穏やかな午後の時間。
射し込む日の光がうららかな空気を作る図書室の窓辺で、二人の男子生徒が読書に没頭している。
互いの距離は付かず離れずであるが、目と鼻の先というほどではない。
その証拠に、片方はその無造作な黒髪をふわり揺らしながら立ち上がる。
もう一人はそれに対してちらりと視線をやったものの、すぐに文字の列へと意識を戻した。
無関心でいて無関係のように見える彼らが主従の関係を結んでいるとは、傍から見た人間はにわかには信じがたいだろう。
読み終えた一冊を棚の隙間へきちんと戻し、黒髪の彼は暫し本を吟味していた。
その主人も自分の読書に集中している。
しかし、いつもなら壊れはしない静謐な空気に、ぽつっと落ち着いた声音が響いた。


「エリオット」


眠たげにも聞こえるその声に、エリオットと呼ばれた彼が本から視線を上げた。
昔ほどではないが、自分の読書の邪魔をされれば機嫌を損ねる従者の矛盾した行動を訝しみながらも、律儀な彼は言葉を返した。
場所を気にしてか、それはどこか潜められた調子ではあったが。


「なんだよ、リーオ」

「訊きたいことがあってさ。少し僕の話を聞いてくれない?」


その言葉に、微笑むリーオの姿を見たエリオットは多くを追及しないで栞を挟んで本を閉じる。
いつだって対等なのが持ち味である二人の仲では、エリオットの言動をリーオが正すのも、リーオの言い分をエリオットが承諾するのも珍しいことではない。
ただ、何に対しても正当な理由を求めるエリオットは、自分を納得させる何かをリーオに期待して頬杖をついた。


「話してもいいけど、静かにな」

「あれ?この前オズ君と大声で言い合いをしていたのは誰だったかな」

「…それは今関係ねぇだろ」

「そう?じゃあ、そういうことにしておいてあげるよ」


掴めないような笑い方をするリーオにエリオットは閉口する。
こいつに口で勝とうなんて無理な話だ、と早々に諦めて彼の言葉に耳を傾けた。
窓辺からの眠くなるような陽気がエリオットの背中に降り注ぐ。


「エリオット、君は人を泣かせたことがある?」

「…あ?」

「自分が原因で、ね」

「さあな。オレが知る限りは思い当たらない。なんでだよ?」

「僕は少し前に泣かせちゃったんだ。それも大切な人を」


少しだけ沈んだ調子になったリーオの言葉に、エリオットは一人の女子生徒を思い浮かべた。
彼が大切な人と呼ぶような相手は主人である自分を除けば、そのくらいしか分からない。
当然のように候補へ自分を入れてしまったことを若干苦々しく思う気持ちで、エリオットは呟く。


「おまえ何したんだよ…」

「ああ、別に喧嘩や言い合いをした訳じゃなくてね?エリオットは短気だし、僕の経験を聞いておいた方が為になるんじゃないかなぁと思って」

「はあ?」


反論したい点は多々あれど、リーオの至って落ち着いた様子にエリオットは数々の言葉を飲み込んだ。
自分が将来誰かを泣かすことがあるなんて考えたくはない。
ただ本題はリーオと彼女の話にあると踏んで、エリオットはそれに意識を向けた。
リーオは不意に視線を逸らし、何かを思い返すように並んだ本の背表紙を見つめていた。


「君のためなら死んでもいい、と。まぁそんな旨のことを彼女に伝えたんだ。…ああ、君が苦手とするエドガーの自己犠牲とは違うから、そんなしかめっ面をしないでよエリオット。僕としては最大限の気持ちを彼女に述べたつもりだったんだ。けれど…」


その指先を並んだ本が作るでこぼこに滑らせて、リーオは息を吐き出した。
いつもより殊勝なその態度をエリオットは笑う。


「大泣きしただろ、あいつ」

「よくわかったね。それはもう、泣きやませるのが大変でさ…これは言っちゃいけないことなんだってしっかり覚えさせられたよ」

「当たり前だな」


ふん、と呆れかえったように言い切るエリオットにリーオは苦笑いを返す。
困ったような顔でいながら、彼は話を聞き諭してもらえることを内心では嬉しく思っている。
ふと会話が途切れて、ふう、と小さなため息がリーオの口からこぼれ出た。


「どうすればいいのかな」

「何がだよ」

「僕が知りたいのは彼女を悲しませる言葉じゃないのに」


リーオの視線が揺れていたのは眼鏡と前髪で隠れていて見えない。
エリオットはそれに気付いていながら、手元にあった本を引き寄せた。
栞のあった位置のページを開き、再び目を落とす。
この話はこれで終わりだというように。


「オレが知るか。リーオ、そういうことは自分で考えるんだな」

「…そうだね。エリオットの言う通りだ」


リーオが軽く微笑むと、エリオットも満足そうに表情を緩める。
二人がそれぞれの読書に戻ろうとした時、不意にリーオが本棚の向こうへぱっと振り向いた。
その様子にエリオットは首を傾げる。


「リーオ…?」

「噂をすれば、というやつだね」


くすりと笑ったリーオの言葉に耳を澄ませれば、軽い足音がエリオットにも聞こえてきた。
急ぎ気味のそれは近くの本棚の陰でぴたりと止む。


「名前。出ておいで」


リーオの呼びかけから一拍置いて、先ほど話題に上がっていた彼女が控えめに顔を出す。
エリオットがよくわかったな、と言いたげにリーオを見ていたが本人は気に留めていない。
おずおずと、やはり場所を気にして潜めた声で名前が言う。


「いいの?リーオ」

「うん、別に取り込み中でもないし」

「そう?あ、エリオットくん、こんにちは」

「おう」


真面目なほどに挨拶をする名前を苦手とまではいかないが、扱いにくいと思うエリオットだった。
彼女自身のことは何とも思わないし、彼が信頼するリーオの選んだ相手だからむしろ好意すらあったりする。
だから、少し困ったようにエリオットは言葉を濁した。


「あまり他人行儀にされてもな」

「え…あっ、そういうつもりじゃないんだけど。うーん、私の好きな人の主人だから、エリオットくんは」


存外あっさりと告げられた言葉にエリオットは目を見開き、その素直さに言葉を失う。
ほんの少し照れた様子の彼女の隣にいたリーオは、珍しいとでも言いたそうに視線を送る。


「リーオ、私は恥ずかしいことを言ったかな」

「いや?僕は嬉しいよ」


そう言いながら尚も覗き込むようにして自分を眺めてくるリーオに、名前の照れは増していく。
にこりと微笑んで一言、リーオの声は弾んでいた。


「名前」

「なに?」

「僕も好きだよ、名前のこと。ありがとう」

「ど、どういたしまして…」

「僕に何ができるかは、これから探していこうかな。うん」

「…それ、何の話?リーオ」


不思議そうにする彼女と、今にもいい加減にしろと言いそうなエリオットに挟まれて、リーオは楽しそうに笑った。
密かに決められた自分の心と、その行く末が楽しみだとでもいうように。


君のために何をしよう
(まずはささやかな愛の告白を)



20111226
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