※遊郭パロ林檎男娼設定。二人の別れ。







寒さが和らぎ春の足音が聞こえてきたある日…白粉を塗っている途中に、唐突にぴしりと鏡に亀裂が入った。春歌が選んでくれたものだから大事に大事に使っていたというのに、可笑しなことだ。仕方ない、仕事終わりに修復にだそうと溜息をついていると、もうじき見世に出る刻限だというのに楼主からの呼び出しがかかった。割れた鏡はこれの予兆だったのだろうか…ついに来るべき時が来たのだと悟った。





「呼び出された理由は、わかっているなぁ」
「わかってるわよ」

予想したとおりの出来事だ。お世辞にも和やかとはいえない空気の中、いつもは英吉利の言の葉を混ぜて話す男が真面目な口調で短く問いかけてくる。黒い硝子が使われた珍妙な眼鏡をかけているから目は見えないけれど、きっと怒りに染まっていることだろう。この男は自分の描いたとおりにならないことが一番嫌いだ。


「それで…出ていくのは、アタシなのよね」


男が苦々しそうに頷いたのを見て、顔には出さずに胸を撫で下ろす。色子同士の恋愛も姦通も此処では重罪。どちらかが追放されて、劣悪な環境の岡場所へと売られてしまう。

だからこそ、春歌が一流になるまで待ったのだ。

春歌には万人の目を引くような華やかな美貌ではないけれど慎ましい美しさがある。限られた人間に深く深く愛される子だ。今もお客はたったの六人だけだというのにこの廓の売上の三割を占めている。売上額の多さから言えば俺の方が上だけれど、その六人の上客の地位と、春歌と俺の年齢差から言えば彼女の方が廓にとっては好条件だ。だから彼女を残す。その確信が得られるまでどれだけ愛していてもじっと堪えるしかなかった。


私はお前を買っていたのだがな、と男が珍しく小さく呟く。そういえば年季があけたら今度は経営を手伝わないかと口説かれていた。そうすれば男一人、人並に生活していけるだけの収入は得られたのかもしれない。だが…たとえそうであっても後悔の念など少しもない。


「仕様が無いさ、更なる地獄が待っていても手を伸ばさずにはいられなかったんだもの。




…俺は、あの子を愛するためだけに生きてきたんだから」




ひび割れた鏡
(短いけれど幸福だったあの子との恋)


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