日の出と共に褥を抜け出すのが習慣だった。寝起きは良いほうなので苦にはならない。そうして一番にすることは締め切られた窓を開け放つこと。篭った空気を入れ替えるため、そして幼馴染が奏でる音をきくために。彼女が住む離れから母屋にある自室までは距離にして十杖程があったが、彼女の部屋が中庭を挟んでちょうど真向かいに位置していることで風に乗って聞こえてくる。

身支度を整えていると、今朝もやはり聞こえてきた。短調の悲しげな旋律…朝にそぐわぬ鎮魂歌だ。この不可思議な組み合わせに慣れてだいぶ経つ。毎朝決まった時刻、彼の人を思い悲哀に満ちた曲を弾くことが彼女の日課であった。そうして曲を聴く度に彼女の悲しみが癒えていないことを知り、ひどくもどかしい気持ちになる。






聖川家の家名に恥じぬ男になるために、物心付いたころから毎日七刻ほどが勉学や修行の時間に充てられ、残りは食事や睡眠で終わる毎日。当然友人など出来るはずも無く教育ばかりの日々に塞ぎこむ事も屡だった。両親共に多忙であった故に肉親との触れ合いが少なかったせいかもしれない。
それを見かねたであろう家庭教師の中の一人が、彼女の孫である七海春歌を屋敷に連れてきたのは俺が五歳の頃だった。始めは授業と授業の合間にある休憩に、少し話すだけ。彼女は屋敷の外にある世界のことをたくさん話してくれて、俺が次々と浴びせる質問にも丁寧に答えてくれた。寂しかった生活の中、少女と共にすごすことで随分慰められていたように思う。

その後、彼女の祖母が亡くなりちょうど思春期を向かえたことで暫くは疎遠になっていたが…ハルは今、屋敷に居候している。聖川家が後ろ盾をする芸術家の一人であり、真衣のピアノ講師を務めている。


「おはようございます、真斗さま」
「おはよう、ハル」


白い手が鍵盤を叩くのを止める頃に部屋を出て、縁側に立つ。玄関は離れており、庭から外廊下へ上がったほうがずっと早いから彼女は必ず此処を通る。
少しすれば涙をぬぐった彼女が、庭を通って母屋へと来る。血色を帯びた頬に気付かないふりをして石段をあがる彼女の手をとるために。彼女と共に食堂まで歩く僅かな時が、この十余年で益々忙しくなった俺にとって一番穏やかな気持ちになれる時間だった。







その日、せっかくの穏やかな気持ちが続いたのは昼までだった。父の手紙を子爵に渡すため使いに出た喫茶店で、神宮寺と顔をあわせてしまった。嫌な男に会ったと露骨に表情が歪むのを感じたが、相手はそんなこと露程も気にしないといった様子で飄々と話しかけてくる。

「ご機嫌斜めだな?」
「…用があるならさっさと言え」

嫌々聞けば、一瞬眉を顰めたものの神宮寺は朗朗と語りだした。無駄に華美な言葉で長々話していたがまとめれば、別荘に将来有望な音楽家と貴族を集め三日間音楽に浸る会をする予定で、それに…ハルを参加させたいとのことだった。作曲の指南を頼みたいのだと、尤もらしいことを並べていたが、彼女自身に興味があるのは先日の夜会で明らかだ。


「馬鹿を言うな。彼女をこれ以上見世物にする気はない」
「王子にこの話をしたら是非とも、と言っていてね…彼女が参加しないとなったらさぞかしご機嫌を損ねるだろうな」


奴の物言いに、ぎり、と奥歯をかみ締める。どこに本心があるのかは見せずまるで煙のように掴めない男だ。尋ねているようなふりをして、その実相手が断れないように嫌らしく手を打ってくる。ここで仮に俺が突っぱねても、父が許しはしないだろう。
夜会につれていくことでハルに少なからず注目を浴び、好奇の目が向けられることが避けられないのは分かっていた。だがしかし神宮寺に目をつけられるとは…考えていた中でも最悪の事態だ。


「……十日以内に使者を出す」

ああ腹が立つ。目の前の男にも、彼女より家を優先しなければならない自分にも。





(のような男)
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