校門に彫られた懐かしい校章を見上げる。まだ少し肌寒い風に、着ている服の襟を軽くかき寄せた。ここに来るのはずいぶんと久しぶりだった。彼はまた少し事情が違うだろうから、私よりは頻繁に母校を訪れていたと思う。時計を見れば、待ち合わせの時間を少し過ぎている。私が着いたとき、ちょうどの時刻くらいだったのだろう。
「こら、五分前行動をしろといつも言っているだろう!」背後にかけられた大きめの声に思わずびくりとした。その言葉の内容そのものには緊張したものの、よく聞き慣れた声音に私はすぐに相好を崩した。

「驚かせないでよ、健介。荒木先生の真似なんかして」
「わりーわりー。でも時間ぴったりにしか来ないお前も悪い」

この学校で健介がレギュラーとして、私がマネージャーとしてバスケ部にいた頃、監督から何度も聞かされた言葉。それをわざわざ選んでからかってくるとは、健介もなかなか性格が悪い。反射的に身構えた私を見て面白がっていただろう彼の肩を軽く押しやるが、何でもないように笑っていた。

「そういう健介は今までどこに行ってたの」
「早く着きすぎてなー、ちょっとそこらの自販機寄ってた。ほらよ」
「ありがと。今あったかいものすごく嬉しい」
「やっぱりこっちの気温は東京とは違うよな」

それまで両手に熱い缶を握っていたせいか、私に自分の飲み物も預けて健介はひらひらと冷ますように手を振った。戯れにその片手に触れてみると、じんわりと熱い。健介の実家がここからそこそこ離れていることもあって、早めに家を出てきたんだろう。手のひら以外は冷えていそうだ。
東京の住まいを引き払い、私たちが秋田に帰ってきたのは少し前の話になる。就職先を地元に決めた私たちは、それぞれの実家に帰り、身のまわりが落ち着いたら母校を訪ねようと約束していた。健介にとっては、ここはもうただの出身校ではない。私は秋田市内のある学校の事務に勤めるが、彼はこの陽泉高校の教師になる。それが、今日ここに来た理由の一つでもあるのだ。
卒業してから滅多にこの学校へ足を向けなくなった一因に、監督の荒木先生の言葉がある。「いつだって母校に来ていい。私はお前たちを歓迎する。ただ、遊びに来るだけなら駄目だ。いいことでも悪いことでもいい。何かひとつ、報告できるものを持ってきなさい」そう凛と響く声は未だ記憶に鮮やかだ。だから卒業したばかりの私は、胸を張って報告できる成果を土産にしないとここに来てはいけないと決心した。そんな私を真面目すぎると、彼は笑ったけれど。
昇降口にある受付で入校手続きを済ませて、簡素なプラカードを首からさげた。校舎の方へ足を向ける健介に、私はおやと首を傾げた。

「真っ先に体育館へ行くと思ってた」
「今あそこに行っても、オレが知ってる世代のやつはもういないだろ?気を遣われても困るし、部活が終わった頃にちょっとだけ覗かせてもらうわ」
「OBなんだから遠慮する必要ないのに。それに、未来の生徒に会っておいてもいいんじゃないの?」

こちらを振り返り見た健介は呆れたように笑い、私の頭を乱暴に撫でた。その必要はないと言われた気がした。今は高校でも春休みにあたるのか、校舎内は閑散としていて、賑やかな声は窓から見える体育館の方から聞こえるだけだ。キセキの世代がこの学校を卒業しても手堅い実績は変わらず、インドアスポーツに力を入れている校風も変わっていない。荒木先生は今日もあそこで声を張り上げて生徒を指導しているのだろうか。
いくつか階を上がって、三年生が使っている教室の一つに、健介は足を踏み入れた。私たちは一年、二年とクラスが違っていたので、一緒に学校生活を送ったのはこの教室ただ一つだ。見覚えのある座席へ腰掛けた私とは対照的に、健介はきょろきょろと教室の中を見渡していたかと思うと、教卓へ歩いていってそこに立った。

「そこからの眺めはどうですか、先生」
「うるせー、茶化すなよ」
「何か感慨深いものがある?」
「少し前まではオレもそっち…生徒の側だったのに、変な感じだと思ってよ」

