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  舌を焼く熱を甘受する


今日の必要の部屋は居心地の良い円形の部屋だった。
カーテンや家具の色は深みのある臙脂で統一されており、オレンジがかった照明の光が部屋をふんわりと明るく包む。暖炉の火はパチパチと乾いた音を立てて燃え上がり、その近くにあるのはふかふかのクッションの山と座り心地の良い肘掛け椅子。勉強に最適な高さの机の上にはインク瓶と羽ペンがきっちり揃えて置かれている。窓は無く、あたたかな部屋をぐるりと囲むように本棚が立ち並んでいた。

「どうしてまたそんな薄着で出歩くんだか」

ライムが遊び疲れて冷え切った身体を暖炉の火で温めている背後で、リドルが呆れたように言った。

「ローブは全部洗濯中なのよ」
 
私服に着替えて勉強道具を鞄に詰めたライムがドアを開けると、既にリドルは部屋に着いていた。荷物を置いて真っ先に暖炉に駆け寄ったライムの様子を見兼ねたのか、リドルは少し考えた後、自らの着ていたローブを脱ぐとそれを無言で頭から掛けた。
そういうわけで、ライムは今 リドルのローブを着ている。

「今日のリドルは優しいね。何だかちょっとお母さんみたい」
「変な事言う暇があったら手を動かす」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はーい」

くすくす笑いを漏らすと、丸めた羊皮紙でスパンと思いっきり叩かれた。痛い。衝撃で飛んだインクがレポートに染みを作る。
リドルの声は耳に心地良く、説明は明解だった。時折鋭く入る指摘に手を止めつつも、羽ペンはするすると滑らかに羊皮紙の上を走った。
 

****

 
「お、終わった……!」

机に突っ伏したライムの向かい側で、リドルが羊皮紙の束をパラパラとめくって目を通している。

「────うん。問題無いね、これなら大体の教科でO・優は取れるんじゃないかな」
「本当?やった!」

リドルのお墨付きを貰った事で肩の力が一気に抜けた。ライムは大きく伸びをすると立ち上がり、暖炉のそばまでよろよろと近づいていった。

「疲れた……」

そのまま力尽きたようにクッションに倒れこむライムにリドルが「はしたないよ」と声が掛けるが応じない。その背中に向かって手近にあったクッションを掴んで投げたが、見事に避けられた。何が可笑しいのか、ライムはクスクスと笑い声を上げている。

「昼間にあんなはしゃぐからだよ」
「だって楽しかったんだもの」
「自分の体力の限界も知らずに遊び呆けるなんて、子どものする事だ」
「言ったでしょう?まだ子どもだ、って」 
 
悪びれる様子も無くそう言ってごろりと床を転がるライムに本日何十回目かのため息を吐いて、リドルはゆっくりと立ち上がった。

「しょうがないな」

ため息混じりにそう言ってリドルが杖を一振りすると、キラキラと細かい粒子が瞬き、形作り、空中にくるくると回転しながらふたつのカップが現れた。差し出されたそれを恐る恐る受け取って、中を確認する。とろりとした白が揺れた。

「ホット、ミルク……?」
「ああ。紅茶だと余計目が冴えてしまうだろう?飲むといい。少しは気分が落ち着く」

僕のは紅茶だけれど。さらりとそう言って、優雅に自分のカップに口をつけるリドルを茫然としながら見つめ、次いで手元のカップ(そういえば私のだけマグカップだ)を見つめた。

ゆるりと波紋が広がる。

「嫌いなのかい?」

じっとカップを凝視して一向に口をつけないライムの様子を見て、リドルが訝し気に眉を寄せ尋ねる。

「……大好きだよ」

やや間を置いて、小さな声で答えた。
ほわほわ漂う湯気。蜂蜜の甘く優しい香りが鼻をくすぐる。ぎゅっとマグカップを握る両手に力を込めて、その温かさを逃さないように強く握り込んだ。ほんの少し、熱くて痛い。


────ライム

名前を呼ぶ声。優しく頭を撫でてくれた手のひらの記憶が焼き付いて、未だに離れず残像のように残っている。両親、友達。あちらの世界とこちらの世界。今まで出会って別れてきた全ての人たち。記憶の声は入り交じって、でもそのどれもが懐かしくていとおしい。

ホットミルクが大好きだ。
けど、飲むと昔を思い出して苦しくなるからあまり飲みたくないの。
────そんな事を、どうして言えるだろう。

この人は弱さを嫌う。感傷も、憧憬も、リドルにとっては無意味で無価値なものだろう。けれど私は弱いから、過去も甘さも切り捨てられずにこうして悩む。結論を先延ばしにして、回りの優しさに甘えている。ぎゅっと眉根を寄せて、息を吐いた。
……無くしたものばかり数えても、仕方ないのに。

「考えるな」
「え?」

思考を遮る低い声。耳慣れたそれが目の前のリドルのものだと気付くのに、少し時間がかかった。

突然掛けられた予想外の言葉にびっくりしてぱちぱちと瞬く。じっとこちらを見ているリドルは何時に無く真剣な目で、滅多に無いその表情にライムは少しどきりとした。視線を合わせたまま、噛んで含めるように、ゆっくりとリドルは口を開いた。

「それを飲み終わったらすぐに寝るんだね。これ以上余計な事は考え無い事だ。……夜は思考が深みにはまり易い」

リドルが、優しい。これも何かの作戦なんだろうか。

……違う、と、思いたい。じっと伺うように見上げていると、リドルは何とも言い難い奇妙な表情をした。自分の行動に驚いて、どこか戸惑っているような。ばつの悪そうな様子をしている。

「さぁ、早く寮へ戻りなよ。暖炉の火は僕が消しておくから」
「う、ん。……ありがと」

それ以上口を開いたら、何かがこぼれ落ちてしまいそうだった。

「おやすみライム。いい夢を」

頭を撫でる手のひらが優しくて、無性に泣きたくなるのを下唇を噛んでやり過ごす。
髪の毛はぐちゃぐちゃになったけれど、胸の中はもっとぐちゃぐちゃだった。

「……おやすみ、リドル」


振り絞った声は擦れて震えた。


****


「……らしくない」

ドサリと背もたれに身を預けて、リドルは天井を仰ぐ。

他の生徒が寝静まった談話室で一人。思考の邪魔をする者はいない。暖炉の中で ぱちりと薪の爆ぜる音だけが響く、静かな空間。


あんな事を言うつもりは無かった。
慰めるなんて柄じゃない。それも、よりによってライムを。弱っているところに付け込んで、優しくして、弱みを握ればよかったのに。何故あんな事を言った?心配した?

そんな訳無い。

────ただあまりに弱々しかったから、調子が出なかっただけだ。

そうに決まっている。

「……そうでなければならない」

どうかしている。
戸惑っているのに、それが嫌じゃないと感じている自分もいて、それが酷く落ち着かない気持ちにさせる。


おかしい。
おかしい。
あの少女が来てから、ずっとだ。


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