さて、どうしようか。 | ナノ

ペンギンとシャチとお弁当を囲む今は昼休みだ。ローは、諸用でいない。

「にしても、お前の旦那はもてるな」

その諸用はなにかというと、呼び出しだ。そう、女子生徒からの。

「ダンナって、何でまたそんな言い方」

ペンギンの言い方に呆れてそう返すが、ペンギンも呆れ気味なのだ。一気に変わった女子生徒たちの対応に。シャチだって、そう。

「でもさーあからさま過ぎねェ?いくらなんでもさあ。お前もローに言えばいいじゃん、呼び出されても行かないで!、って」
「うーん…それもまた何か違うような」

私が告白されている現場を見て嫉妬したらしいローに、強引に手を引かれて連れて帰られた事件以降、とても仲の良い友達、の認識で通っていた私達の関係はあっという間に恋人、という認識に変わってしまった。そして、それがクラス内だけでおさまらないのが、あの男だ。全校にファンやら何やらがいるだろうあいつのおかげで、噂は一気に広がってしまった。
そして増えたのは、すれ違いざまに声を掛けられる数、呼び出しの数。

「呼び出されたんだったら行ってあげなよ、って言ったの、私だし」
「はあ!?おま、何してんだよ!」
「だって、告白する機会すら与えてもらえないなんてちょっと、ねえ…いくらなんでもかわいそうかなあ、って」
「それでもなあ…やっぱりあからさま過ぎるとおれも思うよ。なあ、シャチ」

確かに、あからさまだったかもしれない。でも、今まで他の女の子に対して、女子なんか知るか、近寄るんじゃねェ、といった雰囲気を醸し出していたローが、ふつうのどこにでもいるような女子と仲良くしていて、しかもそいつと付き合っているなんて知ったら、周りの女子だって親近感湧くに決まってるし、可愛い子なんてたくさんいるわけで、その子達からしたら、何であんなのと、って思うに決まってるから仕方ない気もするのだ。

そういうわけで、最近の昼休みはローがいないことが多い。

「お前も苦労するな。ローの相手に加え、女子たちの攻撃…物がなくなったりとかはないよな?」
「どんだけ心配症なの。流石に高校にもなってそれはないでしょ。現に何もないし。今日のペンギン、おかんみたいだよ」
「ならいいが、…」

何かあったら言えよというペンギンに、何かあったらローに言うよと言えば、そうだった、ローがいたな、と苦笑していた。心配し過ぎてローの存在も忘れていたらしい。
ペンギンはシャチとローには厳しいけど私には甘い気がする。

そうこうしているうちに、ローが帰ってきた。やっぱり、そしていつも通り、ぐったりしている。昼休みもあと十分もない。

「ローお疲れ」
「モテ過ぎるのも考えものだな」

シャチとペンギンが声をかけた。相当疲れているようで、何も言わずに腰掛ける。

「にしても、今日は長かったんじゃね?」
「しつこかった。あーだこーだうるせェんだよ、つか、飯」
「なに、また、『あの子より私の方が』とか言ってきたのか?」
「まァな。お前らがこいつの何を知ってんだって話」

私は会話には入らずに、買っておいたおにぎり三個とパックの緑茶を手渡した。にしても、今日は本当に長かった。ローのぐったり具合もさながら、いらいら度合いがそれを物語っている。

「で、しつこいその子に何て言って終わらせて来たんだよ?」
「お前のどこに魅力があるのかわからない、つか、お前じゃ勃たねェ」

さすがに、その言葉には反応した。

「………は?」
「だから、お前じゃた」
「女の子にそんなこと言ったの…!?何考えてんの!」
「おれにそこまで言わせた向こうが悪い」

呆れて目を見開いたが、なんせローだし、もう過去には戻れないんだから仕方ない。ため息がもれた。

「もういいだろ、その話。いらつくんだよ…行くぞ、名前」
「は?行く?どこに?もう授業始まるけど」
「飯食ってねェ」
「一人で食べれば、…ちょっと!腕痛い!」

ローに腕を掴まれて、引きずられるように教室を出た。シャチとペンギンに助けてと視線で訴えたが、ペンギンは呆れて笑っていたし、シャチは仕方ねえよ、という顔をしていたので助けてはくれなかった。



* * *



連れて来られたのは校舎の端の方にある空き教室だった。余分な机や椅子がここに集められているので、結構ごちゃごちゃとしている。

「なんで私までサボることに…」
「良いだろ。後で教えてやるよ、今日の範囲」
「良くないでしょ…」

はあ、とうな垂れる私の横で、ローは昼飯にありついている。

「お前が頼まなきゃこんなことになってねェんだよ。責任とれ」
「大げさな。普通ですよ、呼び出されたら行くの。礼儀でしょ」
「知らねェ。お前がいればおれはそれでいい」

そういうことを言うのはずるいと思ったけど、何も言わなかった。嬉しいけど、それはローのためには良くないことだと思う。こういうことを考えるのはおかしいかもしれないけど、きっとこういうときの自分は母親的思考に近い。

「なあ、名前」

いつの間にかローはおにぎりを食べ終えていた。

「なに?」
「こっち来い」
「こっち来いもなにも、隣にいるじゃん、」
「だから、こっち」

二人して地べたに座り、壁に寄りかかって、しかも隣にいるのにこっちとは何事かと思って見れば、ローが自分の腿を叩いている。
思わず、え、と言えば、ここ、と言ってきた。

「なんで。いいじゃんこのままで」
「何だよ、今更体重気にしてんのか。お前の体重なんて重くも何ともねェよ」
「その問題もあるけど、いや、そういう問題?」
「問題なんてそもそもねェ。早くしろ」

