10000打企画 | ナノ


午後四時。中途半端な時間だ。昼休憩も一時間ほど前に終わった。看護師が入れてくれた茶は、一口も飲まないまま冷めてしまった。やっと一息ついて、溜め息を吐き出し、冷めたそれをすする。外来の診察が終われば、入院患者の様子を見に行かなければならない。
次の患者が来るまでの少しの時間を惜しむように、目の前のパソコンで受信メールに目を通す。すると丁度一通、新しいメールが受信される。

―――よう、元気にしてるか?

そのアドレスは、久々に見た。海の向こうの、高校の頃から付き合いのある友人からだった。こっちに来るまでは、科は違うものの同じ病院で働いていた。
変な時間にメールを寄越すものだ。こっちが午後四時なら向こうは午前三時。

―――うるせェよ。メールする時間があるならさっさと寝ろ。

それだけ書いて送信した。いつもは何かしら他の用事も込みでメールを寄越すのに、今日に限って内容がそれだけだったことに違和感を覚えながら、メール画面を閉じた。



* * *



すべて順調に終わって今はもう二十時だ。順調に終わったと言っても、この時間にはもうあのひとはいないだろう。さっさと帰ろうと、エントランスを横切ろうとした時だった。

「元気にしてたか、ロー」

会計待ちの人やらが座る椅子に腰かけた人物に声を掛けられた。

「…変な時間にメール寄越したと思ったらそういうことかよ。来てるなら言え」

そこには久々に会う、友人の姿があった。

「ここの病院とうちの病院でちょっとした勉強会があるっていうんでね。お前の専門外だし、大して気にもかけてないだろうと思ってたんだが、その通りだったな。おかげで心配されてしまった」

そういうペンギンはしてやったりな顔をして笑っている。

「心配だァ?んなのお前にするかよ。あれは、医者としてどうかしてる、っていう意味だろうが」
「ふふ、ああ。そうだな」

まるで、「お前の本心はそうじゃないんだろ?」そう言っているようにもらした笑いが気に食わなかった。
それにしても、こいつと会うのはいつぶりだろうか。向こうでは同じ病院にはいたものの、所属している科が違ったし、階も違ったため、すれ違うこともそんなになかった。会おうとしなければ会えなかったし、お互い、若いなりに忙しくしていたので、結局向こうでもなかなか会う機会も話す機会もなかったのだ。

そんなことに気を留めていると、ペンギンが飯食いに行こう、と言ってきた。こんな機会がなければ、ただ飯を食いに行く、という行為もなかなか出来ないだろう。そのためにこいつもここで待っていたんだろうし。

「つか、待ってるなら連絡入れろよ。入れ違いになってたらどうするつもりだったんだ」
「連絡入れたら、お前の驚く顔見られないだろ。それに、何時くらいに終わるかってのは病院の人に聞いたら教えてくれたよ。入れ違いになったら電話でもすればいい」
「へェ、それでお前は、俺の驚く顔見れて満足かよ」
「ああ。大変に満足しました」

呆れて先に歩き出した。どうせこいつは、全く仕方ないな、みたいな顔をして俺の後をついて来るんだろう。



* * *



連れがこいつなのに高い店、というのは納得がいかなかった。どうせ高い店に行くなら、隣にいるのはあのひとがいい。あのひとはそういう高級な店は苦手だろうけれど。
俺が日本語を話せるとしても、周りから見れば外国人が二人だ。ペンギンは飲み屋でもいい、というか入ってみたい、というような雰囲気だったが、英語を話すことに不慣れなこの島国の人々は、外国人二人組というのに変に緊張するだろう。
そんな視線があっては、話そうにも話しづらい。そうして考えた結果、あのひとが言っていた店にすることにした。

その店は、住宅街に踏み入れたところにある。こじんまりとした小料理屋だ。なんでも、外国の病院からお客さんが来た時に連れてくることがあるらしい。
値段はお客をもてなすには安い方なのかもしれないが、雰囲気が気に入られるとあのひとが言っていた。店の主人と奥さん二人で切り盛りしているのだが、奥さんの方は留学経験があり、英語もペラペラだった。旦那さんも気の利く人で、二人の人柄から常連の外国人も多いということだ。今日も俺たちを温かく迎えてくれた。

運ばれて来た料理はどれも美味しかった。和食好きのペンギンは、一口食べては感嘆の言葉をもらしていた。

「ロー、お前、和食苦手じゃなかったか」

食事中にそんなことを聞かれたが、流石にもう慣れた、とだけ返しておいた。向こうにいたときは、好きになるほど和食を食べたことがなかったのだから仕方ない。あのひとの和食好きにつられて少しずつ食べているうちに気付けば好きになっていた。

