やぎさんから


「は、い、け、い。ルーティ、へ」

声とともに、男性にしては丸っこい文字が白い便箋を埋めていく。
すらすらと進むペン先は時折考え込むように立ち止まりながら、また再び動き出す。

楽しかった旅の思い出。先週買い出しに行ったこと。昨日の夕飯はマーボーカレーであったこと。
今朝もまた妹のフライパンの音で文字どおり「叩き」起こされたことを書きかけて、スタンはふと手を止めた。

まわりには書き散らかした何枚もの紙きれ。
新品だった便箋は今や半分以下になっていた。

「……っかしいな」

こんなことを書きたいわけじゃないのだけど。
スタンは黒いインクでびっしりと埋まった便箋をひとしきり眺めて、躊躇い無くぐしゃりと握りつぶした。紙屑と化したそれをぽい、とゴミ箱に放ると、かさりと軽い音がした。

スタンが伝えたいのは、昨日の献立のことでも、妹のことでも無いのだ。しかし、実際何が書きたくてペンを取ったのか、スタンにもしっかり分かっていない。確かに、ルーティに手紙を書きたい、と、そう思ったのだが。内容がてんで思いつかなくて、この状況。

「手紙って、難しいよなぁ…」

ぼやいて、スタンは残り一枚になってしまった便箋を目の前で揺らした。
昔から、手紙を書くのは下手だった。筆不精なわけではない。単純に、文字の通り、下手なのだ。「お兄ちゃんの手紙は読みにくい」とリリスに言われたのも、一度や二度ではない。そういえば旅の途中でリオンにも注意されたんだった、とスタンは思わず苦笑した。取捨選択ができていない、と彼は言った。それではただの日記だ、と。彼にも、手紙を出したい相手がいたのだろうか。暗い影を背負った冷たい横顔を思い浮かべて、スタンは軽く目を閉じた。

思い出されるのは、いつだって眉間に皺の寄った、難しい顔。旅の頃はそれは彼の怒りのバロメータのような役割を果たしていて、出来ることならあまり見たくない代物だったが、今となってはそれすら大切な思い出だ。
ただ、やっぱり。思い出と、会話は出来ないから。

リオン、俺、お前に言いたいこと、いっぱいあったんだよ。もっともっと、たくさん、話したかったよ。



「あ」



不意に、ぱっちりと青い目が開いた。瞼の奥の少年はゆっくりと消えて、代わりに黒髪の少女が脳裏に浮かび上がる。少年に良く似た、でもリオンとは違い良く笑う、彼女。


……自分は、手紙を書くのが苦手だ。それは、自分が経験した事を全部を相手に伝えたくなってしまうから。自分が感じたことも、思ったことも、全て。でもそれは、手紙では無理なことだ。だから、取捨選択のできない、稚拙なものになってしまう。
それは本当は手紙が苦手なのではなくて、それよりももっと単純なコミュニケーションの取り方の方が、性にあっているだけなのだ。


スタンがルーティに伝えたいのは、もっとずっと簡単な言葉だった。

それは、昨日の献立のことでも、妹のことでも、他のどんな興味深い話でも無い。たった数枚の紙切れでは、目の前に相手が居なければ、そんなもの意味が無いのだから。

この気持ちの取捨選択をするならば、他よりずっと直接的で、単純明快な一つのことしか残らなかった。


“あ  い  た  い”


シンプルな便箋に綴られたのは、たった一言だけだった。



手紙じゃ書ききれないくらい話したいことがあるから



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