ローは引き下がりそうもない。しかも、今日のローはあまり機嫌がよろしくないのだ。

「お前の言うこと、聞いてやってんだろ」

そう、嫌な呼び出しにも、ちゃんと応じているのだ。…私が言ったから。

仕方なく、本当に仕方なく、ローの腿に跨った。

ローの身体と間を空けるように膝寄りに座ったというのに、ローの両手が腰に回ってきてぐっと引き寄せられた。

「遠い」
「………近い」
「普通だろ、これくらい」

私の顔は赤いだろうけど、目の前のローの顔は平然としている。それがむかつく。

ローの片手が腰から離れて頬を撫でる。

「なあ、名前」
「……なに」
「キス、してェ」
「…………」

駄目だ、手に負えない。スイッチが入ってしまった。

「お前から、して」
「………な、んで、」

男のくせに、色気がやばい。
それがまた、むかつく。

「お前が呼び出しされたら行ってやれって言わなきゃ昼休みもお前といられるし、放課後もお前を待たせなくて済むし、おれがこんなにいらつかずに済むんだよ。でもお前の頼みだから行ってやってる。おれに見返りがあってもいいだろ」

見返り?…だから、普通は行くもんでしょ、礼儀でしょ、なんて言葉が返せないくらいには、この男の雰囲気に飲まれていた。

「…なあ、キス、して」

耳元でそんなこと言われたら、もう、無理だ。

せめてもの抵抗で、ローの胸を少しだけ押した。

「駄目だ、逃げんのは許さねェよ、」
「や、だ、」
「なんで。恥ずかしいなんてのは聞かねェぞ」

恥ずかしいに決まってるのに。

「それじゃ、放課後までこのままだな」
「え、」
「教室には戻さねェ」

今の時間は座学だからいいとしても、次は化学、しかも実験だ。抜けたらやばい。

「それは、だめ、」
「フフ、じゃあ、どうするんだ?」
「……でも、」

恥ずかしいのはもちろんだけど、そもそも、自分からなんてなかなかない。上手く、出来るかとか、私だって色々あるわけで。
というかそもそもはこんなことしなくたって済むのに、もう頭はそんなことを考える余裕もない。

「名前、」

名前を呼ばれたかと思ったら、唇を親指が撫でた。

「下手とか上手いとか余計なこと考えんな、お前だからいいんだよ」

はやく、と急かすように首に手が回る。少しずつ近づいて、あと数センチ。

「名前、キス、して、」

肩に手を置いて、そっと近づいた。

一瞬触れて、離れた。至近距離で見つめられて、もっと、と強請られる。でもどうしていいかなんてわからなくて。

もう一度、唇に触れた。

啄ばむように、ローが触れてくる。教えるように丁寧なそれを、私も真似た。

やっと離れたと思ったら、もっとだ、と言う。

「も、もっと、って…、」
「深いやつ。当たり前だろ」
「む、むむりでしょ、何言ってんの、」
「おれはお前の言うこと聞いてやってる」
「それ言えばなんでもやると思ったら大間違いだからね!」

恥ずかしさでもうどうしようもない頭の中は更にめちゃくちゃになっていて、身体中が熱い。必死にそう返せば、ローは少しだけ拗ねたような態度をとった。

「足りねェんだよ、」

足りない、って。かすれた声で。ふざけんなよってくらいくらくらして。意味がわかんないくらい頭の中ごちゃごちゃで、いらいらして。
確かに私が言ったからだけど!言ったけど!何でこんな、私が身体張って恥ずかし死にそうにならなきゃいけない状況になってるのかって。

ああもう、目の前で拗ねたように足りないと言ったこの男が憎い…!

正常に機能していない脳味噌は勝手にこの男を黙らせて、ぎゃふんと言わせようと身体を動かした。私にとってはフラストレーションの爆発、でもローにしたらさっきまで恥ずかしがってたやつがいきなり噛みついてきたのだ。それは驚くだろう。
目を見開いて驚いていた。

それを見て、ざまあみろ、と思っていたのも束の間。

「ふ!ぁん…っ!」

まんまと餌をまいてしまったのだ、私は。と気付くのはもう遅い。

「っん、…ふ、ぁ、馬鹿、もっと舌出せ、よ、」
「や、ぁ、…っは、んぁ、」

いつも私ばっかりなのにローまで喘ぐような声出すから、神経が焼き切れそうで恐ろしい。水音がまとわりつく。それにまた煽られる。

「…っは、名前、ぁ、もっと、」
「ろ、っふ、んん……ッぁ、や、や、」

もうそろそろ、本当に神経が焼き切れると思ったとき、神の助け、でも何でもないけれども、チャイムが鳴ったのだ。
たるんでいた糸がぴんと張る、引き締まる感じ。現実に引き戻されるその感覚。
そう、ここは学校なのだよ!

まだ噛みついて来ようとするそいつの頭を壁に抑えつける。
「これで、もっと、とか言ったら今後一切口利かないから」
「……あと少し」
「何か言った?」

学校で何てことを…。その羞恥心はおそろしいほど素早く、そして圧倒的な質量の怒りに既に変換されている。

「……まだ時間あるだろ、」

―――何を言ってるんだこいつは!

また噛みつかれそうになったので気付けば左頬に紅葉。

「こ、の、くそエロファルガーが…!」

呆気にとられている目の前の男を引きずって教室まで戻る。それを見てペンギンは苦笑、シャチは爆笑、クラスメイトは完全に引いていた。私が不本意ながらサボることになってしまった授業の先生も、鬼神のごとき顔をした私と紅葉の張り付いた男の顔を見てか、何のお咎めもなかった。



10.もめる。




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