ついていない。馬車馬が脚を挫いてしまうとは…幸い屋敷付近に戻ってきてはいたので、御者に馬を任せて歩くことにした。神宮寺は馬車にもそれなりに費用をかけているから、それがだめになるというのは本当に久しぶりだ。普段ならば馬車で通り過ぎる下町を、自分の足で歩く。昼時ということもあって随分と人の往来が多いようだった。

ぶつからないよう避けながら雑踏の中で歩を進めていると、人の間に見覚えのある夕焼け色を見つけた。人波に飲み込まれそうになりながらふらふらと歩いている。頼りないその姿を、つい放っておけず人を横切りながら傍へといって声をかけた。

「こんにちは、レディ」
「神宮寺、さま…?こ、こんにちは」

どうやら彼女は抱えてている花束をかばっていたらしい。大きな琥珀色の目をぱちりと瞬かせて戸惑う素振りを見せたけれど、気付かない振りをして隣に並ぶ。さりげなく人混みから彼女を庇いつつ、何気ない話をいくつかする。そして、今日はどうしたのか尋ねれば、お墓参りです、と少し緊張がとれた様子で答えた。


それにしても予想だにしなかった巡り合わせだ。彼女と二人になるのは音楽会まで無いものだと思っていたが…今こそ絶好の機会かもしれない。何よりあの男が隣にいない。どうやって彼女を籠絡しようかと手順を頭の中で組み直していると…ふいに彼女が教会の前で歩みを止めた。
どうやらここに寄ってから墓地へと行くらしい。さて、どう言って彼女を待ったものか、と再び考えをめぐらせていると、

「どうぞ、神宮寺さま」

眼前に差し出された手に、一輪の百合が握られていた。

「俺に?」
「はい」

女性に花を捧げることはあっても貰うのは初めてだ。少々面食らって呆けていると、俺が不快だと感じて黙ったと勘違いしたのか…華奢な手がそっと引っ込められようとしていた。
その手を捕まえて、無垢が花言葉のそれを己の手へと納める。

「その…ありがとう」

ありふれた言葉で礼を述べるなんて、ましてや女性の前で慌てるなんて自分らしくない。しかしそんな陳腐な礼にも…花が綻ぶように笑う彼女に、 胸がじんわりと暖かくなった。

不思議だ。

花なんてささやかなものを貰っただけなのに…どんなに高価で貴重なものを貰ったときより優しい気持ちになった。今日は何もしないでおこうと、毒気が抜かれてしまったほどに。





その晩も、女性との逢瀬があったがなかなか集中できずにいた。豊かな黒髪を持つ夫人は決して魅力に欠ける女性ではないのだが、つい部屋に飾った百合に気を取られ、早く終わらないかと思ってしまう。
心の内を態度に出さないようにしながら、普段よりもやや早急にことを進めた。




黒髪
(この髪が夕暮れ時の橙であれば、と思う自分がいる)
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