日に日に冬へと近付くこの季節には、遠い地の彼が元気だろうかと考える。 電車待ちのホームを吹き抜ける風は昨日より冷たさを増している。 けれど、この程度なら寒いと思わない。 こっちに来てから、ぬるい冬を知って、慣れてしまった。 次にあちらに帰るときはうんと寒く感じそうで、それが少し心配になった。 両親の転勤の都合もあって東京の高校に行くと伝えたとき、健介はぐっと目を見開いてしばらく黙ってから、いつものように笑って言ったのだった。 「そっか、向こうでも頑張れよ」 分かっていたことだけれど、不満に思った私はその場で彼の笑んだ頬を軽くつねった。 それで彼はようやく不器用な笑顔をやめた。 「他に言うこと、ないの?」 「…お前がいないと寂しいな」 小さく言った彼が私の手を握った日から、もう三年が経つことになる。 どうにかして少し背中を押さないと、本音も言ってくれない。 そんな彼の優しさに最後触れたのはいつだったか、もう久しく会っていない。 遠距離恋愛、というと友人は興味を示す。 少し距離を置くくらいがいい関係を保てる、と人は言う。 そんなことは決してないと思うし、私はいつだって健介に会いたくて仕方ない。 離れていると、彼の温度さえ忘れてしまいそうで怖くなる。 毎日のように話したり一緒に帰ったりはもちろん出来なくて、たまの週末に会いに行くことだって難しい。 だから、メールで近況を伝えあうのが関の山だ。 ホームに滑りこんできた電車に、私は画面から顔を上げた。 車内は暖かくて、つい眠気を誘う。 学校にそれほど近くもない土地に住み着いたため、通学時間はそこそこ長い。 携帯で新規メールを作成して、送信する。 『健介は、いま何してる?』 しばらくして、返信が携帯を震わす。 あちらも手が空いているのか、メールでのゆるやかな会話は続いた。 やり取りの間も断続的な眠気が襲ってきて、私は目を開けたり閉じたりしていた。 『ふつーに練習試合終わったとこ。お前は?』 『試合お疲れさま。学校帰りの電車の中だよ』 『そのまま寝過ごすなよ?お前よく昔やってたろ』 健介からのメールで携帯が震えて、ふわふわ揺れていた意識が再び浮かんだ。 窓から覗く駅名を見ると、まだ行き先まで余裕がある。 目にした画面には見透かしたような言葉が並んでいて、思わず笑ってしまった。 『いま健介のおかげで起きた。ありがと』 『ほらなー。しょうがないやつ』 健介がおかしそうに笑う声が聞こえてくるような気がした。 彼から届くメールを手に瞳を閉じると、彼の姿が鮮明に思い出される。 いつだって楽しそうにバスケをしていた彼はきっと今も変わらず。 今日もいい結果を残せたのだろうな、と予想しながらまた一つ、メールを送る。 『そういえば、荷物ありがとう。昨日届いたよ』 『そりゃ良かった。お前ほっとくと飯食わないからな』 荷物というのは、健介が送ってくれた秋田のお米だ。 彼氏が彼女に送る物だろうか、と家族揃って笑ってしまったけれど、本当はとても嬉しかった。 健介はたびたびあっちの食べ物を送ってくれる。 東京からは特にいいお土産を持っていけないから、お返しができないのが少し残念だ。 せっかく知り合いの農家から貰ったというのに、それを丸ごと私に送ってしまう強引さは少し微笑ましい。 おかげで健介は家族から相当な非難を受けたようだ。 『だってお前にも美味いもん食わせてやりたいじゃん』 『そうだね。寒いからご飯も美味しくなるよね』 他愛ない話題を続けていると、不意に返信が途切れた。 用事かな、と思い携帯を閉じた。 窓の外をゆるゆると景色が流れていく。 あっちで食べる鍋がとても美味しかったことを思い出した。 私の住む駅まではあと少し。 しばらくして、また携帯が震えた。 『まだ電車?』 『そうだけど』 『お前さ、いつも降りる駅の二つ手前で降りてみろよ』 不思議なことを言う。 ぱちぱちとまばたきをして、私はゆっくりと文面を読み返した。 