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  過去と今とをつなぐ糸


変化というのは中々目には見えないもので、可視化し始めた時には既に止めようが無いものだ。


「どうしたの?ライム」
「この記事……」

広げた新聞が、カサリと乾いた音を立てる。一面を飾る『例のあの人の勢力拡大』の見出し。一家惨殺、通り魔、奇襲。被害者として書き連ねられた名前はどれも、マグル生まれやマグルに好意的な態度を示した者ばかりで。その内容の凄惨さにライムは言葉を失った。その様子からライムの言わんとする事を察したのか、リリーはその綺麗な顔を辛そうに顰めた。

「ああ、またなのね……酷い話だわ。最近暗い話題ばかりで、嫌になっちゃうわよね」

紙面にはおどろおどろしいフォントで書かれた、『例のあの人』の文字が至るところにあった。モノクロの写真の中で髑髏が不気味にチカチカと輝いている。紙面を捲ってみても、不穏な内容の記事ばかりが書き連ねてある。以前はこんなに酷くは無かったはずだ。

「いつから、こんなに……?」
「え?」
「記事の内容よ。前は……前はこんなにひどくは無かったのに……」

声が震えた。手の震えは何とか抑えても、唇の震えまでは抑えられなかった。例のあの人。その呼び名が、こんなにも浸透している。名前を捨てたあの人の、新しい呼び名が。


「いつから、って言うほどはっきりと変わった訳じゃないわね……徐々に、増えていった。始めは紙面の片隅にしか載っていなかった記事が、段々増えていって、今では連日一面トップよ」
「そんな……」

たった二年で、こうも変わるものなのか。世は正にヴォルデモートの全盛期。ハリー・ポッターの物語はまだ始まってすらいないのに、運命のあの日が 確実に近付いてくるようで。

「嫌な時代ね」

忍び寄る足音に、身動きが取れなくなりそうだった。


****


久々に訪れた三階の女子トイレは相変わらず人の気配が無く、廊下より少しだけ寒かった。小さく聞こえる水音と、ゴボゴボ音を立てる配水管。床には所々水たまりができている。その合間を縫って、ライムはコツコツと靴音を響かせて存在を知らせるよう歩く。この時代ならばもう彼女はここにいるはずだ。

見上げた視線の先に見えるのは、天井に座ってぼんやりしている少女の霊。重力なんて関係無いから、普通ならあり得ない場所にも座る事ができるらしい。

「こんにちは」
「……ん?……アンタ、誰?」

唐突に聞こえた挨拶に、マートルは下を向いた。そこにいる見慣れない生徒の姿に首を傾げて声を上げるが答えは無い。痺れを切らしたマートルはひゅっと素早く降りてくると、ライムの向かい側にぷかぷかと浮かんだ。無遠慮に顔を覗き込んで、顔を顰めたまま考え込む。

「覚えていない?貴女とは一度、話した事があるんだけど……」
「話した?」

記憶を手繰るように益々眉を寄せて沈黙する。ライムがどうしようかと迷っていると、マートルは突然、凄まじい叫び声を上げた。

「アァァァァァァア……!!アンタの顔、知ってるわ!知ってる!東洋人の、編入生!」
「……っ!久しぶり、マートル」
「どういうことなの?アンタ、顔も、身長も、何もかも、全然変わって無いじゃない!」

キンキン響く声を防ぐために、ライムは咄嗟に耳を塞いだ。窓ガラスはビリビリと震え、トイレには叫びの余波が残っている。興奮気味に叫びトイレ中を飛び回るマートルをじっと見詰め、頃合いを見計らってライムは重い口を開く。

「あのね、マートル。今日は貴女に聞きたいことがあって来たの」
「なによ」
「──トム・リドルについて」
「トム……?……ああ、あの人気者のスリザリンの監督生のこと?」

ぐっと、ライムは唇を噛み締める。当たり前のようにそう答える人間は、リドルを知っている人間は他にはいない。この時代で、もう聞ける相手はマートルしかいない。

「……私がいなくなってから、リドルは変わった?何か少しでも、おかしいと思うことはあった?」
「何それ?そんなの聞いてどうすんのよ?」
「何でもいいの、お願い教えて!」
「ちょっ……ちょっと何?落ち着きなさいよ!」
「貴女にしか聞けないの!」
「そんな事言われたってどうにもなんないわよ!私、アンタがいなくなってから数ヶ月後に死んじゃったのよ!?元々寮も違うし接点なんて無かったし。授業以外は私、ほとんどここで泣いていたんだもの。だからよくわからないわ!」

