世の中にはひっそりと日常に紛れ込んでいる不思議なことがある。
そんな風に自覚する出来事が、つい最近、あった。

駅から自宅への帰り道に、地元の人でなければ見逃してしまいそうなささやかな路地裏がある。
あちこちから草木が無造作に飛び出し、人が歩きにくいその道は、もっぱら猫たちの通り道になっている。
私は通りがけに、いつもその路地裏を覗き込んだ。
黒猫が細い道をよぎったり。
金茶の猫が丸まって昼寝をしていたり。
ぶち猫がどこかで恵まれた餌にありついていたり。
そこは猫の巣窟であり、猫たちを「路地裏の猫」と称するより、その場所を「猫の路地裏」と呼んだ方が正しいような気がしていた。

ある日、猫の路地裏を覗き込んだ私は、普段と違う光景にふと足を止めた。
人が入るのは珍しい、そんな路地裏に男の子が立っている。
こちらから見ると斜め後ろの姿だから判別するのは難しいが、高校三年生の私よりも年下に見える。
中学三年生か高校一年生といったところだろうか。
それにしてもこんな薄暗い場所で何を、そう思った時だった。

彼の肩から、常に食い意地の張っている見慣れたぶち猫が顔を覗かせた。
とても驚いた。
私だって、猫が好きでなければ毎日のようにこの路地裏を見つめたりしない。
こんなにいるなら一匹くらい、と触れ合いを求めて近寄ったことだってある。
けれど猫たちは一様につれなく、特にぶちのヤツは警戒心が強く、私どころか食事を与える以外の人間そのものを嫌っているような節さえあった。
そのぶち猫が、あの男の子には大人しく抱かれている。
信じられない光景だった。
凝視していた私の視線と、ぶちの視線が交わる。

「す、すご、あっ」

すごい、とすら言わせてくれなかった。
私と目が合った途端、ぶち猫は男の子の腕をすり抜け、一目散に駆けていって見えなくなった。
中途半端に声を上げた私のことを、身軽になった彼が振り返る。
少し、どきっとした。
そのオレンジより赤に近い瞳は、優しそうでもなく、動物好きという風にも見えなかったからだ。

「ご、ごめん。猫逃がしちゃって」

その雰囲気に気圧されたこともあり、初対面だというのに謝った。
私なら、猫と仲良く触れ合っているところを見られたり、邪魔されたりしたらいい気分にはならない。
だから申し訳ないと感じたのだ。

「別に」

予想通り、乾いた返答が短く返ってきた。
ただ、彼は私に限ってそっけないのではなく、誰に対してもそうなんだろうなと窺わせる、無気力な返事だった。

「勝手に寄ってくるんだ」

言ってみたい。そんな台詞。
まず最初にそう思った。
モテる男がモテたくないと言い張るのに近いものを感じて地団駄を踏みたくなる。
しかし、彼は本当にどうでも良さそうに見えるので、きっと素直な本音なのだろう。

「あんた猫が好きなのか」
「えっ、あっ、うん。好き」
「ふーん」

まさか見知らぬ相手と会話が続くと思わなかったので、たくさん言葉に詰まった。
彼は尋ねたくせに、やっぱりどうでも良さそうだった。
そして暫しの沈黙。
彼は何をするでもなく、路地裏に突っ立っている。

「あの…帰らないの?」

余計なお世話だとは思いつつ、尋ねてしまう。
彼がこの場に留まっている理由が分からず、私もなんとなく黙ってこの場を去るのは違う気がした。
彼は初めて訝しそうに眉を寄せ、首を傾げた。

「帰るって、どこに」
「きみの家だよ」
「家なんてない」
「えっ」

短い応酬に聞き捨てならないものがあり、思わず大きな声を上げる。
初めて見た時から素行不良な感じはしたけれど、まさか本物の家出少年だったりするのだろうか。
特徴を覚えておいて交番に連絡した方が、なんて考えていたら、目の前に誰のものか知らない身体が迫っていた。
すぐそばに立たれている。
誰に?さっきの男の子に。
でも、足音がしなかった、ような。

「あんた、俺を連れて帰るか?」

突拍子もない発言だと思った。
私を見下ろす赤い瞳は相変わらず突き放したような目つきをしているが、なぜか先ほどより怖くないと感じた。
ただ、その一言に安易に頷けるほど私の頭は理解が早くなかった。

「しないよ。…そんなことは」
「…そうか」

だってよく知らない人なのに。
初めて会ったのに。
言いたいことは尽きなかったけれど、彼がすぐに返事をしたので言う暇はなかった。
彼は落胆した様子もなく、それが当たり前だという顔で踵を返し、路地裏の奥へ消えていった。
その間際、なぜだろう。
それまで一匹狼っぽいなという印象だった彼が、そっけなく、跡も残さず、悠然と去る様を見て。
どうしようもなく野良猫のように見えたのだった。

それ以来、何度路地裏を覗いてみても、男の子が立っていることはなかった。
ひとつ変化があるとすれば、常に昼寝をしている金茶の猫が少しだけ私に懐いた。
昼寝のさなか、とてつもなく偉そうに腹を出して撫でさせてくれるのを、懐いたと言っていいのかは微妙なところだけれど。

「あの男の子、どこ行ったんだろうねえ。家には帰れたかな」

そんなことを、私は毎日猫に向かって話しかけてしまう。

20150616
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