さて、どうしようか。 | ナノ

「ロー、帰るよ」

授業が終わって放課後になって帰ろうと思ったらまずすることは、ローに声を掛けて起こすことだ。こいつは大体寝ているから。

「――…んぅ、名前、…?」
「はいはい起きて。帰りましょうねー」
「おれに命令するな」

目を擦りながらそんなことを言われても怖くない。そもそも声だってまだ寝ぼけ気味なのだ。むしろかわいい。
ローが机脇の鞄を持って席から立ち上がる。まだ眠そうだ。あ、欠伸。若干潤った目に心臓が少し跳ねた。

校門を出て駅までの道を歩く。ローを起こすのに時間がかかり、それから寝ぼけ気味のローが教室を出るまでにも時間がかかるので、学校を出る時には部活をやっている人以外の姿はほとんどいない。今歩いているのも、うちの学生は私とローぐらいしかいない。

「いつも思うが、お前の鞄重いよな」
「ローのがなんも入ってないだけでしょ」

校門を出ると私の鞄はローに奪われる。鞄を奪われ空いた右手にはローの左手。丁寧に指まで絡めて。最初にやられた時はもう顔が熱くて熱くて仕方なかった。その時はローが少し前を歩いていたせいで顔までは見えなかったけれど、髪の合間から見えた耳が赤かったから、そのせいで余計に熱くなってしまったのを覚えている。

「真面目」
「ふん。どうせ頑張って勉強してもローの足元にも及びませんよー」
「とか言いながら着々と順位上げてんじゃねェか」
「良い家庭教師がいるんでね」
「フフ、お望みならもっと色々教えてやるが」

保健体育とか。と嫌な笑顔でローは言った。

「いりませーん。私、体育の評価5だから」
「ほう、じゃあ楽しみにしてる」
「は?」
「ベッドの上でおれを満足させてくれるんだろ?」
「…………なんでそうなる」

この間の期末試験はローのおかげですごくいい点がとれた。なんていったって、全国一位の学力の持ち主。そしてなぜか教え方が上手い。頭が良い人って教え方下手だったりするのにな。こやつは本当に何でも出来てしまう。出来てしまい過ぎて時々、逆に不安になる。でもまあ、多分、大丈夫だろう。

「そういや、教えた分の礼をもらってない」
「いらないって言ったじゃん。お前と居られればそれでい、むぐ」
「過去を振り返るな。前に進めねェぞ」

口が塞がれたのでじと目で睨んでやった。でもまあ、あの点は確かにローのおかげなので、こちらが強く言うことも出来ない。

「今度、おれの家に来い」
「行って何すんの」
「何って、ナニ」
「……今日下系多いぞ」
「健全な男子である証拠だ」

ローの家に行ったことはなかった。もちろんローが私の家に来たこともない。テスト勉強は学校で一緒にやってたし。

「まあ、行くだけならいいけど」
「泊り、な」
「はあ!?」
「なんだよ、文句あるか」
「いや、駄目でしょ。まだ駄目でしょ」
「まだ?」
「ぐ、…何でいらんところに鋭いんだ」

不機嫌な顔をするのかなと思っていたら、ローは嬉しそうにしていた。いつかは、そういうことになるんだろうか。付き合ってたら、そりゃあそうなる…のか?

「いろいろ初めて過ぎてよくわからん」

今まで、彼氏とかいたことがなかった。高校入って、初めて彼氏が出来たけどなんか相手は色々経験済みっぽいし(見た目と言動から)、ぶっちゃけ私にしたらかなりレベル高めで不相応だと思っている。そしてこれは世間様から見た私達に対する感想と同じである自信がある。

