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―北方面―
江雪左文字は苦戦していた。
普段なら対した痛手を負うような相手ではないはずなのだが、立て続けにくる敵を斬り伏せるうちに疲労が出て来てしまったのだろう。
珍しく弾む息に顔を歪めながら、本来ならば振るいたくはない刀を構え直す。
戦いたくない、という言葉は今は飲み込む。
今ここで自分が刀をおろせば、それはきっと大切な主や仲間の「死」を意味してしまう。
斬りつけられ痛む肩を押さえながら、江雪は向かってくる敵脇差の胴を切り裂いた。
大倶利伽羅もまた苦戦していた。
隣で刀を振るう江雪は、肩を斬りつけられていた。
おびただしい量の血が流れているのに引こうとしないのは、彼の意地なのか、大倶利伽羅を庇うためなのか。
というのも、大倶利伽羅はとうに中傷程度の傷を負っていた。
目の前の敵だけに気を取られていたせいで、背後の気配に気付くのが遅れてしまったのだ。
そのせいで挟み撃ちとなり、あの瞬間は破壊をも覚悟した。
なんとか江雪の助太刀もあり敵を倒せはしたものの、代償はなかなかに大きいものだった。
刀を振るうたびに痛む体のせいで、威力が弱まっているように感じて苛立つ。
ザンッ、と江雪の刃が敵太刀の体を斬る。
この場所に残る最後の一体だったそれは、力なくどしゃりと地面に崩れ落ちた。
「……無事ですか」
「ああ」
ちらりと、互いに目をやれば、満身創痍といった相手の姿そこにあった。
ひとまずこれで敵は片付けた。すぐにでも他の仲間の救援に向かうべきなのだろうが、この体では足手まといになってしまうだろう。
ようやく敵の群れからも解放されたのだ、一時主の待つ手入れ部屋に戻り万全の状態に整えるのが最善策だ。
それは江雪も大倶利伽羅も、言葉にはしないが同じ意見だったようで、ぐらつきながらも歩き出す。
一歩、また一歩と歩みを進めたその時、二人の背後にぞわりと嫌な気配が濃く現れた。
ズズズ、とノイズのような音と共に空気が陽炎のように歪む。いびつに歪められた空間の隙間から見えたのは、太い腕だった。
「大太刀か……っ!」
大倶利伽羅の苦しげな呻きに答えるように、それは完全に姿を現した。
禍々しい赤色を纏って、大きな刀身を担ぐようにのっそりと立つ姿は、今一番会いたくない相手だ。
いや、槍が相手でないだけましだと思うべきなのかもしれない。大太刀が相手ならば、ひとまずは逃げ切ることが出来そうだ。
しかしそれは、いつもの状態ならの話だ。今のこの体でそれが本当に出来るのか、可能性はずいぶんと低いものなのだろう。
それならば、答えは一つに決まりきっている。
「退く気は……無いようですね……」
「来るぞ、構えろ!」
こちらが刀を構えると同時に、雄叫びをあげながら敵は腕を振り上げる。
……ふと、二人の背にぽんと柔らかい衝動が伝わった。
「兄様は、休んでて」
「……無理をするな」
ふわりと風が二人の間をすり抜ける。白と青を視界に捉えると、途端に先ほどまで壁のようにあった赤色が揺らいだ。
地面を蹴れば、軽い体は簡単に宙を舞う。
青色が蝶のように空で揺れながら、ぎらりと目を光らせた。
「僕の刃、受け止めてよ!」
小さな体が、容赦なく空から大太刀を捕らえる。首筋を的確に狙ったそれは、致命傷となって大太刀を襲った。
ここで倒れてもおかしくはないはずなのに、敵は踏みとどまる。斬りつけられたことで頭に血が上ったのか、がむしゃらに刀を振り回し始めた。
だがそんな無茶苦茶な攻撃で、体の小さな彼を仕留める事など出来るはずが無い。
吹き出す血を押さえながらも倒れず、なおも敵を斬ることのみを成そうとしている巨体の前に、一振りの刀が静かに立つ。
白い布が、敵から江雪と大倶利伽羅を隠すように広がる。
「そら、来いよ。俺はここだ、かかって来い」
刀をまっすぐ突きつけ、挑発的に笑みを浮かべるのは金の髪をした打刀だ。
敵の目には、さぞや良い的がいたものだという風に見えたのだろう。無防備にも刀を構えず立ち尽くすその体に、ためらう事無く大太刀を振り下ろした。
メシャリ。
「ガ、ッ……!」
「……ふん」
巨体の手から、刀がこぼれる。懐には、美しい刃が深く突き刺さっていた。
突き刺さったままの刀を容赦なく横に薙いでやれば、敵大太刀はあっけなく終わりを迎えた。
「隊長」
「ああ、怪我はないか」
「僕は大丈夫。……それより、兄様たちが」
そう言って、白と青――山姥切国広と小夜左文字は、後ろできょとんとした顔を浮かべている二振りを振り返った。
「主の命で、あんた達の救援に来た」
「別本丸の刀でしたか……助かりました、ありがとうございます」
「いや、折れずにいてくれて良かった。怪我人がいればすぐに手入れ部屋に運べと言われたんだが……歩けそうか?」
「私は、なんとか」
少々疲れてはいるが、傷といえば肩くらいのものだ。
江雪は心配そうに見上げる小夜に微笑みながら、問題は、と大倶利伽羅を見ると、ふいと顔をそらされてしまった。
「おい、よく見れば重傷の一歩手前じゃないか」
一人歩き出す大倶利伽羅を支えようと山姥切は腕を伸ばすが、振り払われて叶わない。
とはいえ、これも予想していた反応だ。なにせ相手はあの大倶利伽羅なのだ。
「触るな。この位一人で歩ける」
「ふらついてるくせによく言えるな」
思わず返せば、「放っておけ」とでも言いたげな視線、いや、睨みを返された。
……仕方がない、諦めて遠巻きに見守るしかなさそうだ。幸いなのは、行き先がきちんと手入れ部屋らしいということだ。
山姥切はそう結論づけて、大倶利伽羅より数歩後ろを歩き始めた。
「僕らも行こう。……敵が来ても、僕が殺してあげるから」
差し出されたのは、小さな手だった。
戸惑って江雪が手を見つめていれば、小夜は自分から江雪の手を取って緩く引いた。
周りを警戒しつつも、江雪を気遣いながら歩くその小さくも逞しい背中に、江雪は静かに微笑むのだった。
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