拝啓 愛しのあなたへ 今日は天気が良かった。 晴れている最中、薄い紫色の色水みたいな雨がさらさら降っている。 日差しと小雨を浴びながら庭に出て、郵便受けを覗いた。 憂鬱なのは、これひとつ限りだ。 乱暴にがちゃんと郵便受けを開けると、敷地内にばさばさと無数の封筒が落ちてくる。とめどない。 あらかたを掻きだして再び郵便受けを覗くと、入口のところにもいくつか挟まっていた。 押し出すように手を突っ込むと、敷地外の空へひらひら落下していく。 下方へひらひら飛んでいく数枚の封筒を見やったあと、視線を封筒の山へ戻した。 これらも全て外へ捨ててしまおうかと思わないこともなかったが、そんなことをしたら自分よりも下の空域に住む人々から苦情がくる。不法投棄だ、と。 空に浮かぶ生活はとても心地よいものだが、近所付き合いとそのルールが厳しいことばかりが面倒である。 ため息を吐いて、しゃがみこんで数々の封筒をより分ける。 薄い黄、水色、深い藍、橙と色ごとに分けてみるが気休めでしかない。 内容に多少の差異はあれど、これらは一様に恋文であり同じ人物から送られてきたものだからだ。 うつむく自分のうなじへ、ぽたりと雨が落ちる。 いつの間にか雨は桃色の雫になっていた。 「落とし物ですよ」 鈴のような声に、門の方へ目を向ける。 自転車で空を渡ってきたらしいそいつは、先ほど落としたはずの封筒を一枚の漏れなく差し出している。 素知らぬ笑顔に若干うんざりとしながら、また落とせば何を言われるかだいたい想像がつく。 渋々受け取ると、彼女は少し首を傾げて言った。 「お疲れのようですね」 「誰のせいだ、誰の」 「さあ。ご近所付き合いが難しいんですか?」 「一つ下層のお前も近所に入るんなら、そういうことになるな」 何が楽しいのか、ふふと笑ったこいつが大量の恋文の差出人だ。 彼女と会った日から、毎日郵便受けを埋め尽くすほどの手紙が届く。 配達人も嫌になってきているのか、だんだん詰め込み方が乱暴になりつつある。 端が折れてしまっている封筒を指先で伸ばしているオレを愛おしそうに見つめて、彼女が言う。 「今日も素敵ですね、健介さん」 「そりゃ良かったな」 「他人事ではありませんよ。私はあなたを褒めたんです」 「どうせ、似たようなこと書いたんだろ」 ひらひらと手にした封筒を振ると、どこか満足げにうなずいている。 何に喜んでいるのかさっぱり分からない。 微妙な面持ちをしていたからか、彼女が付け加えるように言った。 「どんなに嫌そうにしていても、受け取ってくれるんですね」 「そのことなんだけど、空き部屋がひとつ手紙で埋まりそうなんだよ。お前に返していいか」 「いえ。捨ててもいいですから、返すのはやめてください。前にも言ったじゃないですか」 これだから、難儀だ。 同じ郵便物でもチラシや新聞とは違う。 手紙となると軽々しく扱えないし、捨てるのも躊躇われた。 それが自分へ向けられた気持ちだとしたら、尚更。 自分への宛先を上手く処理してから捨てるのが面倒、という思いが一番強かったこともある。 軽く息を吐き、その話題の結論を出すのは諦めた。 人当たりがよく、何事にも穏やかだと近所でも評判がいい彼女は、どうしてかオレへのことになると異様に頑なだった。 オレがこうして彼女と話す時には常にこんな態度であるため、こいつは案外頑固なのではないか、と疑い始めている。 「優しいんですね」 「誰が」 「健介さんが」 「勘違いも甚だしいな」 手紙を受け取りはするものの、直接来られるたびオレはこいつを邪険にして、挙げ句追い払っている。 どうして愛想を尽かさないのか不思議に思うくらいだ。 こいつと違って近所からの評判がそれほど良くもないオレのどこがいいのか、未だ訊けずにいる。 ふと見つめた彼女の背後に見える小雨はじんわりと色を変えつつある。 透明に近い白は日光を浴びてまぶしいほどにきらめく。 「健介さん、来週の日曜日はお暇ですか」 「ああ、祭りだろ。悪いけど仕事があんだよ。行けても終わりの時間帯になる、残念だったな」 「ふふ」 「…なに笑ってんだよ」 「やはり手紙は読んでくれているんですね」 季節外れの祭りがあることは知っていた。 それは手紙を読む前からだったが、一緒に行かないかという誘いが書いてあったのは濃い赤色の封筒に入っていた便箋だった。 文面に目を通していたことを悟られていたかと思うと居心地が悪く、少し目を逸らした。 「まー、一応義理でな」 「少しは気にしてくれました?」 「バーカ、自惚れんなよ」 「はい、分かってます」 「オレが無理なら、誰と行くんだよ」 やけに素直に頷くので、思わず尋ねてしまっていた。 オレのことを好きだと毎日呆れるくらいの言葉で重ねる割には、引き際があっさりしている。 この地域の祭りは規模もそこそこで、意外と人が集まってくるのだ。 ここよりもっと上層で雪像を作って、下層が人工雲を生かした山車を準備して、中層部でそれらを披露する。 ここ最近は色とりどりの雨がよく降るから、雪や雲はさぞや美しく色づいていることだろう。 なかなか見物であり、豪勢なのは毎年変わらない。 祭りに行かない住民の方が少ないくらいだ。 「そうですね、行きません」 「は?行かないのかよ」 「私は健介さんと行きたいんですから。他の人じゃ意味がありませんよ」 責めるような口調ではない。 むしろ断られる予想がついていたのか、澱みなく彼女は話した。 しかし、そう言われてしまうとこちらに非があるみたいだ。 しばらく考えたあと、未だ微笑んでいる彼女を見て小さく答えた。 「少しだけなら」 「え?何がですか」 「だから、祭り。行けても終わりの時間帯っつったろ。それでいいなら、待ってろ。付き合ってやるから」 早口で言い終えると、目の前のこいつは暫しきょとんとした。 無表情だなんて珍しい、と思った矢先に今日一番の笑顔が咲く。 何でもないような振りをしていても、誘いを断られた寂しさはあったんだろう。 だってこいつは、好きという理由ひとつで毎日手紙を山ほど送りつけるしょうがない奴だ。 「…にやにやすんなよ」 「だって、嬉しいですから。健介さんは優しいなぁ」 「言ってろ」 「好きです、大好き」 「…はいはい」 ふと優しいことを言ったときにこいつが見せる顔が割と好きだと、本当は気付き始めている。 幾千の文字よりも、その口が直接紡ぐ愛の言葉の方がよっぽどオレを揺さぶると、きっとこいつは知らない。 ならば、教えないでいてやろう。 悔しいから、オレが負けを認めるのはもう少し先にするんだ。 あなたを好きでいさせてください 敬具 20121110 積み重ねたいくつもの文字が彼を揺り動かしていく |