「あ、名字!おはよー!今日もかわいい!」

朝、学校に着いて真っ先に聞く言葉がこれというのは、どうなんだろう。
他にも部員は大勢いるというのに気にする様子もなく、葉山先輩は毎日のようにいつだって私にかわいいと言う。
挨拶だけを返してマネージャー業に勤しもうとする私のあとを、葉山先輩がついてくる。
それはもう見慣れてしまった光景で、主将の赤司くんに注意されるまで先輩は私の後ろを歩くのが常だった。
葉山先輩は、まるでかわいいという言葉しか知らないみたいだ。
一秒だって休まず交わされる会話の端々に織り込まれる「かわいい」を聞いていると、それは本気ではなく冗談の類なのではないかと思ってしまう。
私がタオルを畳んでいたってドリンクを作っていたって、先輩はかわいいと言う。
もはやどこに可愛さを見出しているのか分かったものではない。
この間なんて、大きな荷物を手に歩いていたら、「かわいい!」と言われて運ぶのを手伝ってくれた。
手伝いは有り難かったけれど、何がかわいいのか分からない私としては疑問だらけの日々を送っているわけで。

「葉山先輩の言うかわいい、って何なんでしょう」
「アイツにとって最上級の褒め言葉なんじゃない?語彙が少ないのよ、悪く思わないでやってね」

ミーティングの追加用件で赤司くんのもとを訪れた実渕先輩に相談したら、さらりと言い返された。
好意を持って接してくれているのはわかる。
所構わず見境なく、の姿勢が気になるのだ。
私が先輩の褒め言葉を素直に受け取れない原因はその頻度にあった。
そんなに頻繁に褒められるほどの仕事ぶりを発揮したことは、未だかつてない。誠に遺憾ながら。
マネージャーとして頑張らなくては、と別件で思い悩む様子の私をじっと見て、実渕先輩は首を傾げた。

「そうね、確かにあなたはかわいいわ。けれど、私はかわいい系よりキレイ系だと思うのよねぇ」
「…実渕先輩、そういうことじゃなくてですね」
「ねえ、征ちゃん!征ちゃんはどう思う?」

実渕先輩が呼ぶと、それまでミーティングの書類に目を通していたらしい赤司くんが顔を上げた。
私と赤司くんは同じクラスで、前後の席だ。
後ろを振り返る形で彼に向き合うと、不思議な色合いの双眸に静かに見つめられて、思わずうつむいてしまった。
赤司くんが相手だと、先輩に対してとはまた違う緊張を抱いてしまう。
私の心境を知ってか知らずか、顎に手をやって赤司くんは落ち着いた声音で言った。

「名字はかわいい…というよりは可憐な印象をしているが」
「あらあら。良かったわね、名前ちゃん」

こちらが戸惑うほど真摯に答えてくれた赤司くんと楽しそうに笑う実渕先輩に、ひそかに肩を落とした。
私が聞きたいのはそういうことじゃないのに。
やはり当人がいないこの場では答えなんて出ないのだろうか。
そう思った矢先、「名字ー!」と、すっかり聞き慣れた声が近付いてきて、振り返るより早く背中に衝撃があった。

「わっ!は、葉山先輩?」
「名字なにしてんのー?相変わらずかわいい!」

私よりはるかに高い背丈の葉山先輩が勢いよく抱きついてきたものだから、前につんのめってしまった。
体を支えるために置いた手のひらのすぐそばに赤司くんの肘があった。
前のめりになったせいで距離が、と焦ったところで目と鼻の先にいる赤司くんと視線が合う。
背中にかかる重みも気にならず、あわてて彼の机に乗り出した身を退かした。

「ご、ごめん!赤司くん」
「いや。構わない」
「先輩、急に飛びつかないでください」

おかげで主将に迷惑をかけてしまったと、いつもより尖った口調で話しかけたのに、一瞬だけきょとんとした葉山先輩はすぐに「かわいー」と、ふにゃり笑った。
人が注意しているのにかわいいとは何事ですか。
そう怒りたくなったけれど、よくよく見れば赤司くんも実渕先輩もそれほど気にしていない様子だった。
取り立てて注意することでもないと言われた気がして、私は仕方なく口を閉じた。
お叱りが済んだといち早く察したらしい葉山先輩は、一度離れた身をまたぎゅうとくっつけてきて、嬉しそうにしている。
私から離れるという選択肢はないらしい。

「いいなぁ、赤司。こんなにかわいい名字と同じクラスでさー」
「ならば留年するかい?小太郎」
「えっ……やめとく!」
「いま少し迷っただろう」
「いや!迷ってない!そもそも成績悪かったらバスケ部やめなくちゃじゃん!」
「よく分かってるじゃないか」