「はあ?お前何言っ、…もしかして、」
「あなたは私にとって初めての彼氏ですけど何か問題が?」

ローはこっちを見て固まっていた。おーいと目の前で手を振ってみてもしばらく反応がない。そしてやっと動き出したと思ったら怒られたのだ。

「そんなの聞いてねェぞ!!」
「言ってないし、訊かれてないもん」
「そういうのは早く言え!!」

ローは繋いでいた手を離し、顔を覆ってしまった。くそ、と呟いているのが聞こえる。え、何これ。もしかして、そういう女はめんどくさいとかそういう話?そうならそれは結構ショックだ。付き合ってまだそんなに経ってないといっても、今更引き返せないような気がする。ローと別れたら、どうなるんだろう。
不安になって、ローの顔色をうかがう。

「ロー、」
「こっち見んな」

ローに顔を反らされた。どうしようと焦る。焦って、見るなと言われたけれど縋るようにそっちを見るしかなくて、見ていてそれで気が付いた。ローの耳が赤い。

「こっち向いてよ」
「………」
「向けよ、ばかやロー」

いつもなら不機嫌になる言葉にも反応しない。こっち向けばか。確認できないじゃないか。

「私のことが面倒とか、そういうこと?」

少しトーンを落として、静かに訊いた。自信はあるけれども不安だってある。早く、確かめたいのだ。

「ちが、…!」

急にこっちを向いたせいで顔を覆い隠していた左手は離れ、ローの表情がよく見えた。ほのかに赤い。良かった。やっと安心できた。

「そういうんじゃ、ねェよ」

少ししてからローは言葉を返した。目はまだ私を見てくれない。それが今は何だか嬉しい。でも空いた右手が寂しいからローの左手に自分から指を絡めた。ローは優しく握り返してくれた。

「…色々、狂っちまった」
「狂う?」
「お前が初めて、とか言うからだろ」
「初めてじゃいけないわけ?」
「違ェよ、そういうことじゃねェ。おれにとっちゃ寧ろ好都ご――…」
「……どういうこと?」
「なんでもねェ」

ローはバツが悪そうに答えた。

「お前はほんと…予想外なことばっかりしてくる」
「何それ、新しい褒め言葉?」
「まァ、そうだな」

長いこと止めていた足をようやく動かす。雰囲気もやっと元に戻った。さっきのああいう緊張感は体に毒だ。

「…『まァ、そうだな』じゃないし。まじ捨てられるかと思った」

ふん、と拗ねたように言ってやった。私の勘違いというか早とちりで良かったけど、本当にどうしようと思ってしまった。

ほんと焦ったー、と言って安堵の溜め息をついた私の右手が強く握られた。今度はなんだと心の準備をしつつローの方を見る。

誰が捨てるか、捨てねェよとローはぶっきらぼうに言った。

「お前といると、ほんと飽きねェ」
「飽きたら捨てんの?」
「…いい加減にしろよ、」

少しだけ怒気が滲む。その証拠に視線が刺さるように鋭い。だってしょうがないじゃないか。捨てられたらなんて考えたことなかったけど、捨てられた先の自分が想像できないほど、こいつにどっぷりな自分に気が付いたのだ。

「不安になるに決まってるじゃん。だって何にもわかんないんだから。なのにあんたは私と違って経験あるんだろうし。こんなつもりじゃなかったのになー。こんな、捨てられたらって想像しただけでこんなわけわかんなくなるほど惚れるなんて思ってなかったのに」

どうしろって言うんだばーか、ばーか!もう意味も分からず取り敢えず出て来た言葉をぽんぽん言った。すると隣から、舌打ちが聞こえて、また不安になった。人にばかとか言っておいて、自分の内心はなかなか傷つきやすくなっているのだ。

「またそうやって…予想外のことばっか。反則だろ、」

ぐ、と腕を引かれて、耳元にくちびる。声が直に響く。

「ほんと、たまんねェ、――…キス、させろ」

はあ?と言う間もなく、あっさり唇は奪われた。初めての路ちゅーも奪われた。
不安は都合よくどこかに行ってしまった。



5.帰る。



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