最近目が覚める時には、彼の声が耳の奥底にこびりついている。
たとえ幸福な時を映していた夢だとしても、僕にとっては悪夢に等しかった。
エリオットはもう居ない。
それだけで、全部が嫌になったんだ。


『わるい、リーオ』


それを直接彼の声で聴いたわけではないのに、その言葉が頭を反芻する。
何に対しての謝罪か、そんなのは考えたくない。
だって、君が居ない世界は、少し息苦しい。


「リーオ」


ふっと目を開いたとき、彼女の姿を目にするより早く、頬に触れていた手の温かさが僕の意識を起こした。
そうだ、ここ最近は夢ではエリオットの声が、目を覚まして一番には彼女の声が響くのを、忘れていた。
その手のひらにそっと手を重ねれば、余計に温もりを実感する。
息を緩く吐き出して、彼女の名前を呼んだ。


「…おはよう、名前」

「おはよう、うなされていたから勝手に襟元を緩めたの。ごめんね」


彼女の髪が頬に落ちてくる、この距離はそのためか。
自分も、うなされた彼にそうして殴られたことを思い出した。
そんなことすら懐かしいと思えてしまう、遠い記憶。
寝起きの気分は好きじゃない。
まだ慣れてない、短くなった前髪も。
そこから見える明瞭すぎる世界も。
場違いな気分になるナイトレイ邸の一室も。
全てに戸惑ってしまうから。


「僕はどのくらい眠っていたかな…?」

「そんなには。最近寝つきが悪かったでしょう?体調を考えても、もう少し眠っておかないと」

「いいよ。それより名前、話をしよう。僕の側から離れないで。どこにも行かないで」

「…うん、わかった」


その細い腰を引き寄せて、腕を回す。
ぎゅう、と力をこめれば、文句も言わず彼女は頭を撫でてくれた。
心が落ち着いた気分になって、暫し目を閉じる。
共依存、とでも呼べばいいのか。
僕たちの関係と距離は日に日に色濃く、深くなっていく。
今もそう、多くを語らずただ抱きしめる僕に追及なんてしないで、彼女の指先が髪を優しく滑っていく。
互いが互いを慰め合っている。
寂しければ抱きしめて、悲しければキスをして、そうしてずっと二人で居る。
今の僕らのこんな在り方を、もしかしたらエリオットは否定するかもしれない。
それでも僕はこの子を手放せない。


「名前。名前は最近夢を見る?」

「どうかな。ここのところは疲れることが多くてね、夢を見ないくらい深く眠ってしまうの」

「その方がいいよ。夢なんて、ろくなものじゃないさ」


僕の言葉にわずか、名前は悲しそうに眉を寄せた。
時々、怖くなる。
僕は彼女が居ないと駄目だけれど、彼女は僕が居なくたって一人で大丈夫なんじゃないかって。
その優しさと深い愛情で今の僕を受け入れてくれてるだけなんじゃないかって。
ただ、いつだって、


「リーオ?私は望んであなたの側に居るのよ。疑わないで。怖がらないで。私のことを信じていてね」


この心配をした時には決まって彼女はこう言った。
僕がまだ口にしてもいないのに。
そう、と零して自分が身を起こせばベッドがぎしりと鳴いた。
その仕草で察したのか、彼女は僕を受け入れやすいよう少し身を屈めた。
唇が触れる。
何度か重ね合わせて、最後に軽い音を残して離れた。
いつだって彼女の存在には感謝している。
それを伝えたかった。


「リーオのキスは、なんだかくすぐったいよ」

「そう?嫌かな」

「ううん」

「よかった」


もう一度、今度は頬へ遊ぶように唇を触れさせた。
じっと見上げてくる彼女の瞳は綺麗で、それでいて少し身構えてしまう。
髪を切って以来、自分は前より臆病になった。
世界がより明瞭に見えるようになったように、他からは僕の心が見透かされてしまうんじゃないかと。
こんなにも理解したくて側にいる彼女の心だって読めはしないのに、有り得ない話だ。
心配そうな彼女には何でもないよと笑ってみせる。
その肩に頭を寄りかからせて、ぼんやりと昔を思い返した。


「リーオの行く所へ、どこへでもつれてって」


彼女はそう言って全てを僕に委ねてくれた。
オズ君には否定された正義をただ信じて、「リーオ」としてのわがままを叶えてくれて、「グレン」としての僕と一緒に来てくれた。
それがどんなに嬉しかったか、きっと彼女は知らない。
こうして側に居るのは決して寂しいからとか、そんな理由だけじゃない。
愛しいと思ってきた気持ちはあの瞬間に一気に貪欲になってしまった。
その手を引いて、彼女を腕の中に収めたときに思った。
もう絶対に手放せないと。
彼女が好きでたまらないと。


「…名前、僕は少し怖いんだ」

「怖い?」

「隠すのに疲れていたのは本当だよ。でも、今まで隠せていたものをただ晒すのはどうしても慣れない。この瞳だって、そう」

「…私はリーオの瞳が好きよ。暗く深い色に浮かぶ光は星みたいなんだもの」


彼女は呟いて、その手が瞳にほど近い肌に触れてくる。
そんな風に言ってもらえて、嬉しさよりは劣等感が勝った。
そんないいものじゃないよ、名前。
僕がこの瞳を代償にどれだけのものを失ってきたと思う?
言葉にはできないまま、僕は問いを重ねていた。


「本当に、そう思う?」

「思うよ。私はリーオのことが好きだもの」

「…もっと言ってほしいな」

「え?」

「名前呼んで。好きって言って」

「リーオ。好き、好きだよ」

「うん」

「大好き、リーオ。愛してる」

「うん、僕も大好きだ」


彼女の言葉に偽りなんかなくて、その事実に安堵する。
離さないくらいに強く、その手を握る。
絡めた指が心地良くて、泣きそうになる。
やっぱり、僕は君が居ないと駄目だ。
弱音は飲み込んで、好きだと紡ぎ続けた。

今まで。
口にしたくないあれもこれも全て、この瞳のせいで僕の手から離れてしまった。
後悔なんてしても足りなかった。
どれだけ疎んで厭うことをしても、それでもこの両目を抉り取ってしまわなかったのは、それは。
黄金の粒が舞い散る中で、笑う彼女とエリオットがあまりに綺麗で、それを失いたくなかったんだ。
その光景を映してくれるだけで僕はこの瞳を持つ意味を得た。
きらきらと、眩しいそれが僕を救ってくれたから。
大好きだったよ、君たち二人が。


20111221
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