『なんで?』 『いいから、言うとおりにしてみ』 まさか、会える訳じゃないんだから。 そう返信しようと思って、やめた。 「わかった」と簡潔な言葉だけを送る。 そんなことは健介だって分かっている。 今日はいつも通りの平日で、健介はあっちで頑張っているはずで。 それきり返信の途絶えた携帯を見つめて、私は言われたとおり席を立った。 まさかね。 もう一度繰り返す。 それほど大きくない駅とはいえ都内。 電車から吐き出された大勢の人々は階段を目指して一方向に歩いていく。 その中に一人、流れに逆らうようにこちらを向いて立ち止まっている姿があった。 人の波に押されてしまうが、それも気にならないで私は立ち尽くして、じっと目を凝らした。 だってまさか、ここに居るはずがないのに。 そうは思っていても、期待した自分の鼓動が早くなっていくのを感じた。 人影もまばらになって、その姿を鮮明に捉えたとき、手にした携帯を軽く持ち上げて彼が笑う。 私の知っている、あったかい笑顔で。 「な、会えたろ?」 「…健介」 「遠征で来たんだよ、東京。試合の合間に一日空くから、時間もらってきた」 彼が言い終わらないうちに駆け寄って、思わず飛びついても文句も言わないで受け止めてくれる。 会わない時間が続いたせいか、ぎゅっと抱きしめあう最中、少しだけ涙がにじんだ。 恥ずかしいので、すぐに拭う。 肩越しに健介の柔らかい声が身体に響く。 「お前また細くなったんじゃね?やっぱり飯ちゃんと食ってねーだろ」 「うん、ごめん。そろそろ秋田のご飯が恋しい」 「あー、美味いもんいっぱいある季節だしな」 私の頭をぽんぽんと叩く手は優しいし、口調も怒った風ではない。 相変わらず親か兄のように心配してくれるけれど、私たちはちゃんと恋人で、だから人目もはばからず駅のホームで抱きしめ合ったりしてしまう。 だってたまにだから、いいでしょう。 そんな風に自分で言い聞かせた。 不意に声を低めた健介が、寒さから出た吐息混じりに言う。 「…次いつ帰ってくんの」 「お正月には。早めに帰るから、一週間くらい健介のところに居させて」 「おー、こいこい」 楽しみだと言いたげに健介は笑った。 まったく、敵わない。 多少の無茶をしたって人のことを優先させて、こんな風に私を喜ばせて、だから離れたくなくなってしまうんじゃないか。 ぼそぼそと伝えれば「何だそれ、告白かよ」と茶化された。 そんなこと言うならいい、と軽く身を離そうとしたのはぎゅっと回された腕によって適わなかった。 再び健介の胸に顔を押しつける形になり、いやに真面目くさった声が間近で囁く。 「オレだってお前のこと離したくないからな」 「…かっこつけ」 「そう言うなって、機嫌なおせよ。会いたかったのは一緒だろ?」 確信を持った言葉とともに、額にわずか触れたやわらかい感触がひとつ。 健介の唇は少し冷たかった。 離れていったそれを指先で撫でると、不思議そうな顔をされた。 「つめたい」 「あ、わり」 「ふ、謝ることはないけどさ」 「機嫌なおったかよ?」 「元から怒ってない」 「じゃあ、恥ずかしいことしたな…」 少し目を泳がせて照れたような健介の袖を引き、階段の陰へ導く。 彼をかがむように引き寄せ、背伸びをしてその唇に触れた。 私からしたことに少なからず動揺したのか、うっすらと頬を染めて口元をゆるりと手のひらで覆う。 笑うと、なんだか悔しそうな顔をされた。 「ちゃんと隠れたよ」 「ばか、余計恥ずかしい」 私の手をつかんで引くと、健介はどんどん階段を上がっていく。 どこ行くの?と訊くと、ぶっきらぼうにデート!と返された。 自棄気味の声に浮かぶ笑いをかみ殺した。 本当に怒らせて健介が帰ってしまったら困る。 やっぱり離れたくないなぁ、と手のひらに少し力を込める。 見上げた横顔は仕方ないとでも言うように微笑んでいた。 20121106 東京より雪国のあなたへ向けて、愛しています |