思えばそれは、ただの反抗心からだったのだろう。似てる、思い出す、そんな言葉をかけられる事に嫌悪を覚えていたからだ。幸い顔立ちや髪の色は母親譲りだったが、だけれどきつい目付きだけはどうにもならなかった。

『奏ぼっちゃまの目は、お父上に良く似ていらっしゃる。真っ直ぐで、野心を秘めた強い瞳が』

そんな言葉に喜べたのは、何も知らないガキだった頃だけだ。今でもただの子供だが、当時よりも複雑な、そして頑固な思いが心のうちを占めるようにはなっていた。




ひとりで、つよくなる―――
あの訣別を果たしてから、幾月。幼い子供では出来ない事が多すぎるもどかしさを抱えながらも、この厳しい世の中を生き抜くにはどうしたら良いか自分なりの研究を続けていた。物心付く昔、父やその側近に聞いた知識が役立っているのは少々癪ではあるが…利用できるものはすれば良い。今は自分の頭の中にある以上、その知識は自分のものだ。

「…つかれた」

頭を使うと糖分を消費する。だけど今、甘いものは持っていない。故に疲れやすいのだと結論を出す。そういう時は決まって、北にそびえる常緑の森へと向かう。少々入り組んだ複雑な迷路と良く称されるが、彼にとっては庭のようなものだった。生まれ親しんだ町と同じ名を冠した、トキワの森。薄暗く静謐なこの森が、奏はとても好きだった。

青々しい香りを胸いっぱいに吸い込む。それだけで、心に淀んだ鉛のようなものがすっかり取り払われたような気持ちにさえなる。森には精霊がいるから悪さをしてはいけない、昔誰かに言われたような気がするが、そんなお伽噺なんて今は信じちゃいない。

「くだらない」

木漏れ日すら覆い隠す深い森の中、見えない空を一瞥し奏は一人ごちた。

ふえ…… ぇ……
ぅ…… えぇ……… ん…

「…!?」

不意に聞こえてきた何かの声に、奏の身体は強張る。
この森のポケモンに襲われた事はないからと、護衛用のポケモンすら今は持っていなかった。

… わぁ… あ ……ん…
ぅえ…… ふ……ぐすっ…

よく聞いてみると子どもの声だった。それも、泣いている。面倒事には関わりたくないのだが、いつまでもここにいられたら落ち着かない。自分が所有している森でもないのに出ていけというのもあれだが、安穏を求めて何が悪いと開き直る事にする。
情けだの、哀れみだの、そんなのは人の心を惑わすだけだ。独りで生きるには切り捨てるべきだと判断したものでしかない。

「…おい、おまえ」
「わぁ!ふぇっ…」

森の奥深くにある木の下に座り込んでいた子供は、大きな瞳を潤ませてこちらを見つめてくる。苦手だ、と思った。真っ直ぐすぎて強いその目が。視線を逸らすのも許さないとばかりに惹き寄せてくるのが、途轍もなく。

「わああ」

間の抜けた声を出す目の前の少女に毒気を抜かれた。自分の顔を見てその反応というのは些か失礼ではないか。

「すごい!まっかなかみのけね!」

自分よりだいぶ幼いその少女がはしゃぐように笑う。だからどうした、とそっけなく返しても少女の瞳は輝くばかりだ。そんなに珍しいか、自分だって相当明るい栗色の髪をしているじゃないか。調子が狂う。だから嫌なんだ、興味本意で近付いてくる他人は。

「それより、早く帰れよ。泣くくらいなら」
「もうないてないもん!」
「…だったら余計、帰れ」

いい加減苛々していた。ただでさえ、自分より小さなこどもと接するのは神経を使う。癒されにこの森に来た意味がまるでない。

「ここ、どこぉ…?」
「…は、」

今日は災厄日だ、――間違いない。



もう諦めろ、どうでもいい。だいたい、他人がいるからとこちらが当初の予定を変更させられる必要もない。
奏はこの森で一番大きな木の幹に、寝そべるようにして腰を落ち着ける。それをずっと見ていた少女が近付いてくるのが視界に入った。だが反応してはならない、完全無視だ。無かったことにすればいい。オレは独りだ、こいつも独り、それだけのことだ。同じ空間にいるだけで世話をする義理なんてない。

