薄暗がりがだんだん晴れていくような、そんな始まりをする夢は大概が悪い夢だと決まっている。 必ずといっていいほどに、物語は楽しかった子供の頃から始まって、最後には父が私と母を捨てて家を出て行ってしまう。 ありきたりな家庭。壊れた家族。 それでも、私をまだ苦しめる。 もう12歳になるというのに。 夢の終わりはいつだって唐突だ。 眩しい光が差し込んで、目を開いた先には黒目の小さな瞳がふたつ、間近でこちらを覗き込んでいた。 息が交わりそうな距離だったのもつかの間、ニコラスはばっと飛びのいて、慌てた様子で【おはよう】の手話をした。 「おはよう、ニコラス」 人目につきにくい場所とはいえ、アルカンジェロ邸の芝生で昼寝をする他所者は私くらいだと、ウォレスに笑われたことがある。 だってこの木陰はたいそう居心地が良くて、ここは唯一の友の家なのだ。 当主に認められようがそうでなかろうが、私はウォレスに会いに屋敷の敷地内へ忍び込んだ。 もう一人、目つきの鋭い少年がウォレスのそばに増えたのは、つい最近のことである。 「私の寝顔、見てた?」 目覚めた時の至近距離を思い出す。 ニコラスは少し間を置いてからふる、と首を振る。 両手のひらでしっかりと日本刀を抱いている姿は、なんだか縋るようで、必死に嘘をついているみたいに見えてくる。 「キスしようとした?」 ぶんぶんっ、と勢いよく首を振られた。 その無表情な面立ちの額に、うっすら汗がにじんでいるのは指摘しない方がいいだろうか。 火照って見える彼の頬を、手のひらで軽くなぞる。 くすぐったそうにするニコラスは、受け入れも拒絶もしない。 すぐに手を離す。 「ねえニコラス」 ここしばらく、ウォレスが中庭に姿を見せない。 以前ほど自由が利かないのだと思う。 「ウォレスは男の子だから、女の私には本当のことを全部は言わないの。怪我が増えていても、理由を教えてくれない」 あなたには、全部話していそうなのにね。 羨ましい半分、恨めしい半分で囁くと、ニコラスはまたもや首を振った。 諦めたような目をして、静かに。 ニコラスに私の様子を見てくるように言いつけた、ウォレスは大きな屋敷のどこでうずくまっているんだろう。 目の前からいなくならないだけで、当主はウォレスを捨てたようなものだ。 寂しいに決まっている。 心が泣くに違いない。 どんなに、心細いだろう。 「ニコラス」 「もし、ウォレスがどこかへ逃げてしまいたい時は。ニコラスもついて行くっていう時は、お願い」 「私も連れていってね。お願いだから、置いていかないでね」 幼い頃の記憶がちくりと胸を刺す。 小さな痛みに見えてその傷は、父が私と母を置いて出て行ったあの日から、ずっと血を流し続けている。 放っておけないのだ。 ウォレスもニコラスも、私と同じような目をしている。 いいや、同じではないかもしれない。 私は彼らの奥底に触れるには、恵まれすぎているのではないか。 何の確証もないのにそんな考えが浮かぶほど、ウォレスとニコラスは大人びた瞳をしていた。 私の話を黙ってじっと聞いていたニコラスに、念を押す。 「約束して」 「ぁ、い」 久しぶりに彼の声が聞けたことに嬉しさを感じて、思わず小指を差し出す。 昔はこうして私と母や父は約束をしたものだ。 ニコラスはじ、と私の指を見つめたあとに芝生の上を探すように手を伸ばした。 「ニコラス?」 私が言い終わらないうちに、振り向いた彼の手が私の手を柔らかく包む。 彼が慣れない手つきでシロツメクサを摘み、私の指にくるりと巻きつけた。 以前に教えた指輪の作り方を覚えていたんだろう。 ちょこん、と私の小指に咲いた指輪と私の顔を、ニコラスは交互に見ている。 まるで褒めてもらいたそうな雰囲気に、つい私は笑ってしまった。 「ちがうよ、作ってって意味じゃなくて」 「! ……」 ニコラスの手を取り、私たちは小指を絡ませた。 約束。 もう一度繰り返すと、ニコラスは少し伏せた目で、いつまでも小指を見つめていた。 後日、ニコラスはアルカンジェロの屋敷から花言葉の本を持ってきた。 シロツメクサの花言葉には約束という意味があって、私よりニコラスの方がずっと物知りで、恥ずかしい思いをしたのも今では懐かしい。 「うそつき」 私が口にした言葉は誰の耳にも届かない。 もう入ることのできないアルカンジェロ邸を柵越しに見つめた。 一家が惨殺され、ウォレスとニコラスが姿を消したあとの屋敷は警察の手が入り、封鎖されていた。 「連れていって、って言ったのに」 大人になって、二人を見つけたら、泣いて文句を言ってやる。 置いていかれたとは思いたくない。 二人に会いたい。 だって、彼らは私の唯一の友なのだから。 20151014 「幸福」「約束」「私を思って」「私のものになって」「復讐」 |