ぐるぐる、ぐるぐる。
こうして耳を低くくすぐる音が私にしか聞こえないと気付いたのは、最近のことだった。
私はいま、高尾くんの頭をなでている。
いつの間にやら日常茶飯事と化してしまったが、高尾くんはいいことがあった時、褒めてほしい時に私のもとへやってくる。
それは朝のホームルーム前だったり休み時間だったり放課後だったりと様々で、彼は決まって可愛い笑顔で「なでて」と言うのだ。
私はといえば、読書や昼食の手を休め、その都度高尾くんの報告を聞き、納得してから彼の頭へ手を向けるのだった。


「へへ、気持ちいー」


そう言って、高尾くんは机に頭を伏せる。
まるで私の手のひらからゆるゆると重力を受けたように、頭を下げて、授業中のうたた寝によく似た姿勢になるのだ。
そんなところを見てクラスメイトは、「高尾を手懐けている」だとか「飼い主とペット」だとか揶揄するが、言われた本人は否定した試しがない。
代わりに私が否定するのだけれど、そのたび高尾くんは「いいって、言わせとけば」と晴れやかに笑うから、彼の言葉にあいまいにうなずくことしかできない。
ともかく、私が異変に気付いたのは彼を撫でるようになってから何度目かのことで、ずいぶんと前になる。
いつものように黒髪の間を指先がすり抜けていく合間に、ぐるぐる、とうなるような、優しい音が聞こえてきて私はあたりを見渡した。


「ねえ高尾くん、何か聞こえない?」
「へ?…いや、何も」


私が心地よさそうな彼に声をかけた途端、それはぴたりと止んでしまった。
もちろん、高尾くんは不思議そうに首を傾げるばかり。
気のせいかな、と思い直して私は本に目を落としながらゆっくり頭を撫でていた動作を再開させた。
するとまた、しばらくしてあの音が聞こえてくる。
高尾くんは相変わらず気持ちよさそうに目を閉じていた。
唇は緩い弧を描いていて、何かをしゃべっているようには見えない。
そこで私は、このぐるぐるという音がたまに猫が喉を鳴らす時のものによく似ていると気付いたのである。
どういうことだろう。
窓辺を振り返ってみても、ここは三階の教室だ。
猫が覗いているわけがない。


「何か気になるものでも見える?」
「えーと、ううん、気のせいだった」


撫でる手つきがおろそかになっているのを敏感に感じ取った高尾くんが、じっとこちらを見つめていた。
時折物事を鋭く捉える澄んだ瞳は、可愛らしい動物よりはしたたかな野生の鳥を思わせる。
やっぱり何かの思い違いだと、その場は自分を納得させたのだけれど、それ以来ぐるぐるという音は止むどころか、より鮮明にはっきりと耳を打つ。
それも、高尾くんが近くにいるとき限定で。
これはもう、信じられないけれど信じるしかない。
彼があの音の発生源だ。
そう結論付ける頃には、クラスメイトも私たちの様子を日常の一風景として見るようになっていた。


「で、今日はモップがけ一番早くに終わったんだぜ」
「すごいね。雑用は大変?」
「そりゃもう!でもあの宮地サンにまあまあだなって褒められたしね。今日やべーよオレ、絶好調!」


嬉々として語る様子は変わらず明るく、しかし私の手のひらの下にある表情は普段見せない穏やかさを持って、高尾くんは語る。
テストでいい点を取った、シュート練習でいつもより多く入った、先輩にもらったスイカがおいしかった、エトセトラ。
彼が語る日常はさまざまな色に満ちている。
楽しそうだなあ、よかったね、と私が返す言葉はありきたりだけれど、彼はいつだって私に撫でられて嬉しそうにするから。
ぐるぐる、耳に届く音にも自然と笑みが浮かぶ。
高尾くんにも他の誰にも聞こえず、私だけに聞こえる優しい響きだ。
その音に混じって、落ち着いた声色で高尾くんは囁いた。


「オレ、こうしてるの好きだよ」
「うん」


伏せた瞳の下で、高尾くんは何を思い描いているんだろうか。
ぐるぐる、と聞こえるそれの正体を知りたくて、実は調べたことがある。
喉鳴らし、というらしいそれは猫の間でコミュニケーションとしての役割も持つらしい。
猫の喉鳴らしは人間の微笑みに近いものだという記述を見た時には、微笑ましく思ってしまった。
高尾くんは表情でも笑みを絶やさない人だというのに。
もちろん、この音を必ずしも彼が出しているとは思っていない。
ただ、彼と一緒にいると聞こえてくるのだ。
だから必然と、ぐるぐるという音と高尾くんを結びつけてしまうのは、仕方ないことだと思う。


「そういえばさ、オレ登校中にいつも猫見かけんの」
「え」


不意に高尾くんが漏らした言葉につい手を引っ込めそうになるも、「つづけて」と言われて手のひらは離れないまま彼の髪に触れていた。
まるで心を読んだようなタイミングで切り出された話題にドキドキしながら、話の続きを待った。


「すげーなつっこいヤツでさ、毎朝腹出しては撫でろー、ってこっちに視線やるんだよ。警戒心まったくのゼロで」
「ふ、まるで…」
「あ。いまオレみたいって言いかけた?それ、けっこー失礼よ?」


何とか言わずに済ませたのに、察しのいい高尾くんは耳ざとく指摘してきた。
だって、似てるよ。
物怖じしないところも、人を簡単にほだしてしまうところも。
今日の報告は長いなあ、なんて思いながら利き手と反対の手を入れ替えて、高尾くんの頭を変わらない調子で撫でつづけた。


「で、そいつがいっつもゴロゴロって鳴くわけ。動物飼ったこともないから不思議で、この前調べてみたんだよ」
「へえ。どんなこと書いてあったの?」
「お、食いつきいいね。猫好き?」
「…うん、割と」


私とまったく同じことをしていた彼に驚きながらも、つい身を乗り出して聞き入った。
今だって、ぐるぐると耳に届く音はゆったりと続いている。
きっと手を離せば止んでしまうんだろうけれど。
自惚れに近いことを思いながら、私は高尾くんを見つめ返した。


「猫は依存を表す時に喉を鳴らすことが一番多い。って、知ってた?」


ぴたり。
ぐるぐる、そう聞こえていたのが止むと同時に、私も思わず手を止めていた。
微笑む高尾くんの真意がわからず、鼓動だけがどんどん早まる。
あまりにも荒唐無稽な話で、今まで高尾くん本人にきちんと確かめることはしなかった。
もしかして、という思いが胸をよぎる。


「オレの喉も撫でてみる?なーんて、な」


楽しそうに軽い調子で言った高尾くんに言葉をなくす。
彼は全部わかっていて言っているのか、それとも自分が身にまとう音を知らないでいるのか。
わからない、わからないけれど。
はじめて猫のようだと思えた彼の得意気な笑顔はやはり可愛かったのだ。

20130222
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