だから、気にしてはいけないというのに。いつのまにか自分の脇にくっつくようにして座り込む少女の体温を感じて、ひとつ溜息をついた。

「…おまえ、」
「なあに?」
「……何でもない」

無意識に声を掛けてしまった事を悔いた。希望に満ちた明るい瞳が嫉ましく感じてしまうから。この少女と同じような歳だった頃、自分はどんな表情をしていただろう、思い出せない。いや、思い出したくないのだ。
何も知らずに両親に甘え、不自由など何もなかったあの頃に、そしておそらくは当時の自分と同じ境遇なのだろう少女に、嫉妬しているなど。

「おい、…何しているんだ」

むずむずとする感覚に、折角逸らしていた視線が戻される。

「あのねー、みつあみおぼえたの!」

やわく編まれた髪を振り乱すように首を振る。あー、と残念そうな声を上げる少女のくるくる変わる表情すら、今は苦々しくしか感じない。

「オレに構うなよ。あっちいけ」
「だって、…さみしそうだったから」
「…ッ」

見透かされたような気がして、どうしようもなく恥ずかしくなった。知るはずも無いのに。同時に情けなくなって、唇を噛んで耐える事しか出来ない。

「…ッ、し、知った風な口をきくな!関係ない!」

口に出してからハッとする。こんな子どもに、何を掻き乱されているのだ。怖い?…怖い、のか。このオレが、こんな…――−
強い調子で発した声に怯むこともなく、少女は笑顔で捲し立てる。

「あのねー、こまっているひとはたすけてあげるんだって、ママがいうの!"かくん"なんだって!かくんかくん!」

覚えたての言葉なんだろう、意味を知ってか知らずか同じ言葉を無邪気に繰り返す姿に拍子抜けしてしまった。同時に、心に何か温かいものが生まれたような気がして、―――だけれどそれを認められるほど彼は大人にはなり切れていなかった。もどかしい何かを感じたまま、諦めとは違う思いを抱いてここに留まるしかなかった。

「…困ってない」
「うん」
「助けてほしくなんか」
「うん!」

違う。そうじゃない。そんな事を言いたいんじゃない。確かに困っているわけじゃないけれど、吐き出したい自分がいる。そうだ、"オトナ"は誰一人自分の話を聞いてくれなかった。自分の欲を押し付けて、上っ面ばかりが良いだけの人間しか傍にはいなかったんだ。助けなんて求めていない。ただ、ただ―――

「がんばったんだねー」
「……?」
「えらいえらーい」
「な、なんだよ!さわるなっ」
「ひとりじゃ、ないよ」

森がざわめいて、目を見開く。いったいどこから現れたのか、まるで森中のポケモン達が自分達を…正確には少女を中心とするように集まってきていた。森に棲む虫ポケモンや草ポケモンだけではなく、近くの道路に生息するポッポやコラッタまで。一匹一匹は大した強さではないはずだがこんな数に襲われたらひとたまりもない。慌てて立ち上がり体勢を整えた。冷や汗が伝うのを感じつつ、ぎり、と奥歯を噛み締めて冷静な判断を下そうと考えを巡らせる。

「だいじょうぶだよ」
「え、」
「かえりみち、おしえてくれるみたい。もういかなきゃ」

変わらない暢気な笑顔で少女は言う。

「またあおうね!やくそく!」

あっけに取られている間に、ポッポ達が風起こしで砂煙を巻き上げる。思わず顔を覆った一瞬のうちに、あれだけおびただしい数のポケモン達も、少女の姿も跡形なく消え去ってしまった。見渡しても何もいない。しん、と静寂が耳に痛いほどに。まるで自分がこの森に入ってから時間など経っていないかのように。幻と言い切ってしまうには、先ほど頭を撫でられた手のぬくもりが生々しく残っている。
不意に、目の端を音もなく横切る何かを銀の双眸が無意識に追う。淡い緑に輝くそれは、森の奥に消える間際にまばゆい光を放つ。光の中に、少女の片方のお下げににた形が見えた気がした。ずっと、動けずにいた。

ああ。

そこで初めて、泣きたくなった。

そうか、オレは、ただ。

あんな風に話を聞いて、受け止めてもらいたかったのか。
認めて欲しかった、とでもいうのか。
無条件で一方的に、なんてそんなの…自分の方が余程身勝手じゃないか。
なりたくなかった"オトナ"と、同じじゃないのか?
しかも見ず知らずの少女に、あんなことまで言わせるなんて。

"また"
"あおうね"

