瀬名泉が、他人に優しくしているところを見たことがない。
傍若無人で、自信に満ちていて、他者を顧みない。そんな男だ。
噂によると、そんな彼にも可愛がっている後輩が一人だけ同じ高校にいるらしい。
彼と学校どころか年齢すら一致しない私はその話を信じることができず、自分のイメージアップを図って彼自身が流したデマなのでは、などと邪推している。

「うわあ。なんであんたがいるわけぇ?時間ずらした意味ないじゃん」

朝から考えたくもない男のことを考えていたら、示し合わせたように瀬名泉に出会ってしまった。
私が門を出たところで目の前の道路を歩いていた彼は当然のように眉をしかめ、嫌味ったらしい口調で私を非難する。
家が近くである彼とは、知り合いと呼ぶのもためらわれる薄い関係だ。
ある春の日。
学校に向かう途中に、紺の布地にチェスのナイトの駒が刺繍されているハンカチを見つけた。
私は辺りを見回し、少し先を歩いていた男子高校生に拾ったハンカチを渡すべく声を掛けた。
それが瀬名泉との最悪な出会いだった。

「あの。これ、落としませんでしたか?」

私が話しかけた相手は怪訝そうに首を傾げ、引ったくるようにハンカチを取っていった。
その態度に唖然としていると、彼は言った。

「なに。あんた、俺のこと知らないの?」
「…知らないですね」
「ふうん。そんな世間知らずでよく今まで生きてこられたね?」

綺麗な笑顔で毒を吐いた男は三軒くらい向こうに住むご近所さんだった、と後々に知って私は瀬名泉を毛嫌いするようになった。
元モデル、現アイドルを目指して養成校に通学中。
どんな身分だろうと知ったことではないのだが、お礼が言えないとは人間としてどうなのか。
落し物のハンカチなんて無視すれば良かった、と後悔しても後の祭りで、それから通学中に出くわすたびに瀬名泉は喧嘩を売ってくる。
何度か家を出る時間をずらしてみたのだけれど、向こうも同じ考えをしていたらしく、鉢合わせすることは多かった。
なんであんたがいるわけ、という質問を無視して私は歩き出した。
学校に行くために決まっている。
先を歩く私にお構いなしに、瀬名泉は喋り続ける。

「ちょっとぉ。挨拶もできないの?ホント無愛想だよね」

挨拶しないのはそっちだって同じくせに、と言いたいのを我慢して黙って歩く。
こういうタイプは相手をしたら負けなのだ。
昨日見ていたドラマに出てきた性悪の姑のようだと思う。
学校でいつもつるんでいる友人は、瀬名泉が近所に住んでいると言ったら非常に羨ましがった。
私の立ち位置をそのまま丸ごと彼女にあげてしまいたい。
私は昔から、特別なものなんて欲しくなかった。
変わっていること、珍しいこと、それらは不幸であることのように思えた。
元モデルの現アイドルなどという男とは関わりたくない。

「あ」

瀬名泉は相変わらずぶつくさと小言を言い続けていたが、ふと意表を突かれたような声を上げた。
しかし私は、彼が何を言おうが振り向かないと決めている。
振り向かなかったのに、瀬名泉は長い脚と大きな歩幅で私を軽々追い抜き、目の前に出た。
そうして、何かを私に差し出す。

「ねえ、これあんたのじゃないの?」

春の日の記憶が蘇る。
私が彼に声をかけたのは落し物を拾ったからだった。
瀬名泉の手のひらには、私が鞄につけていたはずのストラップが乗っていて、思わず指先で探ってみてもいつもの感触はない。
お礼を言うのは癪だが、ここで礼を言わないのは瀬名泉と同類ということになる。
五文字。ありがとうの五文字だけ言えばいい、と自分で声に出さず葛藤していたら、瀬名泉がこんなことを言った。

「ふうん。見た目に似合わず可愛いもの好きなんだね」

ストラップを見つめた瀬名泉は嫌味を言ったわけではなかった。
少し意外そうにしていて、悪気がない発言だということも分かった。
けれども私は顔がかあっと熱くなるのを感じ取って、彼の手から落し物を引ったくった。
そんなことを彼に言われる筋合いはない。

「可愛いものが好きで悪いですか」
「…なに怒ってんの」
「それはこっちの台詞ですよ。毎日毎日、そんなに私のことが嫌いですか?」

本当は少しだって会話したくないのに、私の口は勝手に動いていた。
瀬名泉は眉をしかめて、事もなげに言った。

「むしろ、好かれてるとでも思った?嫌いに決まってるじゃん」
「それなら私に関わらないでください。私もあなたが嫌いです!」

言ってやった。
いっそ清々しささえ感じて、私は颯爽とその場を後にしようとした。
それなのに、なぜか瀬名泉が私の手首を掴んで離さないから、言い逃げできなかった。
いよいよ反撃されるか、と振り向いてから私は目を見張った。
そもそも瀬名泉が私に触れたのはこれが初めてだと気付いたのと、彼が予想以上に子供が拗ねたような顔をしていたせいだ。

「なんか、なんでか知らないんだけどさあ」
「は?」
「あんたに嫌いって言われるとムカつくね」

ついさっき、私に嫌いと言った時は平然としていたくせに。
身勝手な意見にこちらまでムカムカしてきて、私は言い返した。

「あなた結構嫌われてるんですからね。私の友達も嫌ってましたよ」

本当はマジ理想!付き合いたい〜!などと言っていたのだけれど、これで瀬名泉が腹を立てるなら安い嘘だと思った。
しかし瀬名泉はきょとんとした様子でいる。

「だから?」

どうでもいいよと言わんばかりの態度に、今度はこちらが呆ける番だった。
どうしてさっきみたいに傷ついた顔をしないのか。
私は瀬名泉を懲らしめたくて続けて言う。

「私の母もあなたのこと嫌ってました。無愛想だって」

本当は、彼氏作るならあんな子にしなさいよと言われたがそんなことはお構いなしだ。
今まで嫌がらせされた分、私は仕返しをしたいのだ。

「だから何?関係ないでしょ、俺はあんただけにムカつくの」

私は、何度かまばたきをした。
「あんただけ」なんて言葉を初めて人から言われた。
昔から特別なものを避けてきた私には縁のない言葉だった。
私の手首は未だ強く掴まれている。
瀬名泉の頬が、自分の言葉を思い返したようにわずかに赤くなっている。
ああ逃げ出したい。
私は誰かの、ましてや瀬名泉の特別なんて欲しくないのだ。

20150712
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