喰ってかかるライムの勢いにギョッとしたのか、マートルは飛び上がって天井の配管の裏に隠れた。

「バジリスク……」

ならば結局、秘密の部屋は開かれたのだ。未来は何も変わっていない。

「じゃあ、何も……わからないのね」
「しっ、知らないわよ!言ったでしょ?私、いつもいじめられてばっかでここに隠れて泣いてばかりだったんだから!」

しくしくと泣き始めるマートルを呆然と見つめながら、ライムはしばし沈黙した。何でも良かった。ただ、リドルの事が知りたかった。でも、知ってどうするっていうんだろう。結局全ては過去なのに。

「それにしても……アンタ本当にあの編入生?ゴーストじゃないわよね?一体どんな魔法を使ったの?」
「……内緒にしてくれる?」
「それはわからないわ」
「なら、教えられないわ」
「ああもう!ケチ!」

マートルはそう叫ぶと勢い良く便器に飛び込み、その勢いであたりには水が飛び散った。冷たい水を避けきれず、顔を庇ったせいでライムのローブの袖が濡れる。

「誰にも教えられないのよ……」

ぽたぽたと、垂れた水が地面に新たな水たまりをつくる。足元の水たまりに映る自分の顔は、奇妙に歪んで見えた。


****


必要の部屋の扉の向こうには、かつて訪れたあの物置部屋が広がっていた。ガラクタから新品まで、ありとあらゆるものがうず高く積まれた塔が乱立する、途方もなく広い部屋。

過去に飛ばされた時 隠しておいた携帯電話。こうしてこの時代に戻って来たのだから、もう隠しておく必要は無いだろう。

ライムが短く呪文を唱えると、杖先に淡いブルーの光が灯った。隠し場所に近付けばこの光が目印にかけた呪文に反応するはずだ。

「この辺りだったと思うんだけど……」

きょろきょろと辺りを見回しつつ記憶を頼りに歩いていると、一際強く杖の光が反応した場所があった。歩く速度を落とし、目を凝らして根気強く探すと、黒い滑らかな木で出来た椅子がうず高く積まれた塔の前に着いた。積み上げられたカーテンの山を退けると、奥に見覚えのあるアンティーク調の木箱が埋れているのが見える。急いで引っ張り出して金属の留め金を外し蓋を開けると、そこには古びた携帯電話があった。

「あった!良かった……」

ライムは携帯電話を手に取り、試しに電源を入れてみたが起動はしなかった。数十年経っているのだから当然か。例え壊れていなくても、充電しなければ動かないだろう。どちらにしろ、ホグワーツではマグルの電化製品は使えないのだけれど。

「……あれ?何だろう、これ」

取り出した後の箱を良く見ると、天鵞絨張りの底に不自然な膨らみがあった。無理やり布を剥がして何かを詰めたようなそれが気になって、ライムは恐る恐る布に手を伸ばす。

捲った先にあったのは 一対のピアスだった。まあるい石が付いたシンプルなピアス。色はマスカットのような爽やかなグリーン。差し込む光に透かすと、それは初夏の若葉のようにキラキラと輝いた。

綺麗だ。でも、なんでこんなものがここに?

良く見れば、ピアスの下に一枚のカードが敷いてある。

「────うそ」

声が震えた。そんなはずが無い。だって、どうして。

同封されていたカードには流麗な文字でただ一言、メッセージが記されていた。
宛名も差出人の名前も無い。けれどわかる。これはリドルの字だ。カードは年月を経て黄ばんでいる。隔たった月日の長さを実感して、胸が詰まった。
ラテン語で書かれたメッセージは読めない。言葉の意味はわからない。けれどこれに、リドルがどんな思いを込めたのか。何故こんな形で残そうとしたのか。どうしてピアスを置いたのか。

それを思うだけで、胸が押し潰されそうに痛むのだ。

「遠いよ、リドル……」


貴方は何度、そう思ったのだろう。


『Levis est fortuna: id cito reposcit quod dedit.』

運命は軽薄である。与えたものをすぐに返すよう求めるから。


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