教卓に手をついてゆるく息を吐く健介は、どこか懐かしむようにつぶやいた。手招きをすると、彼は私の斜め前の席に腰掛けた。そういえば、私と健介はこうして斜めの位置関係になるように席が近いことがよくあった。隣や前後の席になることはなかったけれど、授業中に健介の横顔と明るい金髪を見ることができる斜め後ろからの景色が結構お気に入りだった。今はこちらを向かうように座っている姿を見ながら、そんなことを思い返した。夕陽を背にした健介の瞳は逆光の暗がりの中できらきらと光っていた。

「こうしてみると、何にも変わってないのにな」
「私たちが?」
「ああ。高校の時は楽しかった。バスケのことしか考えてなくて、それだけに全力で打ち込むオレを、マネージャーのお前が親みたいに見守っててさ」
「私は、みんなと健介が楽しそうにバスケしてるところを見ていただけだよ」
「でも、あの頃も今も、変わらずお前はオレの近くにいてくれる」
「うん」
「よかった、自惚れじゃなくて」

安心したように笑んでみせる健介の表情は、高校時代とそう変わらない。面立ちにまだ学生の持つ無邪気さが残っているし、笑う時の目の細め方も昔と同じだ。ただ、纏う雰囲気が少し大人びて、横顔に凛としたものを感じるようになった。悠然と微笑む姿は私よりずっと大人に見えて、どきりとした。

「そんなところで不安にならなくても。先生になるんだもの、他に心配することがあるんじゃないの?」
「そう言うなよ。オレにとっては大事なことだ」
「…なら、いいんだけど」
「春からは生徒を見守る側になること、誇らしいけれどオレでいいのかって思うときもある」

言葉だけを受け取れば、それは健介にしては珍しく弱音のようにも聞こえる。けれど、そんなはずはない。どんな時だって諦めることをせずに、大丈夫だと笑って、誰より周りの背中を押してきたのは彼だったのだから。ほんの少し戸惑いと不安を混ぜ込んだ声音には、確かに未来への展望と期待も含まれていて。私を真正面から見つめて、子どもみたいに健介は笑った。

「オレはお前がいないとダメだ。お前が、見ててくれなきゃこまる」

私は呆れて少し笑った。ダメだとか困るとか、健介には似つかわしくない言葉ばかりだ。一人でいたとしても平気なくらい、あなたは強いくせに。私を捕まえておきたいからと平気で嘘を言う彼が憎らしくもあり、愛おしくもあった。彼が伸ばしてきた手のひらがさらりと髪をすべっていって、そのまま私の手を取った。校門前で会った時ほどではないにしろ、彼の手のひらは熱かった。その体温はまるで、彼がいま話している言葉すべてが熱を孕んで私の心を揺さぶって仕方ないことを証明するようだった。じわり、顔が火照る。

「お前がいないと頑張れない。だから、これからも一緒にいてくれよ」
「そんなことないくせに。健介はしっかり者だから平気でしょう」
「一緒にいてくれねーの?新人教師の命運はお前次第なんだぞ」
「……いじわるだなぁ」

小さくこぼすと、健介は心底楽しそうに笑った。彼よりも、私の方がよっぽどダメだ。こんなに優しい人を手放して、この先を生きていける気がしない。ずっと一緒にいてほしい。私が言い出すべきだったのに、それよりも早く彼が約束を取り付けてしまった。どうしてこの話を学校でしたのか、ようやく分かった気がする。ここは私と健介が出会った場所で、思い返せば何もかもの原点だから。高校生だった自分の幼さをゆっくり振り返れば、彼と過ごしてきた年月が深く重く感じられた。

「それで?返事、欲しいんだけど」
「わかってるんでしょ」
「言葉で聞きたいんだよ」
「私が追いかけるように就職先を決めたのは、誰のためだと思ってるの」
「オレだろ?」
「わかってるなら、これからも変わらずそばにいてよね」

それが聞きたかった、と彼は笑顔で言った。進路に関することは私自身が考えて決めたことで、彼に決定を揺らがされたわけではない。それでもやっぱり、選択肢のうちから彼と離れるということを考えられなかった私は正直者だ。懐かしい教室の片隅で二人の大人が、高校生と変わらない無邪気さで笑っている。先生たちに報告できること、またひとつ増えたみたい。





高校生へ原点回帰
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