企画 | ナノ


生まれて初めて、綺麗だと思った。
もう何度も前の満月の夜に見たあの姿が網膜に焼き付いて離れない。

もう一度逢えたら

そう切に願う。


息を詰めるようないとしさ


世の中、馬鹿げていると思う。いや、馬鹿げているのは自分たちの存在なのかもしれない。
狼人間。俺たちは、人間がそう呼ぶ存在だった。
人間に忌み嫌われ、静かに暮らすための森も奪われつつあるこの時代では、俺たちは人の間に隠れて暮らす術を身に着けていた。そもそも人間と同じ言語を話し、同じような姿をしているのだからばれはしない。人間が勝手に勘違いしているようだが、オオカミになるのだって自由自在なのだ。というか、制御出来なきゃ大人とみなされない。だから子供の頃から訓練していく。いい年して制御出来ないやつは、裸で道を歩いているくらい恥ずかしいやつとして認識されるのだから。
まあ、そんなことはどうでもいい。ぶっちゃけ、人間はもう敵ではない。人の間で暮らすようになって、混血化が進んだ。でもだからといって所謂“オオカミになる”性質が衰えるわけではなかったから、“人ではないもの”ながら人と寄り添って上手くやっている方だと思うが、それをよく思わないのは吸血鬼どもだった。
狼人間と吸血鬼は、大昔から犬猿の仲だ。そして今もそれは変わらない。
“人ではないもの”ながら人に溶け込み暮らす俺たちを、下賤だと罵るのだ。

「人間と上手く寄り添えねェっていう嫉妬だろ、どうせ。あいつら夜行性だし。血ィ吸うし」

仲間内の会合でそう言ったことがある。その時は、

「仲間内だからその失言は許すけどね、大輝。その言葉を吸血鬼たちの前では言わないことだ、干からびたくなかったらね」

と族長である赤司にたしなめられたが、俺は今でもそう思っている。
僻みだ、と。
そんなに俺たちがうらやましいなら献血ルームで働けばいいのだ。給料の代わりに血を少し恵んでもらえばいい。それで万事解決だろう。
…そんなこと言ったら赤司に殺されそうだから二度と言わないけど。

そういえば今日は満月の夜だったと、煌々と輝く月を見て思い出した。
ふと蘇る記憶。何度も前の、満月の夜。あれから何度かあの丘には行ったが、もう一度会うことはなかった。

―――久々に行ってみるか

どうせ暇だ。それに今日は赤司もいない。所用で出かけているだけだが、時間さえ気にしていればばれることもないだろう。あそこは縄張りの区切れ目、吸血鬼と狼人間、互いの領土の境で、何かあっては吸血鬼対狼人間の抗争に発展しかねないから赤司が何かと警告をしている。あそこには近づくな、近づけばどうなるかわかっているね、と。
でも、それでも、俺は行きたかった。

森の奥を進んでいく。人の姿では思う存分スピードが出ないので、獣化してひたすら走る。吸血鬼どもの領地が近づくにつれ霧が濃くなるが、今日は満月だしそれにいつもの満月よりもずっと明るい。その場所には思ったより簡単にたどり着いた。
今日は、

―――今日は、……いる。いる、あいつだ

あれ以来会うのは初めてだった。やはり、光に照らされたその姿は綺麗だと思った。
丘の上、満月を見上げて、そいつは何を思っているのか。
それに見とれて足元への注意が散漫になっていたせいで、ジャリ、と音が立つ。ただでさえ静かな夜なのに、ここは領地の境、不気味なほどの静寂が漂う場所だ。そんな些細な音もよく響く。
視線の先の人影がこちらを向く。

「…誰?野犬、のわけないよね。動物はここの静寂を嫌うもの。それに狼なんて、現代にはあなたたちくらいしか残ってないし」

そう、ここは人間が迷い込むには深過ぎる森の奥、動物も嫌う静寂の漂う“人にあらざるもの”の領土の境。人の姿をして、満月に照らされた美しい目の前の彼女もまた、“人にあらざるもの”である証。

