いま胎児に還る | ナノ


だるさのとれた身体を起こすと、額から何かが落ちた。目覚めたばかりのぼうっとした頭ではそれを認識するのに少し時間がかかった。そう、何かって、濡れたタオル。

「―――……、」

そうだ、俺を家まで送って、頼まれてもいない看病までしたあのお人好しの医者が、ここにいたのだ。

「………くそ、」

熱に浮かされていたせいか、変なことをしてしまった。
手の甲と瞼にキス。
自分の頭が都合よくそれを忘れることはなかった。

今日は滅多にない休みだ。
寝ていても良いが、昨日自分がした余計なことを思い出して頭が冴えてしまった。もう寝られない。

仕方なく部屋を出る。
シャワーでも浴びようと、風呂場へ向かいながら上に着ていたものを脱いだ。
ふと、そこで廊下の先にあるリビングに違和感を感じた。やけに明るい。そのまま、違和感を確かめるべく、その先へ向かった。

「………帰ったんじゃなかったのか、」

視線の先の人物は、キッチンで朝飯を作っている最中だった。ドアの開いた音、俺の声で気づいたのか振り向く。

「あ、起き―――…上、何か着てよ」

呆れたようにそう言うと、向き直って朝飯作りを再開した。
俺は、シャワーを浴びようとしていたことも忘れ、今の状況に頭が追いつかない。

「なんで、いるんだよ」

黒い革張りのソファに、どこから出したのか毛布が一枚。見ればすぐここで寝ていたとわかるように乱れていて。

「終電逃したの。タクシーで帰るのも馬鹿らしくて、泊まらせてもらった。それに、」

朝食、ちゃんと食べるか不安だったから。

こっちを振り向きもせず、そう言った。

「お人好しだな」
「あら、ありがたく思ってほしいんだけど。それより、シャワー浴びるなら、体温計ってからにして」

そういえば、シャワーを浴びようとしていたのだと思い出した。ただ、従うのは何だか癪で、だから。

「熱、あるかはお前が確かめてくれよ、」

無防備なその背中を抱き込む。

「……熱、まだあるみたいね」

手元は止めずに呆れたようにそう零す。

「わかんねェ。ちゃんと確かめて、」

いたずらにそう言うとあからさまに嫌な顔をした。仕方なくといった様子でこちらを向いたのですかさず額を合わせる。

「―――、………」

目を見開いて、驚いて、気まずそうに目を逸らす。

初めて、見た。

「……熱、ないみたいね。シャワー浴びてきたら、」

やんわりと胸を押された。自分の肌に、人が触れる感覚。しかもただの女じゃなくて、あのひと。
本能的に身体が動いた。

「きゃ、」
「―――…たまんね、」

正面から、彼女を抱く。
昨日の、熱に浮かされたぼんやりとした感覚じゃなく、鋭い刺激が迸って。

「………何でこんなこと、」
「――――…名前、」
「やっぱりまだ熱あるんじゃない?」

後ろを気にする様子を見て、火を止めた。
甘えるように、唇を首筋に寄せる。

「熱、あるかもな」

自分がこんなことをするとは、自分でも信じられなかった。
でも仕方ない。それなりの状況にある。
自分の家、いつも着ている白衣はなくて、このひともそう。
今は医者ではない自分。

「看病してくれるだろ、?」
「―――…昨日の今日だから許してあげるけど、明日以降は許さないからね」

病人には甘い、このひと。

「………名前、」

呆れた顔をするくせに、文句も言わない、反抗もしない。
見捨てない。

「わかったから、そろそろ離して。朝食作れないから」

仕方ないというように、頭を撫でられた。

「シャワー、入っておいで」
「…ん」

その言葉はもう、癪、じゃない。



撫でてあげる



- ナノ -