×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



  ふりだしから始めよう


目覚めはスッキリしていた。
ぱっちり開いた目を幾度か瞬いて、ライムは寝返りを打つ。枕元に置かれた時計の針は大分早い時間を指していて、カーテンの隙間からは色の薄い朝の光が漏れていた。

「授業、か」

いよいよここでの生活が始まる。集団生活なんて久々だ。時間に追われる煩わしさもあるけれど、新生活の始まりはいつもわくわくする。

確か配られた時間割では今日の授業は二コマ目からだったはずだ。大分余裕があるけれど二度寝すると後が辛いから起きてしまおうと思い切って、ライムは勢い良く布団を跳ね除けた。

「アクシオ、制服とローブ」

呼び寄せた制服一式に手早く着替えると、ライムはドアの傍に備え付けられた姿見の前に立つ。銀色の蛇の装飾に縁取られた鏡の中には、少女というには少し大人びた姿が映っていた。

「やっぱり、このままじゃあちょっと変だよね……」

日本人のライムは周囲に比べれば幾分幼く見える。ライム自身はこれでも大分大人っぽくなったと思うのだが、リリー達に言わせればまだまだ“若く見える”らしい。────とは言え、さすがに成人済みの姿のままで生徒に紛れ込むのは気が引ける。

ライムは苦笑してから姿見の前を離れ、ベッドサイドに置いてあった小さなチェストの前へ移動する。小さなポーチから鍵束を取り出すと、その中の一際小さな真っ黒い鍵を選び、鍵穴へ差し入れ開けた。そうしてカチャカチャと擦れ合う音を立てるガラスの小瓶が並ぶ一段を引き出すと、ライムはその中でも比較的大ぶりなものを取り出し一口飲んだ。

「……不味い」

口内に広がる苦味に思わずこぼれた本音。眉間に寄った皺をほぐしつつ、ライムはそっと息を吐いた。


****


薬の効果が現れたのをしっかりと確認してから、ライムは恐る恐る談話室へと足を踏み入れた。

早朝の談話室は人も疎らで、地下だからか少し肌寒い。階段の一番近くにあるソファーにリドルが座っているのが見えて、ライムは思わず足を止めた。

「やあ、おはよう、ライム」
「……おはよう、リドル」

リドルは手元の本を静かに閉じて立ち上がり、ライムに歩み寄る。挨拶を返したライムに「早いんだね」と微笑みかけるその表情はやわらかで、ライムは少し落ち着かない。

「リドルも早いのね。食事はもう済ませたの?」
「いや、まだだよ」
「え?ああ、誰か待っているのね」
「うん。実を言うと、君を待っていたんだ。食事の後で城内を案内しようと思ってね」
「案内?」
「そう。ホグワーツは広いからね。授業は午後からだし、良ければ城内を見て回らないかい?勿論君が良ければ、だけれど」

そうか、手紙が来なかったからすっかり忘れていたけれど、前も組み分けの翌日に城内を案内してくれたんだっけ。
リドルの押し付けがましく無い態度と口調に感心しつつ、ライムはおずおずと口を開いた。

「────じゃあ、お願いします」


****


大広間への道程を辿り、手早く食事を済ませてから、リドルの先導で二人は城内を歩き回った。

闇の魔術に対する防衛術の教室に始まり、天文学の塔、変身術、薬草学、呪文学の教室、図書館をぐるりと流し見てから、二人は城を出て最後の場所に辿り着いた。

「────で、ここがフクロウ小屋だよ。手紙を送りたい時にはここに来ればいい。ホグワーツのフクロウは誰でも自由に使っていいからね」

高い塔にばさばさという羽音と低い鳴き声が反響する。床にはフクロウのフンと鼠の死骸がいくつか転がっていて、避けて歩くのは難しい。夜行性のフクロウはまだそのほとんどが眠っていて、ふっくらした羽毛に埋もれる姿がとても可愛らしい。リドルは左腕に丁度配達から戻ってきた茶色のモリフクロウを止まらせてライムに見せると、その嘴を優しく撫でた。

「まだ案内していない場所もあるけれど、主要な場所はこれくらいかな。後はここで暮らしながら自然に覚えられると思うよ」
「ええ、案内してくれて助かったわ。ありがとう、リドル」
「どういたしまして。これ位なんて事無いさ。わからない事があったら気軽に聞いてくれればいい」
「そうするわ」

当たり障りの無い会話を続けながら、ライムは考え込む。

さて、これからどうしよう?
まずは本音で話せるくらいに親しくならなければいけないのだが、いざリドルを目の前にすると、どうしたらいいのか良くわからなくなる。

────親しくなるって、どうやって?

前はどうしていたんだっけ、と思い返してみても、特別な事をした覚えは無い。本音で話すようになったのは確かクリスマス休暇頃だったはずだが、例え以前と同じ会話を心掛けてもまるっきり同じようにはならないだろう。リドルは仲良くなろうと思って仲良くなれる相手では無いし、下手に近付こうとしてもきっと逆効果だ。

「選択科目はもう決めているのかい?」
「ええ、一応。編入前に相談に乗ってもらって決めたわ」
「教えてもらってもいいかな?」

振られた話題に意識が引き戻される。ライムは咄嗟に頷き、慌ててポケットから時間割表を取り出すと、リドルに手渡した。

「魔法生物飼育学と……古代ルーン文字学か、僕と一緒だね」
「そうなんだ。他の科目とも迷ったんだけど、その二つが特に面白そうだなと思って」
「ああ。とても興味深い授業だよ。きっと君も気に入るさ」
「良かった、楽しみだわ」

丁寧な口調、当たり障り無い会話。本音で話す事は無く上辺だけの笑顔で愛想良く振舞うだけの関係が、酷くもどかしい。けれどこれが、今のリドルとライムの距離だ。焦ってもどうにもならない。

「他に何か気になる事は無い?些細な事でも構わないよ」

首を傾げた拍子に、ふわりとライムの髪が靡く。耳元で陽光を受けてきらりと光るグリーンに、リドルは目を止めた。けれどそれはほんの一瞬で、ライムはそれに気付かず会話を続ける。

「そういえば、禁じられた森って立ち入り禁止なんだっけ?」
「ああ、そうだよ。森には危険な生物が多いから、基本的に生徒の立ち入りは禁止されているんだ」
「城の中もだけど、結構ホグワーツって危険な場所が多いのね」
「まあね。でも、規則を守っていれば危ない目に遭う事は早々無いさ」

はなから守るつもりも無いだろうに、リドルは規則を一度も破った事が無いような態度でそう説明した。相変わらず毒の無い笑顔ですらすらと嘘を吐く男だ。

「そう。なら安心ね。またわからない事があったら教えてね」
「勿論さ」
「じゃあ名残惜しいけど、そろそろ戻りましょうか。教室に行った方がいい時間みたいだし」
「────ああ、そうだね。行こうか」

崩れない態度。崩れない笑顔。
目の前にいるのに、酷く遠い。薄っぺらい会話と分厚い仮面。
それらは全て、時間が隔ててしまったもの。

(でも、こうして生きている)

だからいい。耐えられる。ふりだしに戻っただけで、まだ何も失っていないのだから。

「大丈夫」

言い聞かせるようにそっとつぶやいて、ライムはリドルの後を追う。

胸の鎖が、しゃらりと小さく鳴った。


prev next

[back]