「…そうだろうなとは思ってたけど、やっぱり吸血鬼だったんだな」

獣の姿から人の姿へと変化させながら言う。

「ここに人間が、しかもこんな満月の夜にいるなんておかしいでしょ?そんなことしたら噛まれにきているのと同じ、自殺行為だよ」

満月を見上げていた目はもうこちらをしっかりと見つめている。真っ赤な血の色をした目。吸血鬼の目だ。

「それに…私、あなたに会ったことあったっけ。初めてじゃないみたいな物言いだね」
「随分前に、見かけたことがあっただけだ。ここで、な」

互いにいがみ合うような仲のはずなのに、不思議と俺たちのやりとりにそんなものは一切なかった。ただ一定の距離をおいて、向かい合って平然と話している。

「私が言えた事じゃないけど、ここ、立ち入るなって言われてるんじゃないの?」
「族長の目を盗んで来たに決まってんだろ」
「やっぱりそうなんだ、気が合うね。私も族長の目を盗んできた」

何でもないように笑うから、拍子抜けした。こいつは変だ。他の吸血鬼なら狼人間に会った瞬間から蔑むような視線を寄越す。こいつは俺を狼人間と知ってもそんな視線を寄越さないばかりか、笑ったのだ。
思わず、変なやつ、と言葉をこぼせば、ここに来てる君も実際変なやつでしょ、と返された。まあ確かに族長赤司の言葉を裏切ってまでここに来るやつ、つまり俺は相当物好きだろう。ばれたら恐ろしい目に合うのは目に見えているにもかかわらずここに来ているのだから。だが、そこは目の前にいる女も同じだ。でもこいつは、笑ったのだ。俺に向けて。狼人間の俺に向けて、だ。こんな変なことがあるか。

「変な顔」
「あ?」
「拍子抜けした顔」
「……吸血鬼が俺らに笑いかけるなんざ、有り得ないことなんだから当たり前だろ」
「そう、…そうだよね。普通ならおかしい。でもその普通って、何なんだろうね」

相変わらず満月は煌々と光っている。その光を遮る雲もない。
月光はやわらかく彼女を照らして、彼女はそれを見て眩しそうに目を細めながら言った。

「種族が違うだけで、笑いあうこともないって、何?馬鹿馬鹿しいと思わない?」

やはりお互い、族長の意思を裏切ってまでここに来るくらい、おかしな奴らだったのだ。
二つの種族の関係性なんて、今更気にする奴らがどれだけいるか。
ただただいがみ合ってるだけだ。

そりゃあ、馬鹿馬鹿しいだろう。

俺は何も口にしなかったが、合った視線で察したのか、彼女はまた笑う。

「こっち、来ない?変わり者同士、話したいな」

思わずその言葉の真意を、探ってしまった。これは長年の、条件反射だ。
噛まれるか?狼人間が噛まれたらどうなるんだ?そもそも俺は吸血鬼とはいえ女に後れをとるのか?

俺は彼女の方へと歩いて行った。
考えていたら馬鹿馬鹿しくなってきたのだ。
こんなところに来てまで食事か?しかも、人間の血よりはるかにまずい狼人間の血を?
やはり変わり者なのだ。

「今日は絶好の食事日和じゃないのか?」
「あー…普通の吸血鬼なら、そうかも。でも私、吸血鬼としての血が薄いからあんまり血は好きじゃない」
「じゃあ、何食うんだよ」
「人間と同じもの」
「ほとんど人間じゃねえか」
「そうだね、日光に当たれないことと、異常な回復力以外は同じかも」

吸血鬼と人間、どちらに近いのか、自分でもよくわからないらしい彼女は、それでも仲間内で差別されるようなことはないという。
だから余計に、狼人間と吸血鬼がいがみ合う理由がよくわからない、と。