食事を終えると、今までの話はまるで序の口だったかのように真剣な顔をしたペンギンが切り出す。

「それで、お前の“探しもの”は見つかったのか?」
「見つかったからこっちに来たんだろうが」
「まあ、そうか。で、どうなったんだ?」

どうなったもこうなったもない。別になにもないのだ。

「お前に言うことかよ」
「いいじゃないか。久々に会ったんだ、こう言う話はつきものだろ」
「なんもねェよ」

ペンギンは、そうか、とだけ言った。それから酒を一口。

「お前が手、出さないなんてな。相当本気だな」
「うるせェ、じゃなきゃわざわざ外国まで来るか」
「向こうじゃ食って捨ててしてたお前がな」
「誰でも良かったみたいに言うな。相手は選んでた」
「後腐れしない相手を、だろ?」
「……おい」

隣で笑うこいつに、腹が立ったが、反論もそんなにできないので睨むに留まった。

「今でもたまに思い出すんだよ。すごい変わりようだった」
「…………」
「お前を変えたひとだもんな、」
「…ふん」
「拗ねるな、…いや、照れてるのか?」
「ふざけんな」

散々からかって、さぞこいつは楽しかろう。こいつにあのひとの話は絶対にしない。

「…さすがに名前くらい教えろよ」
「嫌だ」
「別に、狙ったりしない。彼女いるからな」
「………は?聞いてねェぞ」
「そもそもお前がこっちにいないんだから仕方ないだろ?メールや電話で彼女出来た、なんて連絡入れないし。お前がぐずぐずしてる間に、こっちはもう結婚目前だ」
「…ぐずぐずなんてしてねェ」

酒を一口。俺たちももうそんな年なのかと思う。

「俺は、あのひとを大切にしたい」

でも、焦る必要がどこにある?

「必要なのは、時間だ」

恋人になって、結婚して。…なんていう先のことはどうでもいいのだ。俺はただ、あんなにしっかりとした光を目に宿しているにも関わらず儚く消えてしまいそうなあのひとのそばにいたいだけ。あのひとの抱えているものを知って、あのひとを理解したいだけだ。

「あのひとを知るための時間、理解するだけの時間」

それのどこが無駄な時間なのか。

「俺があのひとを支えるために必要な時間だ」

酒をまた一口飲む。ペンギンもまた一口飲んだ。

「熱烈な愛の告白だな」
「一途になったら俺は重いぞ」
「ああ、梃子でも動かなそうだ」

先は望まないから、せめて、救われた分だけ、あのひとを支えたい。

「…っとロー、話がそれたぞ。そのひとの名前」
「しつこい。駄目だと言ったら駄目だ」
「じゃあ、雰囲気だけでも」

何か言うまで諦めなさそうなので仕方なく答えてやることにした。

あのひとは、気が強そうに見える。そのくせやさしい。見た目からして、出来る女って感じなのに変なプライドもないし、服には全く無頓着だ。

「平気でTシャツにデニムパンツ、とか?」
「まあな」

―――そのひとに会ったかもな、俺

そんなことを言うペンギンをひと睨みした。この総合病院で、そんな偶然あるわけねェ。冗談言ってからかうのもいい加減にしろと。

「……苗字名前さん?」

ぴくりと、顔が引きつる。

「やっぱりそうか。お前の終わる時間を教えてくれたひとだ。帰るところらしくてな、Tシャツにデニムパンツだった」
「…くそ、」
「いい女に惚れたな、ロー」
「からかうな」

俺は残りの酒を全部飲み干した。足りない。でも、明日も仕事はある。
あのひとにも会えるのだ。

「…ち、」
「舌打ちなんかするな、からかってなんかいない」
「どうだか」

そうやって足掻いている姿は俺らしくないと言われた。でも、それがまた良いとか。結局俺をからかっているのだ、こいつは。

居座りすぎた店の主人と奥さんに挨拶をして、店を出た。駅前でホテルがこっちだからと言うペンギンと別れる。その寸前に言われたのだ。

「俺は、苗字さんに感謝してる」

―――お前を、変えてくれたこと

「は?」
「だからいつか、礼を言いたい」
「……………」
「それで結局何が言いたいかというと、」
「…なんだよ、早く言え」
「さっさと苗字さんと結婚して、その機会を作れってことだ」
「はァ?最後までふざけてんじゃねェよ、くそペンギン」

ははは、と笑いながら、踵を返し、手をひらひら振ったペンギンに溜め息が出た。

「……馬鹿なこと言ってんじゃねェ」

俺がどうしたいかってのは、また話が別なんだよと、罵ってやりたかった。



なんて無謀な恋をする人



[ back ]

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -