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過去を捨てて
※ヒロインの名前固定。名前変換はほんの一部しかありません。



その少年は、手負いの獣のようだった。


「はじめまして」
「……」
「はじめまして」
「……」


何度話しかけてみても、少年は答えない。まるでその場に自分以外の人間は誰もいないとでも言うように 眉一つ動かさず目線は淡々と手元の本の綴りをなぞっている。

少女は首を傾げた。少女はこの孤児院に来たばかりで、まだこの少年の名前を知らない。職員や他の子ども達には既に挨拶を済ませて、最後に訪れたのがこの少年がいる中庭だった。見回してみても辺りは殺風景で取り立てて説明するほどのものは何も無い。ただくすんだ色の芝生が所々はげ掛けて広がり、剪定もされていない木々が雑多に枝を伸ばし葉を茂らせている。その一角に、彼はいた。


少女はひとりだった。
親はいた。ちちおやがひとりとははおやがひとり。どちらも少女が物心ついた時には既に不仲で、家族とは名ばかりだった。ふたりの言い争いを聞く度に どうしてこの人たちは結婚したのだろうかと少女は不思議に思った。いまだにその答えは見つかっていない。
あれを親と呼ぶには少し抵抗があるのだが、それ以外にあの人たちを言い表す言葉を 少女は知らなかった。
親に捨てられたのだと知った時、どこかホッとしている自分がいることに少女は少し驚いた。かなしいとは思わなかった。

絶望なんて とうにしている。

ははおやが少女を孤児院の前に置いていなくなった後、出迎えたのはミセスコールという女性だった。話は事前に通っていたのか女性は特に驚くことも無く淡々と少女を出迎えた。装飾も無く素っ気無い頑丈なだけの門を通り抜け、高い鉄柵に囲まれた灰色の頑丈そうな建物に入ると、小さな部屋に通された。部屋はみずぼらしく雑然としていて、微かにアルコールの匂いがしたが、清潔だった。彼女は孤児院についての説明と注意事項を事務的に述べた後、せかせかとした足取りで少女を部屋に案内した。
部屋には最低限の家具と衣類が用意されていて、女性は少女にその使い方や備品の管理の仕方について説明をした。そして、両隣の部屋の子どもの名前、同年代の子どもの名前、最年長の子どもの名前をまずは少女に教え、部屋が片付いたら挨拶に行くようにと言って、不意に声をひそめた。この孤児院にはひとり、変わった少年がいる。そう切り出して、どう注意すべきか、どのような風貌の子どもかを少女に一通り説明すると、女性は足早に部屋を出て行った。

部屋を片付けるといっても、少女は最低限の私物しか持っていなかったし、部屋には散らかる程の物が無いからすぐにやる事がなくなってしまった。孤児院では皆同じ服を着るのだと説明されたので、少女もベッドの上に折り目正しく畳まれてある灰色のチュニックを手に取り着替えた。何だか自分が希薄になった気がして、少しだけ不快だった。あまりに暇なので少女は早々に部屋を出て、両隣の部屋の子どもや廊下で出会った子どもに挨拶をすることにした。

一時間もしない内に少女は挨拶を終えた。部屋に戻ったところでやる事も無い。まだひとりだけ挨拶していないことを思い出し、少女はどうしようか悩んだ。なるべく関わらない方が良いと言われたがひとりだけ挨拶しないのもおかしいのではないか。その少年について話す時だけミセスコールが顔を曇らせたのが引っかかったが、挨拶くらいならば平気だろうと考えて、少女はひとりで中庭に向かった。


「……ねぇ、」
「煩い。聞こえている」
「なら返事くらいしてよ」
「その必要は無い」


少年は頑なで取り付く島も無かった。
短い言葉で切り捨てると、少年は目蓋を下ろし世界の全てを拒絶した。辺りには静寂が広がり、少女はどうしたらよいのかわからず戸惑った。
挨拶をするために来た。ただそれだけなのに、それすら目の前の少年は聞いてくれない。普通ならばここで諦め立ち去れば良いのだが、少女の中にそんな選択肢は存在し無かった。

目を瞑った少年の顔を見つめる。睫毛は漆黒でとても長い。綺麗に切り揃えられた黒髪が僅かに乱れて青白い肌に影を落としていた。


「……私、メローピーって言うの。今日からこの孤児院に――」


バタン!

勢い良く閉じられた本。その音にびっくりして少女は口を噤んだ。少年は目を見開き、信じられないものを見るかのように少女を見つめている。


「今、何て言った? 」
「えっ……? 」
「お前が名乗った名前だ! 」


恫喝。少年は獣のように吼えた。突然の豹変に少女 メローピーは目を瞬かせ、震える声で答えた。


「っ! め、メローピーよ……」


少女がその答えを口にした瞬間、けたたましい音と共に背後の建物のガラスが割れた。



****



「聞いたわ」
「まだいたのか」


今日も少年は同じ場所に座っていた。少年の目に付く場所には誰もいない。少年には誰も近づかない。それがここでは普通なのだと聞いた。


「ここ以外に行くところなんて無いもの」
「……ハッ! 捨てられたのか。惨めだな」
「それは貴方も同じでしょう? 」
「お前と一緒にするな」
「何が違うの? 」
「僕は捨てられたわけじゃない。ただ、僕を産んだ人間が死んだだけだ」


死んだ。それなら確かにメローピーとは違うのだろう。メローピーの親は生きている。けれどそのどちらも子どもを愛してはいなかったし、育てるつもりもなかった。だからきっと“捨てられた”のだろう。

少年は親とは呼ばなかった。そこに彼の拘りやプライドを感じてメローピーはそれ以上言い募るのをやめた。


「貴方が怒った理由、私の名前が貴方のははおやと同じだからでしょう」


そう言った瞬間、凄まじい瞳で睨みつけられた。それでもメローピーは怯まない。睨まれるのも怒鳴られるのも慣れている。


「睨まないでよ」


ほんの少しだけこわいと思う気持ちを抑えて、メローピーはそう言った。
何故関わるのかと聞かれても、メローピーには答えようが無かった。自分でもよくわからない。怒りを隠しもせず声を荒げるリドルはこわいと思う。けれど話してみたいとも思う。単なる好奇心とも違う、リドルのことを知りたいという気持ちばかりがメローピーを突き動かしていた。


「リドル」
「気安く呼ぶな」
「じゃあ何て読んだらいいの」
「そもそも僕を呼ぶな」
「そんなの無理よ、話しかけ難いわ」
「話しかけ無ければいいだろう」
「嫌よ」


耳元でビシッと乾いた音がした。
音のした方を見ると、メローピーの横にある細い木の幹に縦に深い亀裂が入っていた。びっくりしてリドルの方を見ると、憎憎しげに睨み付けていた。リドルといるとこうした不思議な事が度々起こる。それらは決まってリドルが怒りを露わにした時で、ここにいる人たちは皆、そんなリドルを気味が悪いと恐れるのだった。


「死にたくないならさっさと失せろ」


けれどそんな周囲の様子を気にした素振りも無く、いつもリドルはひとりだった。


ここには温かみというものが存在しない。生きるために必要な最低限のものは揃っている。建物、ベッド、家具、衣類に文房具、毎日の食事に世話を焼く人々。建物は古いが掃き清められて清潔だし、数は少ないが本もある。そのほとんどが寄附されたものでどれも古く 装丁は汚れてタイトルは掠れているけれど、学べないことも無い。環境は決して悪くないのに、ここには温かみが無い。全てが最低限で、事務的で、生きてはいけるが、ただそれだけだった。


「私の名前が気に入らないんでしょう」
「わかっているならさっさと消えろ」


何度脅して遠ざけても、メローピーはリドルに話しかけるのをやめなかった。脅しても話し掛けることをやめない彼女をとんだ変わり者だと皆は言う。そんなメローピーを見るのも嫌だと言うようにリドルはギュッと堅く瞳を閉じて木にもたれる。これはリドルの癖だった。嫌いなものに対しては 目蓋を下ろして視界から追い出し 意識から遠ざける。そんなに話しかけられるのが嫌ならその場から立ち去ればいいのに、そうしないのはプライド故か。


「この名前は」
「煩い」
「私がつけたわけじゃないわ」
「煩い。黙れ」


口を開くことすら煩わしいとばかりに、リドルは投げやりに言葉を遮る。脅しても怒鳴りつけてもこの少女は逃げなかった。そんなことは初めてで、リドルは何度怒鳴って脅しても逃げないメローピーにうんざりした。顔を見るだけでイライラする。


「名前を変えられるものなら変えたい。……それは貴方も同じでしょう? 」
「……何故そう思う」
「なんとなくよ」
「“なんとなく”か。頭の悪い答えだな。実にくだらない」


歪めた顔は醜悪で見る者を怯ませる。よくみればリドルはとても整った綺麗な顔をしているのに、表情のせいで今までそれに気が付かなかった。
勿体無いな、とメローピーは思う。


「でも、私が持っているものは名前くらいだから。……やっぱり私はこれを捨てられない」


「別に聞いていない」と言って、本を開くリドルは一切少女を見ない。それにもめげずにメローピーは話し続ける。


「……なら、名前をちょうだい」
「……は? 」
「そんなに私がこの名前を名乗るのが嫌なら、貴方が私に名前をちょうだい」
「何故僕がそんなこと」
「親からもらったたったひとつのものだからよ。それを捨てるなら、せめて誰かにつけてもらいたいの」
「親、ね。お前を捨ててこんなところに追いやったやつに お前はそんなに未練があるのか」
「あるわ。だって、親だもの」