「僻みじゃねえの」

思わず言ってしまったとき、さすがに肝が冷えた。
赤司に言われた言葉を思い出して、まさに今、その種族のやつを目の前にしているというのに。

「私もそう思う」
「………は?」
「え?」
「そう、思う…?」
「え、だから、僻みだと思う」

真っ赤な目は恐ろしいほど真っ直ぐこちらを向いている。
それには疑う余地なんてない。

「狼人間のあなたたちは、もし人を好きになっても、ちゃんと添い遂げられるもの。でも私たちは違う。愛する者の血は他のどんな血よりも甘美で、私たちはその欲に抗えない。おまけに活動時間帯が全然違う。日光を浴びたら灰になってしまうんだもの…人と添い遂げるなんて、無理に近い。……だから、僻んでるのよ」

昔は吸血鬼が狼人間を飼っていた時期すらあった。なのに、互いに領地を奪われながらも人間と寄り添い、勢力も変わらない狼人間たちがいる一方で、混血化による能力の低下、能力の低下したものは噛んだ相手を吸血鬼にすることもかなわず、好いた人間とも添い遂げられない。

「そうやってずっといがみ合って」
「……ああ」
「馬鹿みたいよね」

そう言って目を細めた彼女はやはり、綺麗だと思った。



* * *




それから、満月の夜に会うようになった。お互い約束をした覚えはないが、行けばいるし待っていれば来るのだ。するのはたわいもない話だったがそれがやけに心地よかった。

今日もまた満月の夜で、周りの目をかいくぐって何時もの場所に行こうとした。

「大輝」

その一声で、周りの空気が一気に張り詰める。

「……赤司、」
「満月の夜、毎回どこに出かけているんだい」
「どこでもいいだろ」

赤司が笑っている。これにいい意味なんてない。
わざわざ回りくどい言い方なんかして、全てお見通しなんだろう。

「僕に隠し事なんて、できると思っていたのか?」
「……………」

さっきと一変して、赤司はひどく真剣な表情でこちらを見る。真っ直ぐ、視線をそらさせはしない。

「満月の夜の度に向こうの族長の娘と会っているなんてね」
「族長の、娘……?」

その話の信憑性は、赤司が語っているというだけで十分だった。
あいつは、自分の血は薄いと言っていた。異常な回復力と朝日を浴びることが出来ない以外は人間と同じだと。飯だって、ちゃんと食事をとらなきゃいけないから面倒だと、そう言っていたのに。

「大輝」

でも、

「これ以降、会うのはやめろ」

それがなんだって言うんだ?

「やめねえよ」
「大輝」
「惚れちまった、好きになっちまった。吸血鬼だ何だなんか何の障害にも思えねえほど好きになっちまったんだよ」

赤司が俺を睨んでいる。
赤司、悪いな、ちっとも怖くねえよ。

「出てけって言うなら、俺は一族から出て行く」
「本気で言ってるのか」
「ははっ。だりぃけど、すげー本気なんだわ、これが」

眉間にしわを寄せたままの赤司は、厳しい顔を崩さない。普段の俺なら、もっと違う対応をしていたんだろうが、後には引けないし、前から腹はくくっていたのだ。何にしても動じることはないだろう。

「狼人間と吸血鬼では、子をなせないと言ってもか」
「わざわざいがみ合うようし仕向けたのも、大方それが理由なんだろ」
「お前にしては頭が冴えてるね」

満月の夜は互いに、最も活動しやすい夜なのだ。つまり、一族が襲われるかもしれない、危ない日でもある。そんな日に、何故両族長が相手も明確に明かさず会合に出かけるのか。その答えがそれだということだ。

「ガキが出来ないのは残念だが、それでも俺はあいつといたい。大体、いがみ合わせる必要なんてあるのか?放っておけばいいじゃねえか」
「そうもいかないよ。一族の繁栄のためには子孫を残さなければならない。吸血鬼だろうと、狼人間だろうとね。利害が一致したんだ、互いの繁栄のために手を組むのは当たり前だ」
「当たり前、か。族長のお前からしたらそうなのかもな」

