「花宮。はなみやー」

つかんだままにしておいた相手の袖を軽く引いた。
こちらの言葉を聞いていても足を止める素振りをまったく見せなかった彼は、袖を引っ張られてようやく渋々といった様子で立ち止まる。
視線だけを寄越してきて何か用かと目で語るので、私は近くの植え込みを指す。

「ツツジがきれいに咲いてるよ」

春の主役級の木々の花はとっくに散ってしまったけれど、この時期に見られるツツジはその色合いの華やかさで引けを取らない。
近くにあったのは真っ白にふわふわと咲きこぼれているものだ。
濃い赤色のものとはまた違う趣があって、群生する姿はもこもこと白くて可愛いと思う。
そんな思いをこめて花宮へ笑顔を向けると、私の指差した先は一瞥もしないでこちらの表情だけをじっと見返してきた。
そして一つ舌打ちをしたかと思うと、とても面倒くさそうに口を開く。

「あーハイハイ、良かったな。わかったから黙っとけクソ」
「相変わらずひどい言い様なんだから。それにしても、今日はいつもほど邪険にはしないのね」
「…前回みたいなのは御免だからな」
「え?」

ぼそりと返された言葉に首を傾げてみせる。
もちろん、何のことを言っているのかは分かっているつもりだ。
前にもこうして出掛けたとき、ちょうど八重桜が見頃だった。
私は今と同じように花宮を呼び止めて、桜を見るように言ったのを覚えている。
彼はいつだって興味がなさそうだから、その度に花や木の話を付け加えて関心を促そうとしているのだけれど、それがどうやら不服らしい。

「その前にも桜とか桃とか梅だったかを見に行った時に、お前が見てみろだのきれいだの騒ぐから」
「うん」
「オレは毎回それがどうした、だから何だってお前に言ったよな」
「言われたね」
「その都度に長ったらしい植物のムダ知識を聞かされる身にもなってみろ。いちいち否定する気も失せたっつーのバァカ」
「根負けしたってことだね」
「…負けてねえ」

鬱陶しそうに花宮が腕を振るものの、私はその程度で手を離したりはしない。無残に花宮の服の袖が伸びるばかりである。
彼は不機嫌になった上でさらにムキになると、普段より行動が予測しやすい。
無駄だと悟ったのか、手を振り払うことを早々に諦めたらしい花宮は、「だりぃ…」とだけ呟いていた。

「そういう話、つまらなかった?」
「お前と違ってオレは花言葉だとか開花時期だとか、役に立たない雑学は覚えない主義なんだよ」
「頭のいい花宮でも、知らないことはあるんだね。勉強になって良かったじゃない」
「何一つ良くねえ。馬鹿か」

確かに、彼が私との会話を楽しんでいるようには見えない。
私が自分勝手に話すのを、制止すら面倒くさがって放置しているだけのような気もする。
けれど、心底鬱陶しいならば。私と居たくないならば。
一緒に散歩に行こう、という私の提案に大人しく付き合うことさえしないはずである。
小難しそうな書籍を読みふける横顔より、木漏れ日の下を歩く彼の方が、比較的穏やかな表情をしている。私にはそう見える。
だから私は花宮を散歩に誘うのを止めないし、大好きな草木や花々を彼に見せようとするのだ。
天邪鬼な彼には言えない話。

「花宮はもう少し、自然とか風景に目を向けるといいよ。こんなにきれいだし楽しいんだから」
「クソくらえ」
「言葉が汚いなぁ」
「お前こそ、たかが散歩の途中にふらふら道草食い過ぎなんだよ。あっち行ったりこっち行ったり、そんなにお前の人生ヒマなのか」
「余裕のある日々を過ごしていると言ってほしいんだけど」
「は」

鼻で笑われた。
私からすれば、花宮の生活は充実していても余裕や休息が足りないように感じる。
もっと楽にすればいいのになぁ。
なんともお節介で主観的な感情ではある。けれど、花宮だってたまには私の隣でも楽しそうに笑うじゃないか。
彼にはそういう時間をもっと増やしてほしいと思う。
余計なお世話で、かつ贅沢な望みだ。
考え込んでいたら、私が彼の扱いに傷付いたと思ったらしい花宮が肩をすくめる。

「馬鹿にされた程度でマジへこみとかうぜーからやめろ」
「違うよ、花宮の今後を憂えているの」
「……」
「何だこいつって顔しないでよ」
「ハッ、反吐が出るってだけだ」

花宮が空いていた方の手で、彼の袖を掴んでいた私の手首を引き剥がした。
そのまま腕を引いて、「もう帰るぞ」と言って歩き出したので仕方なく引っ張られて歩く。
もう少し遠回りをしてツツジが一列に植わった場所を見せたかったのに。

「花宮、あっちの方にさー」
「帰るっつったろ。オレは眠いんだよ」
「ちょっと寄るだけだから」
「しつこい。また今度、見に行けばいいだろうが」

イライラしたように返された言葉に、はたと思考が止まる。
容赦ない悪態もつっけんどんな口調も平常通りのなかで、唯一私が聞き逃せなかった言葉をゆっくり繰り返した。

「また今度、って言ったけど」
「ああ?」
「約束してくれるの?普段はあんなにつれないのに」
「……しまっ」

た。
言い終わらないうちに花宮が自分の口をぐっと手で覆った。
それほどまでに不覚だったのだろうか。
うつむき加減で視線を合わせない花宮の冷や汗が尋常ではない。
からかえば殴られそうな気がしたので、あえてその様子には触れないまま、私はにこりと笑った。

「花宮。牡丹がすごくきれいに咲いてる場所があってね、今度はそこに」
「行かねえ」
「行こうよ」
「いやだ」
「あきらめてよ。私のしつこさにはもう慣れちゃったでしょ?」

淡々と言い返すと、どこか悔しそうな顔で花宮が私を睨みつけた。
怖くはない。
その視線が私の問いに対して肯定をしているようなものだから。

「はなみやー」
「うるせぇな、人の名前ばっかり呼ぶんじゃねーよ」
「お節介な私を見放さないでくれてありがとうね。好きだよ」
「…死ね」
「照れてる」

べしん。
無言で肩を叩かれた。それなりに痛い。
けれど彼が次の約束を現実にしてくれるならば安い代償だと思う。
不本意そうに眉を寄せた花宮は唸りながら髪をぐしゃぐしゃと掻いていた。
はらりと乱れた髪の隙間から覗いた耳が少しだけ赤い。

「帰る。帰って寝ないと腹の虫が治まらねえ」
「そう?じゃ、帰ろう」
「ついてくんな」
「花宮が手を離してくれないんでしょ。牡丹、楽しみだね。きっときれいだよ」
「ふん」

どんな言葉が返ってこようと、いくら彼が表情を苦いものに変えようと。
きっと花宮は約束を守ってくれる。
だから、彼のことが好きだ。
私の特別な存在であることは揺らがない。
花宮はつかんでいた私の手首を離すと、乱暴に手を握ってきた。
ああ、やっぱり、この人を放っておきたくはない。
そう思って指を絡めると、少し先を歩く彼が小さく悪態を吐くのが聞こえてきた。

20130506
こっちを向いて黒猫さん
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