ねえ、私って誰かの代わりなの。

そう訊くことができないまま、彼とキスや体を重ねる関係が数ヶ月続いている。
寡黙なあのひとに多くを求める方が間違っているのだ。
わかっているつもりでも空虚な気持ちは日に日に積もり、私はとうとう8番街にやってきた。
3番街を出て、9番街を通り過ぎ、7番街の煙草屋で道を聞いて。
初めて目にする便利屋を営む事務所は思ったよりこぢんまりとしていて、ここで彼が仕事を請け負っているのかと思うと不思議な気持ちになった。

「訊く相手が間違っていることは分かっているつもりなの」

目の前で苦笑いをこぼす、ウォリックに言う。
ニコラスは簡単な仕事のために一人で外出中だと聞いた。
こんなふうに自分の思いを赤裸々に語ることができるのは、ウォリックとは何度か話しただけの、浅い関係であるからだ。
ニコラス本人には決して言えないと思っている。今は。

「ウォリックは優しくてずるそうだから。何かを知っていても、教えてくれない気がする」

私の手のなかにある来客用のマグカップには黒いコーヒーがゆらめいて、澱んだ目をした私の顔が歪んで映る。
誰から見ても幸福そうとは呼べない顔だな。
他人事のように感想を抱く。

「いろんなお客さんがいるけど恋愛相談されたのは初めてだぜ?」

頭を掻くウォリックは居心地が悪そうだ。
なんで俺なの。アレッちゃんに話せば?
彼をよく知っていて、なおかつ客観的に話してくれそうなのは、他を探してもあなたしかいないから。
私の言葉に、ウォリックは観念したように息を吐く。

「ま、便利屋ですから。どんな依頼でもだいたい応えるってのが俺らの仕事だしねぇ」

ギッ、とソファーが軋んだ音がして、体がわずか右に傾く。
横を向くと、隣にウォリックが座っていた。
他人がそばにいて、自分の話に耳を傾けてくれることだけで、私にとっては恵まれていて有難い。
もともと一人ぼっちの境遇にあった私だから、貪るようにニコラスからの愛情を欲しがっているとの自覚はある。

「本当に好きで一緒にいてくれているのか、わからないの」

ぽつ、ぽつと。

「ずっと不安で、彼が言葉にしないなら、そういう関係もあるのかなって、思うように努力したんだけど…」

どろどろ、と。

「今はすごく、つらいよ」

私の本音が溶け出していく。
気付けば手のひらをきつくきつく握りしめていて、爪の先がぬるりとして、手を開くと少しの血に濡れていた。

「んー、あいつが興味も好意もない奴を相手にするはずないんだけど。そんなことも言われなきゃわかんないかね、このお嬢さんは」

ぱさり、とハンカチが私の手を覆うように落ちてきた。
それごと私の手を取って、ウォリックは血を拭ってくれる。

「やっぱり俺こういうの苦手だわ。だって名前ちゃん、『慰めて』ほしいわけじゃないっしょ。そりゃあ俺の専門外だよ」

苦手だと言いつつ、声は子供をあやすように優しい。
この人は、他人の話を聞き慣れているんだろう。
人の心の柔らかいところに踏み込む術を知っている。

「…うん」

誰かに、きっとニコラスは私を嫌いではないと、否定してほしかった。
そのわがままに応えてくれたことが、私の涙腺をゆるくさせる。
その時ギィ、と音がして、正面にあった扉が開いた。
仕事から戻ったらしいニコラスが、眉をしかめて私たちを見ている。

「ニコラス、」

私の言葉を読むことなく、大きな一歩で距離を詰めたニコラスがぐいと腕を引いた。
腕だけなら良かったのだが、彼の有り余る力でひょいと荷物のように肩へ担がれた私は、思わず情けない声を出す。

「やっ…ニコラス!降ろして!」
「むだよー、そいつ今名前ちゃんの口見えてないもん」

屈強な肩を叩いてみても彼が振り向くことはなく、ニコラスの背中とうろたえる私をウォリックは楽しそうに眺めている。
誰かに助けてもらえるはずもなく、手を振るウォリックに見送られ、そのままニコラスは一階へと階段を下りていく。
ボロボロのソファーに放られて、体に響く痛みにうめく。

「…っニコラス!」

強く呼んだ声は、またも彼によって勢いを殺された。
私をソファーに投げたあと、床にすとんと座り込んだニコラスは私の膝に頭を乗せてきた。
私も彼も一言も話さず、水道からぴちょんと水が落ちて跳ねる音がする。

「…どうして」

今までこんなふうにされたことがなくて、戸惑う。
慣れない手つきで彼の頭に伸ばしかけた手のひらを、私は結局引っ込めた。
手のひらに爪の跡が残るそれを、ニコラスが細い瞳で見上げていた。

『夢かと思った』

ぱ、と唐突に彼から示された手話に、私はニコラスの意図を図りかねる。
手のひらを見つめたままでいると、ひらりひらりと手話が続く。

『一度もここに来たことのないお前がいて、俺じゃない奴に手を握られているなんて。悪夢だろ』

そうだ、いつだって会いにくるのはニコラスの方ばかりで、私の部屋か3番街の店くらいでしか彼とは会わなかったのだ。
だから彼の生活が色濃く残るこの場所に来られたことが、嬉しかった。
道端で会うよりも距離が近いウォリックとの会話が楽しかった。
私の膝に頭を乗せるニコラスについては、未知すぎてまだ感想は言えない。
かつてないほど彼と近しい今ならば、穏やかに、心乱さず言うことができるだろうか。

「ニコラス。…私って、誰かの代わりなの?」

横目で私の唇を読んでいたニコラスが顔を上げたはずみで、腰に下げられた日本刀がガシャンと床に鈍い音を立てた。

「そン なふざ けたこと 二度 と言えな いように、してやろ うか」

脅すような口振りをして、ニコラスの声は聞いたことがないくらい寂しい響きをしていた。
彼が指先でなぞった頬を、いよいよ溢れてきた涙が濡らしていく。

『俺のところに一番に来ないなんて、バカなやつ』

不鮮明になる視界のなか、ますます私を泣かせるような彼の手話を、その不器用な愛情を、必死に読み取った。

20151106
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