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  深みに、はまる


(そんな表情、見せないで)


場所は医務室。校医は不在。必然的に、二人きり。
そんなお約束とも言える状況で、ライムは何故か、リドルに手当てしてもらっている。


……これ、後でお礼とか強要されないよね?

十分、あり得る。


****


「何故、避けなかった」
「え?」

椅子に座らせ 消毒液を含ませた脱脂綿をライムの傷口に当てながら、リドルは唐突に口を開いた。
咄嗟に投げ掛けられた言葉の意味をすぐには理解する事が出来なくて、ライムはぱちぱちと瞬いた。戸惑いも顕に見つめ返してくるライムにリドルは補うように言葉を続ける。

「今回の事だけじゃない。君ならもっと上手く立ち回れたはずだ」

黒髪の合間から向けられる視線は、鋭い。何だか詰問されている気分になって、ライムは居心地悪そうに小さく身動いだ。

「そんな事無いよ」
「嘘だね」
「買いかぶりすぎじゃない?」

何時に無く真剣なその瞳から逃れたくて、ライムははぐらかすように軽く言葉を返した。その様子に、リドルは少し不快そうに目を細めた。

「……僕の判断を疑うのかい?」
「や、そういうわけじゃないけど」

リドルの返答に何処か違和感を覚えて、言い淀む。……何だろう。リドルがしつこいのは何時もの事だが、何だか今日は────何処か、違う気がする。何処がどう違うのかと聞かれたら、上手く答えられないけれど。見過ごしがたい違和感を感じる。でも、何に?その違和感の正体が掴めなくて、もやもやする。

「君はいつも答えをはぐらかすね。……そんなに、僕が嫌い?」

小さな声。少しだけ、リドルの瞳が歪んだ。

「、リドル?」

また、違和感。やっぱり変だ。リドルは「嫌いか」なんて聞く人じゃあないはずだ。この場でライムに対して演技をするメリットも無いのに。リドルに覇気が無い。いつもは無駄に自信満々なのに、これじゃあまるで────迷ってる、みたいだ。

そんな、まさか。だってリドルが迷ったり弱気になる理由なんて無いはずだ。ライムは自分の頭に浮かんだ考えを即座に否定した。

「……別に、理由なんて無いよ。ただ、何ていうか少し……ぞっとしただけ」

そっと二の腕の辺りを擦り 抱きしめて、思い出すようにぽつりと呟く。

人は人を、あんなにも憎めるものなのか。

吹き抜けの、最上階。あの高さから落とされたのだ。下手をすれば────嫌、確実に死んでいた。自分に向けられた強い憎悪に、戸惑う。

「ライムは、誰かを憎んだ事は無いの?」

数拍の沈黙の後、ぽつりとリドルは問うた。

「……無いよ。少なくとも、誰かを殺したいと思う程強く憎んだ事は」
「……君らしいね」
「リドルは、あるの?」

その質問にリドルは答えなかった。ただ黙々と包帯を巻く。視線すら、合わさずに

「責任でも感じてるの?」

重ねてライムが問いかける。医務室は静かで、沈黙は重かった。

「…………多少は、ね」

長い長い沈黙の後、リドルは小さく答えた。紅い瞳が、ほんの一瞬迷うように揺れる。

「何だか変だよ、リドル。どうしたの?」
「……僕だって人間だ。多少なりとも良心はあるよ」

その言葉が本心なのか、偽りなのか、判別出来ない。この人は心を偽る。それを知っている。わかっている。信じてはいけないと、警戒しろと 頭の何処かで鋭く叫ぶ声がする。でも。

「多少、なんだ?」
「……君はこの期に及んで僕が良心に溢れた人間だとでも言うの?」
「それは無いね」

だって、こんな風に優しくされたら…勘違い、しそうになる。
リドルがこんなにしつこくライムに関わろうとするのは、ライムがリドルの仮面に気付いた数少ない人間だからで、それ以上の意味なんて無いはずだ。良い意味で特別な訳じゃない。確かに最近は良く一緒にいるし、話していて楽しいと感じるようにはなったけれど、それはライムがそう思うだけでリドルはどう感じているかなんてわからない。本来ならライムは目障りで、出来る事なら一刻も早くどうにかしてしまいたい存在のはず。

なのに。

「ライム」

どうしてそんなに、優しい表情で名前を呼ぶの。

「リ、ドル……」

口が勝手に、名前を呼ぶ。


ああ、駄目だ。

これ以上、踏み込んだら、きっと。


(抜け出せなく、なる)

「ライム……」

紅い瞳がゆっくりと近づいてくる。


嗚呼

もう

手遅れかも、しれない。


(無意味に傷を増やすな、と。離れ際に耳元でささやいた言葉が、掠めた耳朶に熱を残した)


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