「どうして俺を指名してくれないんスか!」
「あの、あのね、黄瀬くん。ここ往来だから、誤解生むから」

私の後ろで大声を上げた彼を振り返った。
案の定というべきか、今にも泣きそうな顔をした色男がいて、放っておくのに気が引ける。
けれど、足は止めない。
周りからはじろじろと視線が集まっているし、立ち止まると彼を引き離せないからだ。
微妙に歩調を遅らせてみるも、後ろではむすっと顔を歪めた彼が変わらずついてくる。

「だって前にも言ったのに、名前さんが他のスタイリストに頼むから」
「顔馴染みが安心するんだもの」
「俺と名前さんも顔馴染みっスよ!」
「はいはい」

何を言っても今は聞かない、時にはだだっ子のような、行きつけの美容院で働く黄瀬くん。
年も若く、私とそんなに変わらないどころかおそらく二つ三つ年下だ。
スタッフが多いゆえにシャンプーやブローの時に何度かお世話になったことはある。
ただ、カットそのものや最後の仕上げはいつだって昔から同じ人に頼んでいることが不服なようなのだ。

「担当のお客さん置いてきたでしょう、いいの?」
「…本当はまずいっス」
「黄瀬くん」
「でもちゃんと見送りしてくるって言ったんで!」
「怒られても知らないよ」

見送りと言っても、せいぜい店の入り口までだ。
過ぎた真似をしているとは本人も承知しているのだろう。
ちょっと困ったように笑って足を止めたので、私も立ち止まる。
ほどほどに店から離れた、人気の少ない公園の前だった。

「だから、今度予約するときは俺を選んでほしいっス」
「その言い方ってどうなの」
「絶対、一番きれいにしてみせるんで」

とても、新人らしい自信と初々しさだ。
そこが彼の良いところではあるのだけれど。
きっぱりと笑顔で言いきった彼は、切られて整えたばかりの私の髪に触れた。

「もう少し上から、ゆるーくパーマかけた方が可愛いんスよ、絶対。ボリュームが出て、表情にも輪郭にも似合うと思うんで」
「今の似合ってない?」
「いや、もちろん可愛いっス」

お世辞と疑うにしてはやけに力強く言われるので、いつも追及することを諦めてしまうのだ。
私の髪をくるくるといじりながら、まだ何かを考え込んでいる様子の彼は、この仕事が好きで仕方ないのだろう。
より良く、を心がけているのが伝わってくる。

「黄瀬くんは、どうして美容師になったの?」
「未完成を完成に近付けるのって楽しくないスか?」
「黄瀬くんからすると、世の女の子はみんな未完成なの?失礼ね」
「あー、言い方が悪かったっス!でも俺がきれいにすると、みんな喜んでくれるのは嬉しっス」

心底、といった様子で照れ笑いをされると、冗談めかしてからかった私が悪者みたいじゃないか。
思わずつられて笑うと、彼はいつの間にか真剣な表情をしていた。
口元のどこか余裕な笑みは残したまま、指先で持ち上げた私の髪先を大切そうにさらりと落とした。

「ね、全部俺に任せてください」
「だめ」
「む、なんでっスか。俺が若いから?未熟だからっスか」

そっけなく返して踵を返すと、あれこれと疑問を重ねてまた彼が追いかけてくるのがわかった。
早足を急に止めて振り向いて、隙だらけな様子の彼の襟を引っ張って、言った。
驚いた間近の表情はまだまだ幼くて、あどけない。

「そうやってすぐ焦るの、黄瀬くんの悪い癖だよ。せっかく格好いいんだから、揺るがない自信を持たなくちゃ」
「…え、」
「だから仕事頑張って、楽しみにしてるから」

今までずっとつれなくしてきた私からの、精一杯の応援だった。
ぱっと手を離したあと、もう彼は追いかけてこなかった。
一秒でも惜しいと言いたげに、店に向かって走り出した後ろ姿の柔らかな髪の揺れ目、赤くなった耳が見えた。
ふとこちらを向いて、黄瀬くんが叫んだ。

「またのご来店をお待ちしてます!」

返事として手を振ったけれど、再び駆けていく彼には見えていないようだった。
今までで一番晴れやかな気分で別れたのは、きっと互いに同じ。
次に会うとき、彼はどんな笑顔で私を迎えてくれるだろうか。


20120712
常連さんと新人くん
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