すっと目を見開いた先には年月を重ねて薄汚れた天井があった。
自分が固いベッドに寝かされている、と重い意識でぼんやり感じながら、天井にある染みをじいっと睨みつけた。
消毒薬の臭いにここは保健室なのか、とひとつひとつ状況把握をしていたら、ふいに隣で笑い出す軽やかな声音。
ひらりと首を動かすと高尾がくつくつと笑いをこらえていた。


「すげー表情!ぶふっ顔こわ!」
「失礼だなあ…」
「寝起き一発目からそんな顔して、やな夢でも見たかー?」
「いや…ううん、なんでここにいるのかなあって、考えてただけ」


いつも通りの軽い口調で高尾が私の頭をふわふわとなでる。
横たわった姿勢のままである私はそれを黙って受け入れているけれど、実際に彼の手のひらが心地いいのだから仕方ない。
反対方向に視線を向けると、校庭で部活動に励む生徒が数人見受けられた。
ということは、もう放課後なのか。


「覚えてねーの?五限の体育でぶっ倒れたじゃんお前」
「あー、うん。確かに」
「相変わらずぼんやりしてんなぁ。不摂生もほどほどにしとけよ?」
「いいものが出来そうだったから、つい熱中して」
「そっかー、出来上がったらまた見せてな」
「うん」


昨夜は遅くまで絵を描いていたのだった。
私が美術部の部員であり、絵への傾倒ぶりが並ではないことを、高尾はよく知っていた。
そんな私が描く絵を彼はたいそう気に入ってくれているらしく、展示会やコンクール期間以外の時にもたびたび話題に出してくる。
気にかけてもらえているようで嬉しい、というのが本音だけれど口にしたことはない。
彼はいつだって絵を描く私の傍らでにこにこと満足そうに微笑んでいるから、わざわざ言葉にしなくてもいいと思っている。


「ところで、もう起きていいかな」
「いいんじゃね?本人が平気なら」
「先生は?」
「職員会議で留守みたい。病人担ぎ込まれてんのになー」


やれやれと肩をすくめる姿を横目にむっくりと身体を起こすと、案外思考はすっきりしていた。
いくらか眠ったことで楽になったのかもしれない。
隣に立って私の様子を見つめている高尾は、いつも通りだ。
大仰に心配してみせたり腫れ物に触れるみたく気遣ってはこない。
そのことでずいぶんと気楽な心持ちになれた。
彼の等しく誰にも分け隔てない対応は、彼が知るよりずっと多くの人を助けているのではないだろうか。
それでいて、必要な言葉はきちんと与えてくれる。人気者になるわけだ。
上体を起こした姿勢で、意識を確かめるべくゆるゆると頭を振る私のことを、なんだか愛おしげな視線で高尾が見ている。
見上げると、再び降りてきた手のひらが、くるりと円を描くように髪を撫ぜていった。


「お目覚めですかー?お嬢さん」
「結構前にね。見てたんでしょ」
「ふ、つれねーの。同じノリで喋ってくれたっていいじゃん」
「そんな恥ずかしい台詞には乗れないよ」


するすると髪の間を梳くような手つきで滑る指先が優しい。
言葉になっていなくても、彼の心情はその仕草で痛いほどに伝わってきた。
あまり冷や冷やさせるなよ。心配したじゃんか。大したことなくてよかったよ。
いくつ、声にしないものがあったのか。
想像を巡らせることしか許されていない私は、寛大な彼の心に寄り掛かるしかできないのだ。
もしかして、瞳では何か語ってやしないかと、じっと下から覗き込んでみるも、高尾はふにゃりと眦を緩めるだけだった。


「どした?なんかしてほしいことでもある?」
「ううん。高尾、時間は大丈夫?」
「へーき」
「じゃあ、ちょっとだけ」


彼が撫でていた手からすり抜けて、目の前にある彼の身体に額を押しつけた。
静かに身を寄せた私に何も言わず、低い声でしょーがねえなぁ、なんて困っていない声で高尾が言う。
私は彼ほど器用ではないから、これでどれほど伝わるか分からないけれど、そこは気持ちを読み取るのが上手な彼にお任せしよう。
迷惑かけてごめん。
それだけは決して言わないよう気を配る。
この、優しくて心地いい空間に浸っていたいのならば、彼の行動の一切合切を無碍にするような謝罪は控えるべきだ。
彼の学ランの裾をそっと握りしめると、彼の手が私のそれに重なる。
恋人のように指を絡めるでもなく、意中の相手にするように情熱的に握るでもなく。
ただひたすら、私の手のひらをゆるく包む彼の力加減が嬉しかった。
ありがとう、とだけ短くこぼせば、高尾が幸福そうに笑うのが聞こえてきた。

20130301
扈扈(おだやかなさま。おっとりしたさま)
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