そのまま赤司くんへと話題を投げかける葉山先輩の腕の中に、私はすっぽりと収められている。
そばで眺めている実渕先輩は苦笑いよりは微笑ましいに近い感情を浮かべてこちらを見るので、少し居心地が悪かった。
頭を撫でてくる大きな手のひらも、私の名前とセットにして出されるかわいいという言葉も、分からないことだらけだった。
曖昧なまま放置しておくのはどうも嫌で、次の日に私は葉山先輩の背中に声をかけた。

「葉山先輩は言葉が足りないんだと思います」
「えー?」

練習試合の直前。
バッシュの紐を結び直すためにかがんでいたらしい葉山先輩は立ち上がると、私を見つめてにっこり笑った。
もっと詳しく説明してほしい、という顔だ。

「かわいいって言われるだけじゃ、先輩が何を思っているのか分からないんです」
「どうして?」
「私のどこをかわいいって思ってくれるのか、葉山先輩の気持ちがどこにあるのか。分からないうちはかわいいって言われても受け取れません」

ひどく遠回しな表現だと思った。
でも、彼がどんな感情からかわいいと言ってくれるのか、それを知らないことには何も始まらない。
そもそも、葉山先輩は私をどう思っているのだろう。
部活の後輩?危なっかしいマネージャー?それとも、もっと別の何か?
どれでもいい、けれど、どれなのかは教えてほしい。
そうじゃないと、私が勘違いしてしまいそうだから。
訳も分からないうちに変な期待に飲み込まれてしまいそうだから。

「なんで名字がかわいいか、理由を言えばいいってこと?」
「…そう、なると思います」

我ながらなんて恥ずかしいお願いをしたんだ、とすぐに後悔をした。
私の気の迷いを吹き飛ばすように、葉山先輩は明るい笑顔で話し始めた。

「名字は、このバスケ部の何?」
「…マネージャーです」
「そう。マネージャーとして、一生懸命仕事してるところがかわいい」

なるほど、私は可愛がられている後輩か。
安心と少し残念な気持ちがない交ぜになって、ゆっくりため息を吐いた。
ようやく答えを得た、と思ったのに。
葉山先輩の言葉はそこで途切れなかった。

「オレが張り切りすぎて怪我をした試合、覚えてる?」
「一カ月前のですか?」
「そうそう。名字、真っ先に駆けつけてくれてさ。不謹慎だけど、焦る名字もかわいいって思ったんだ」

言葉を紡ぎながらどんどん表情が柔らかくなる葉山先輩を見て、私はじわりと顔が熱くなった。
彼が緩める眦も、熱を帯びた声も、確かに今まで幾度となく目にして聞いてきたはずなのに、どうしてか鼓動が早まって止まらない。
自惚れで、なければ。
葉山先輩の言葉をこれほどまでに受け取っているのは私だけだと、そう思ってもいいだろうか。

「毎日頑張ってサポートしてくれるじゃん」
「それが仕事ですから」
「でも、オレらのことを一番に考えてくれてる。そういうところがかわいい」

実渕先輩、違いました。
葉山先輩は語彙が少ないんじゃなくて、どんな時もありったけの気持ちをその四文字にこめていたみたいです。
そうでなければ、こんなに優しい表情で私と向き合ってくれる理由が見つからない。

「オレが試合に出るときにいつも、ちょっと笑って見送ってくれるでしょ?」
「し、知って…」
「名字はかわいいよ」

今日一番の笑顔をされて、心臓がどうにかなりそうだった。
これまで窺い知れなかった言葉を惜しみなく、溢れんばかりに贈ってくれた葉山先輩に、もはや返す言葉が見つからない。
何か言おう、言わなきゃ。
そのとき、私が口を開くより早く、整列の笛が鳴った。
葉山先輩がコートの方を振り返った。
先輩が行ってしまう。焦った気持ちを落ち着かせてくれたのは、普段通り頭をゆっくり撫でてくる大きな手のひらだった。

「そういうところが、大好きだよ!」

手のひらを離してコートへ駆けていく葉山先輩を、私はぼんやりと見送った。
いつだって何でもないようにかわいいと言うくせに、告白に限っては顔を真っ赤にしてはにかむなんてずるい。
そう思っている間にも両チームが挨拶を交わしている。
いけない。試合中は、私もマネージャーとして精一杯サポートしなくちゃ。
気持ちを切り替えた直後、少しだけ笑った。
試合が終わったら、勝って戻ってきたあの人にどんな言葉を返そう。


20130418
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