあるの」 そう、あれは最後に教えてもらった… 「三蔵…もし旅が終わったらその歌を聴いてくれない?」 「…気が向いたらな」 その歌の名前は『幸せの歌』 そして先生が死に際に歌ってくれた最後の歌。 あの日の事を思い出してしまい身体が震えてくる。 「続きは」 「先生は私のせいで雨の日に…雨の日に…」 続きが出てこない。 と、嗅いだ事のあるタバコの臭いと温かさに包まれる。 「ありがと…雨の日に、私を庇って死んだの」
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