「…あら、先生。こんにちは」
「あいつは」
「田中先生のところです。トラファルガー先生はいつも名前がいない時に限って来ますよね」
「……………」
ばつの悪そうな顔をした彼に、お茶を出した。軽そうな感じがするのに、意外にもこのひとは一途だ。
「まあ、もう少しすれば帰ってきますよ」
「最近多くないか、第一科に顔出すの」
「先生がここの病院にいらっしゃった時期がたまたま少なかったんですよ。前から大体これぐらいです」
名前は優秀な第一科の田中先生に助言を求められるほど、その実力を認められている。本当は第二科を第一科に統合して、総合診療科と改めようという動きもあった。いつの間にかその話もなくなっていたが。
「にしても、お前も変なやつだな。媚も売らねェし、」
「あの看護師たちと一緒にしないでくれます?」
「…あいつに迷惑がられてる俺を無下に扱うこともない」
「そんなことしませんよ」
だって先生、イケメンだから、と言うと、あからさまに顔をしかめられた。
「矛盾してねェか。あいつらと一緒にするなと言っただろうさっき」
「あの子たちはあなたのこと恋愛対象として見てますけど、私は目の保養、としか思ってませんよ」
「目の保養、だァ?」
「イケメンだからって、好きなタイプだとは限りませんってことです」
「ほう…つまり、俺はタイプじゃないと」
からかうように言ってくる。
「タイプじゃないですね」
からかうように返した。それに、先生は笑う。私も笑う。恋愛感情は湧き起こらないが、馬は合うのだ。
いつもならここで名前の話の一つや二つするのだが、今日はちょっと私もやるとこがあった。なので一言、先生に声をかけて裏に入ろうとしたとき、近くにあったキャスター付きの椅子につまずいた。今回は運が悪く、キャスターが診察台の脚に引っかかって、道をあけてはくれなかった。バランスを崩す。
「…案外危なっかしいな、お前」
私は先生に抱き留められていた。すみません、ありがとうございます、と返しながら、この状況はやばいなと思った。その瞬間だった。
「可奈子、ただい、………うん、お邪魔しました。ごゆっくり」
嫌な予感とは当たるものだ。瞬間的に頭をよぎった考えが現実のものに。
閉じられた扉を見て思わず溜め息をつく。ただでさえ鈍いのに、更に面倒なことになってしまった。
「…やっちゃいましたね、先生」
「………やっちまったな、これは」
起こしてくれた先生も少し苦い顔をしていた。
「すみません、」
色々な意味を込めて言うと、
「怪我がないならいい、気にするな」
と返ってきた。
そこで先生がひとつ、溜め息をつく。
「文句のひとつも言ってくれないのか」
そんな小さな声が聞こえたような気がした。
だから分からない振りをした
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