でもやはり、そんなことは俺には関係のないことに思えた。
この、抱える愛おしさに比べたら。

「お前がそこまで言うからには向こうの御嬢さんは本気なんだろうな」
「さあ…?知らねえよ。確かめたことなんかねえし」

叱責が返ってくるかと思ったのに、返ってきたのは呆れた溜め息だった。
お前も馬鹿だな、確かでもないもののために一族を出ていくというのか、とその視線だけで何を言っているかわかるんだから俺も賢くなったもんだ。

「こうして僕と話している時間も惜しいっていうのか」
「そうだな。俺は早く行きてえ」
「本当に……呆れてものが言えないとはこのことだな」

赤司が再び溜め息をついた。いよいよ、出ていけと言われるのだと思った。
なのに。

「わかったよ。長い説教はお前が帰って来てからにしてやる」

こいつは、

「だからちゃんと、ここに帰って来い」

仕方ないなと言うように笑ったのだ。

「……っは、随分甘ったれな族長だなあ、赤司」
「まあ、そうかもね。向こうも似たようなもんだと思うけど」

行っておいで、あまり遅くなるんじゃないよ、なんて父親面すんなっての。
軽口を心の中でぼやいて、でもきっとあいつは、「帰って来い」の言葉で俺がひそかに安堵したことに、間違いなく気付いているんだろうと思う。



* * *



「遅かったね」

彼女は既に来ていた。いつも通り満月を見上げて、俺が近づいた気配に気付き、声をかける。

「……ばれた」
「知ってる。私もばれてたから」
「は?いつだよ」
「今日。ここに来る前に言われた。父親に。帰って来るなって言われると思ったのに、『ちゃんと帰って来い。帰ってきたら説教だ』って。拍子抜けしちゃって」
「似たようなもんかよ…っていうかそっくりそのままじゃねえか」

なんだか馬鹿らしくなって、気付いたら二人で笑っていた。
静かな領地の境目に、けたけた笑う声が響く。それがまた場違いで面白くて、笑いが止まらなくなって、ろくに酸素も吸えずにひいひい言って、腹を抱えていた。
お互い目じりに涙が滲む。

「私、迷惑だろうから一族から出て行くなんて言っちゃって。駆け落ちみたいに、大輝とって想像してたけど、よくよく考えると大輝の気持ち聞いたことなんかなかったのにね。父親にすごく呆れられて、そりゃそうだよなあ呆れるよなこんなこと言われたら、って自分のことなのにすごく客観的になっちゃって」
「……そんなところまでそっくりそのままかよ」
「え?」
「俺も、似たようなもんだよ。お前の気持ちろくに聞いたこともねえのに一族から出てくなんて言って、赤司に呆れられて、しまいには父親面されたしよ……今更照れんなよ、先に爆弾発言したのそっちだろ」

ようやく色々と思考が追いついたのか俯き顔と耳を真っ赤にする彼女に呆れれば、小さく「ばか」と言葉が返ってきた。

「お互いさまだろ、揃いもそろって馬鹿だ、救えねえな」
「……そうだね、救えないくらい、馬鹿だね」
「ほんと呆れるよな」
「呆れる」

しばらくやり取りをすればその度に返ってくる声が落ち着いた。

「でも、馬鹿になるくらい好きだわ、お前のこと」
「私も、勝手に駆け落ち想像しちゃうくらいには大輝のこと好き」
「一族捨てる覚悟とか、重い女だな、お前」
「お互い様ですけど。大輝の方がよっぽど重い。それに女に重いは禁句」

月をただ見つめる彼女は綺麗だった。
そんな彼女を俺は遠くから見ていた。

「名前」

今は隣にいる。
一緒に月を見て、話して、笑っている。「なんですか」

ああ、ほら、やっぱり、いや、ずっと前のあの記憶よりも。

「すげー好き、…です」

息を詰めるように綺麗で、

「……私も、大輝のこと、すげー好き、です」

息を詰めるように、いとおしい。




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