朝からさわさわと浮き足立った校内の空気にほう、と息を吐いた。
すれ違った女の子が二人、少し恥ずかしそうに、でも楽しそうに駆けていくのは誰かにチョコレートを渡してきた帰りなんだろうか。
その様子を見て心がざわついたものの、自分の鞄を撫でて内心で言い聞かせる。
今はまだ浮かれる時間ではない、と。
気さくで人当たりのいい彼も同級生や後輩からチョコレートをもらい受けるのかと思うと、ほんの少しだけ胸が痛んだ。
秋田は、今日も寒い。

教室に着いて授業が始まってからも、生徒たちの間ではイベント事を楽しんでいる空気が流れていた。
賑やかな休み時間の合間に友人がくれたアーモンドチョコレートをカリカリと味わいながら、考えるのは彼のことばかり。
まだまだ、まだまだ。
君の出番はもう少し先だよ。
鞄から覗く箱を指でなぞりながら、違うクラスにいる蜂蜜色の髪を思い浮かべていた。
いま、何をしているところかな。
何を考えて、笑っているのかな。
メールをしてしまいたい気持ちを抑えて、机にゆっくりと顔を伏せる。
文字だけで気持ちを伝えるのは簡単だから、と窓の外に目を向けた。
早く会いたいなぁ。
灰色の空から落ちてくる雪はしんしんと積もって高さを増していく。
あと少し、そう呟いた声は喧騒と冷気に溶けていった。

ちょっとだけ特別な一日は、終わるのも早い。
放課後には教室内もずいぶんと落ち着いてきていて、部活で残る男子生徒を呼び出して本命を渡す子が残るばかりだろうか。
かくいう私もその一人なのだけれど。
賑やかだったクラスもだんだんと人数が減っていき、私は帰る友人たちに手を振りつつ、ストーブ近くの席を借りるため移動した。
人が少なくなると空気はますます冷え込んでくる。
屋内とはいえ凍えかねない室温に、鞄から取り出したマフラーをくるりと首に巻く。
最近、彼のものに似たチェック柄のを買ったのだ。
自然と笑みがこみ上げるかたわら、鞄の中で少ない教科書と共にある箱を見つめる。
今日はじめてそれを取り出して、机の上に置く。
一人きりの教室で、私は小さく好きな歌を口ずさんだ。
健介、早く来ないかなぁ。

ぽかぽかと温かい心地で窓を見やると、ずいぶんと夜の闇が濃くなっていた。
少し意識がふわふわしている。眠い。
軽く目をこすっていると、廊下をパタパタと走る音が聞こえてきた。
思わず出入り口のドアへ視線をやったところで、勢いよくそれが開かれた。
はあ、と息を切らした彼が明るめの金髪を揺らし、私を見つめた。

「お疲れ様、健介」

ついさっきまで後輩の指導に勤しんでいただろうことを思って声を掛ければ、申し訳なさそうな表情が一層強まった。
そんな顔を見たいわけじゃないんだけどな。
一呼吸置いてから教室に入ってきた彼は私の片手を取り、そっと指を絡めた。

「わりぃ、遅くなって」
「走ってきたでしょ?そんな急がなくてよかったのに」
「でも、お前に早く会いたかったから。…待っててくれてサンキュ」

握られていない方の手で箱を持っていたのを離し、かがむ彼の髪を撫でた。
私の欲しい言葉を素直にくれる健介が、好きで仕方ない。
柔らかい金髪を隠れた耳の上あたりで撫で回し、心地良さそうに目を細める彼に言う。

「汗、ちゃんと拭かないと。風邪ひくよ」
「ん…そうだな」

手持ちのハンカチをその額に持っていったところで、健介が私を引き寄せた。
ぎゅう、と包まれた高めの体温が気持ちいい。
待ちわびたのは私の方なのだけれど、彼の方が寂しがりなんだろう。
仕事を適当に片付けることを知らない彼は、どれだけ急いで私のところへやって来たのか。
考えただけで胸がじわりと熱くなった。
今日というこの日に健介に最後に会うのが私であって、それでいてチョコレートを渡したい、なんて。

「約束、守ってくれてありがとう」
「いいよ。お前はもっとわがまま言え」
「健介を困らせるの、嫌だもの」
「気にすんな。お前のためだったら困らないから」

少し身を離して真剣な瞳でこちらを覗き込む彼には、ずるいなぁという気持ちしか浮かばない。
手のひらで机の上を探ると、指先にこつんと箱が当たった。
それを手にすると、改まったように健介は私と向かい合った。

「受け取ってくれる?」
「おう。…すげー嬉しい。オレは幸せ者だな」
「大げさだよ」
「ホントだって」

大事そうに受け取った健介がふわっと表情をほころばせるから、私まで嬉しくなった。
笑うと細い瞳が緩んで、ますます幼くて可愛く見える。
触れたい気持ちが勝って、もう一度その蜂蜜色の髪を撫でた。
きらきらと綺麗で、彼によく似合う。

「大好き。いつもありがとう」
「…先に言うなよ。オレから言いたかったのに」
「そういう日でしょ」
「じゃあ、一カ月後はオレの番だな」

また一つ、約束ができることに幸せを覚える。
うなずいて返すと、彼の指先がするりと頬をなぞり、短いキスをされた。

「楽しみにしてろよ」
「うん」

唇を離した彼が至近距離で囁く言葉に微笑んだ。
つないだ手をそのままに、私たちは一緒に帰るために席を立った。
教室を出る間際に振り返る。
寒々しいと感じていた教室は、隣にいる健介のおかげでとても優しい空間に見えた。

20130206〜20130228
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