この心の底から湧き上がる気持ちを、今は形にはしたくない。何かが壊れてしまいそうな気がしたから。また会えるというならば、きっとそうなのだろう。それだけは信じてみても良いと思った。初めて信じたいと思った。一人じゃないと言ってくれたあの言葉を、未来に繋がる"やくそく"を。

何かを振り切るように奏は森を駆け抜けた。薄暗い森の出口から差し込む光は、まるで祝福するかのように彼の身体ごと包み込む。再び訪れた静寂に、二度と逃げ場にしないことを誓って。









―――――

「……ん、」

目が眩むと同時に我に返る。まだ、自分は森の中にいたのか。いや、違う…夢を見ていたのだ。こんな場所で無警戒に眠りこけられる程になったのか、と軽く自嘲的な気持ちになる。
忘れかけていた思い出だった。あの後結局自分は独りのままで、それを思い知らされるしかなくて。泣く事も恨む事も出来ずに、心に仕舞い込んだんだった。だがこうしてはっきりと思い出した今も、心をちくりと刺す記憶でしかないけれど。
あの時抱いた気持ちも今なら何なのか分かる。でもそうしたら、これまで信じていた事は嘘になってしまうのではないか?自分が、生涯で、たったひとり――

「あー!起きた?奏!」
「琴、音…、…って、おま、」

飛び込んできた栗色の髪と瞳は、最愛の人のもののはずだった。だが、その健康的な色をした肌にも、トレードマークの白いキャスケットや青いサロペット、ひいては靴までもが砂と泥にまみれていたのだ。

「ど、どうしたんだそれ!怪我は!?」
「大丈夫、すりむいただけだよー。あのね、町の子が森でいなくなったっていうから皆で探してたの。そしたら、低い崖の下にいてね、手を伸ばしたんだけど結局あたしも落ちちゃって。でも思ったより全然低かったしプリムラがボールから出て助けてくれたから!」
「ばか、何で呼ばなかったんだ。低いとはいえ女の力で引っ張れるものじゃないだろ?」
「だってー珍しく気持ち良さそうに寝てたから…」

あっけらかんと言い放つ琴音にやきもきしながら所々に付いた砂を払う。まったく、相変わらず無鉄砲だ。いや、本当に腹立たしいのはこんな時にぐっすりと寝ていた自分だ。護るって言ったのにこれでは呆れるしかない。

「とりあえず、何かあったら起こしていい。自ら危険に飛び込むな」
「ごめーん。いやほら、うちの家訓、"困った人は助ける"なんだよね…小さい頃から染み付いてると考える前に行動しちゃって」
「え…」

"かくん"
"こまっているひとはたすけてあげる"

「今、なんて」
「あれ?言ってなかったっけ。だからあの時も、困ってるのかなって思って奏に声かけたんだよ?ほら、研究所にいたとき!すぐ逃げちゃったから的外れだったみたいだけど…って、ひゃあっ」

手が勝手に、というには語弊があるのかもしれない。ただ抱きしめずにはいられなかった。もがく彼女を逃がさないようにきつく。急な行動、といってもある意味日常茶飯事にすらなっているような気がするが、いつもの雰囲気と違うのを感じ取ったのか、琴音がためらいがちに口を開く。

「泥、付いちゃうよ…?」
「構わない」
「……」
「…お前だったんだな」「え?」

何も言わなくなったオレの後頭部に、優しく温かい手が触れるのを感じた。ここに、いたのか。結局のところ、オレの初めては何もかも琴音だったのか。我ながら呆れてしまいそうだが、むしろ安心してしまったなんて誰にも言えない。

「よしよーし、いいこいいこ」
「…子ども扱いすんな」
「こういう時の奏って、なんか古傷が痛んだ雰囲気なんだよねー」

さらっと核心を突きやがる。昔から、そうなんだな、お前は。
"あいつ"も、ずっとオレの事を知っていたのか。だからあの時…―――


この様子を先ほどまで一緒に遊んでいた子どもらに見られからかわれて、恥ずかしそうにあたふたともがく彼女を見かねたプリムラ―メガニウム♀・100.5kg―に突き飛ばされたのは、数分後のお話。



『うすみどり色の約束』

いつもお世話になっているあきさくらさん宅のサイト2周年企画でリクエストさせていただきました!
あきさくらさんオリジナル設定のHGSSライ主♀なのですがかわいくてかわいくて…応援してます!

素敵文ありがとうございます!




Top
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -