深海プラネタリウム 『初めまして。僕の新しいマスター』 にこり、と。 姿は見えない声の主が笑ったのが感覚的に分かった。 若い、それでいてどこか悟ったような静かな声。それは無機質な一振りの曲刀から発せられていた。柄近くに埋め込まれた丸い核(コア)が、まるで生きているかの如く数度点滅している。 黒衣の男は、もはや見慣れてしまった“それ”をただ無心に見つめていた――。 ******* 男がそれを見るのは、三度目だった。 不規則に現われては消えるその現象。 それがどうやら自身の失われた記憶を辿っているらしい、と、男が理解するのに、そう時間は掛からなかった。人物や風景が朧気なのはきっと、男の記憶自体が朧気で、消えかけている故だろう。 それはひょっとしたらただの男の自己満足か、言い換えるなら一重に利己的な願望だったのかもしれない。ただ、そう思ってしまえるほどに、朧な現象は男に懐かしさと切なさを与えていた。 例えば、そう。この優しい声も。剣が喋るなんて、まるで作り話のような現実離れしたことであるのにも関わらず、男はその声をいつも聞いていたような気がしていた。それはもう、片時も離れずに。 記憶の中のそれは、楽しそうに声色を弾ませながら見えない誰かと談笑していた。 拗ねたような声、諭すような大人びた声。表情は見えないのに、表現力に富んだ声はくるくると変わる感情をよくあらわしていた。 『……寂しいんですか?』 不意に声が響いて、男はどきりと動きを止めた。まるで自分に言われたかのように、言葉が胸に突き刺さる。 『…大丈夫ですよ、坊っちゃん。僕はずっと、坊っちゃんの傍にいますから』 声はただ優しく、語り掛ける。 知らないのに、覚えていないのに、とても温かくて懐かしい響き。 自分はこの言葉を言われたのだろうか。この、物言う剣と、自分は過去に会話していたのだろうか。 …ならば、“坊っちゃん”とは、自分のことなのだろうか。 胸の奥に灯りが点いたような気がして、男はは、と息を詰めた。意識とは別のところで早鐘を打ち出す胸をそっと押さえる。 闇に呑まれた男の、彼自身の持つ記憶はまだ戻らない。けれど、もしかしたら。この現象が、本当に男の生涯をなぞっているのだとしたら。 忘れている何かを、思い出せるかもしれない。そう思った男の頬が、不自然に歪んだ。長いこと使っていなかった表情筋では、笑顔を作ることも容易ではなかった。それでも男は、弛む口元を隠そうともせずに、そうか、と呟いた。 「思い出せる、んだ、な」 不思議な声は、いつの間にか消えていた。 とりあえずシャルティエと坊っちゃんが大好きなんですよ?← ← →next |