「僕には一生理解出来ないな。理解したくも無い」


リドルは鼻で嗤った。口元は釣り上がり、笑みの形をつくる。それは年齢不相応な歪んだ微笑だった。


「いいだろう」
「えっ? 」
「名前と引き換えに、お前がここからいなくなるのならな」
「名前を、くれるの…? 本当に? 」
「それで代わりに静かな時間が戻るのなら、その方がいくらかマシだからな」


ニタニタと笑うリドルの顔は醜悪で、つくりは綺麗なはずなのにやはり奇妙に歪んで見えた。メローピーはリドルの言葉にパッと顔を輝かせたが、その喜びもすぐに陰ってしまう。


「……すぐには、無理よ」
「へぇ」
「もう少し、大人になったら出ていくわ。外の世界で生きられるようになったら」
「結局お前も口だけか」


リドルは途端に興味を失ったようだった。興ざめだと言わんばかりに舌打ちして、リドルはメローピーから視線を外した。いつものように目を閉じる。それで会話は終わりだとでも言うように。


「僕の言いたいことは変わらない。僕に関わるな」



****



11歳になり、ホグワーツとかいう少し風変わりな学校へ通い始めてから、リドルは変わった。徐々に立ち居振る舞いは洗練され、口調は丁寧で穏やかになっていった。表情からもあの剥き出しの敵意はなりを潜め、綺麗な顔立ちの青年へと成長していった。
けれどリドルのここでの態度はあまり変わらなかった。以前のように周りを威圧して物を取り上げたりはしなくなったものの、相変わらずリドルは他人と関わりを持たなかった。施設の子どもたちも皆リドルの恐ろしさが身に染みているのか、相変わらず近づこうとする者はいなかった。


そしてリドルがホグワーツに通い出してから7年が経ち、私はついに、ここを出ることになった。働き口が見つかったのだ。


「君、ここを出て行くんだってね」
「……聞いたのね」
「まぁね」


何処から聞き付けたのか、メローピーが部屋で荷物を纏めていると、何時の間にか戸口に背を凭れてリドルが立っていた。腕を組んで長い足を持て余したようにして立つリドルはあの野生の獣のような少年ではなかった。成長した青年はどこから見ても整って美しく、ゾッとするほどの色気があった。
この孤児院に来てから幾度となく会話を交わしたが、こうしてリドルがメローピーに話し掛けるのは初めてだった。


「働くのよ、工場で。住み込みで大したお給料はもらえないけれど、暮らしていくことくらいは出来そうだから」
「そう。それはおめでとう」
「……ありがとう」
「君がここを出て行く日が来るとはね」
「……誰だって、いずれは出て行くわ。ここは誰の家でもないんだもの」
「……それもそうか」


リドルが自分から離しかけてきたばかりか、その口調が優しいことにメローピーは内心驚いていた。


「リドルは随分と丸くなったのね…昔はあんなに、話しかけられるのを嫌がっていたのに」
「敵意を剥き出しにするよりこうした方が色々と都合がいいと知っただけだ」


肩をすくめてそう答えると、リドルは本題を切り出した。


「君に、名前をあげようか」
「……覚えていたの」
「まあね」
「一体どういう風の吹きまわし? 」


はるか昔、メローピーがまだ少女だった頃に言った言葉。それをリドルが覚えているとは思わなかった。
何で、今更。メローピーは今日、ここを去る。リドルが何もしなくてもそれは変わらず、わざわざ昔の話を持ち出して名前を付けてやる必要なんて無いはずなのに。


「今日が最後なんだろう?なら良いじゃないか、理由なんて」


ひどく機嫌がいい。愉しむように目を細めて笑うリドルは美しいのに、どこか、こわい。

ああ、この男は何も変わっていないのだとメローピーは確信した。見た目や立ち居振る舞いはどんなに洗練されても、リドルの本質は変わらない。残酷で残虐なひとのまま。ただ無害な猫の皮を被ることを覚えただけで。


メローピーが小さく頷くと、リドルはとろけるような笑みを浮かべて、形のいい唇を動かした。


「君の名前は、ジルだ」


それは勝ち誇った笑みだった。


――――少女は悟った。


リドルは私に名前をくれたのでは無い。リドルは私に名前を捨てさせたのだ。
自分のははおやと同じ名前を、この世から消し去るために。


目障りな存在なのに、殺してすら、くれない。


きっと私にそんな価値は無いのだろう。
メローピーの名前のまま死ねば、永遠に私はメローピーという名前を捨てられない。墓石にはメローピーと刻まれる。リドルのははおやと同じ名が。


そんなことを、ゆるしてはくれない。


「私は、ジル……」


口にした新しい名前は、どこか余所余所しく胸に響いた。

リドルは一度も『メローピー』と呼んではくれ無かった。そしてこれから先 永遠に呼ばれることは無い。


名前と共に、過去を捨てる。
思い出も淡い想いも リドルに関わる何もかもを脱ぎ棄てて、私はひとり、生きてゆく。



好きな人に、名前すら忘れられた存在として。

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