目の前には、会いたくもなかった、話したくもなかった相手がいる。
背の高いあいつの顔は見ようとしなければ視界には入らないから、顔を見なくて済む。
今まで身長差にこんなに感謝したことがあっただろうか。
どんな表情をしているかなんて、もう私にはどうでもいいのだ。
「わかってると思うけど、ちゃんと話つけようと思って」
屋上に来てから話を切り出すには少し時間が必要だった。
なかなか切り出せず、やっとのことで口に出したこの言葉。
声が震えそうだった。でも、震えてはいなかったはずだ。
精いっぱいの見栄を張る。
ばれないようにそうやって武装して、大丈夫、大丈夫と自分に必死に言い聞かせた。
目の前のあいつは、何も言わずにただそこに立っている。
「私は、ローのこと、……すごく好きだった」
本当は文句ばかりを口に出したかった。
だって本当にここに来るまで、屋上に通じる階段を上ってあのドアを開けるまで、今までの鬱憤をいかに晴らしてやろうかとそればかり考えていたのだから。
「なんだろうね、得意の口の汚さで思う存分罵ってやろうと思ってたのに…意外と言葉が出てこない」
ペンギンとシャチの前ではあんなに泣いたり罵ったりそれはもう散々だったっていうのに。
「ローのことが、たまらなく好きだったよ」
なのに結局本人を目の前にして出てくるのは、ただ単純に好きだったという気持ちだった。
「本当に好きだったんだなって」
ペンギンやシャチにぶつけていたのは、愛しさから来る怒りだったんだなあと今更ながら思う。
呆れ果て、最低なやつと思いながらも、心の底には今まで与えられていた愛しさが残っていたらしい。
――ああ、私は、本当に、好きだったんだなあ
目の前にいる、こんな酷いやつが。
「でも、それでも」
私は泣かない。
「こんな関係が続くのは良くないし、耐えられない」
絶対に泣かない。
「もうね、泣く涙もなくなっちゃった。疲れちゃったの」
彼を思い切り傷つけるためにそうやって嘘をついて。
「今までありがとう。大好きだったよ」
心残りなんて一切ないと清々しく笑って、未練なんて更々ないと突きつけるのだ。
「じゃあ、さよなら」
彼の前では余裕のあった足音も、屋上の扉を過ぎ、階段を下りているうちに駆け足になっていた。教室に着く頃には息が上がるほどまでになっていて、肩で息をしていた。
「名前」
待ってくれていたペンギンとシャチが寄ってくる。
「言ったよ、言った…」
息は落ち着いて来たが、心が落ち着かない。
片をつけたからといって虚無感は埋まらないのだ。
「ローは、なんて」
「な、にも…。顔も見れなかったし…」
「そうか…」
いよいよ終わったんだなあという実感が、二人と話していて湧いてきた。
「別れた、んだよね」
なんだか胸が痛い。
あんなに彼を好きだった自分が馬鹿ばかしいのか、それとも懐かしいのか、別れてしまうのを惜しいと思っているのか、私でもわからない。
「わたし、わかれたんだあ」
私の声は虚しく響いた。
しかしその言葉は妙に説得力があって、気づいたら涙が止まらなくなっていた。
ペンギンとシャチに見守られながら声をあげて泣いた。
やっぱり涙はまだしばらく枯れそうにない。
16.受け止める。
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