「あるじ」 いつだって彼は眩しい笑顔を浮かべるものだったけれど、今日は特にその瞳が輝いて見えた。 主とは呼ぶものの、私のことを通行人みたいに気安く呼び止めるのは、この本丸において鯰尾くらいのものである。 「どうしたの、鯰尾」 尋ね返すと、彼はにこにことしていた表情をすっと真顔に戻し、その場で静かに跪いた。 とても彼らしくない所作に私は目を丸くするが、鯰尾の整った容姿にその仕草は様になっていた。 「主、ずっとお慕いしておりました」 鯰尾の口から零れ出た言葉に、私が耳を疑ったのも無理はない。 その内容が、というよりも床に膝をついた姿勢だったり慇懃な口調だったり、およそ普段の彼とはかけ離れた動作に驚いたのである。 いたずらか誰かの入れ知恵か、と私は頭を巡らす。 そういえば、今日は四月一日。 鶴丸がやたらと機嫌良く、「いやあ、明日が楽しみだな!」と繰り返していたのが昨日の出来事である。 どこからエイプリルフールという現代知識を得たのかは知らないが、朝から様々な嘘で本丸をどっきりパーティーに仕立て上げたのが驚き大好きの彼だったということは事実だ。 今はその騒ぎがようやく落ち着いてきた昼過ぎで、もう鶴丸もなりを潜めた頃だと思っていた。 ところが、今になって鯰尾が私を驚かせるようなことを言う。 日常的に鶴丸のいたずらや驚かしに協力している鯰尾のことを思えば、私は呆れた笑顔しかできなかった。 「もう、またエイプリルフール?今度は鯰尾の番なのね」 私が返した言葉に、まず彼はきょとんとした。 見上げる形でそんな顔をされて、私までつられて首を傾げる。 「えい…?何ですか、それ」 「え、知らないの?昨日から鶴丸が騒いでたじゃない」 「あー、あれですか」 てっきり鶴丸の提案で奇行に走ったと思っていたのだが、不思議そうな鯰尾の顔はそれこそ嘘をついているようには見えない。 エイプリルフールのことも初めて聞いたという感じだ。 そこで私は、一年に一度嘘をついても良い日のことを鯰尾に教えてあげた。 彼はこの不可思議な風習に「ふーん」と興味なさそうに頷き、すっと立ち上がった。 「一年に一日しか嘘をつけないなんて、不便ですねえ」 それじゃあ他の日はどうするんですか?と、鯰尾は難しい顔をして言う。 実際、四月一日にしか嘘をつかない人なんていないも同然で、最近では便乗する人々により少しイベントめいた扱いをされている日だと思う。 鯰尾の言うことも最もだ、と感じたところで。 私ははたと気付く。 「…さっきの台詞」 「はい?」 「エイプリルフールは関係ないってこと?」 嘘のような幻のような、あの誓いが本当なのだとしたら困る。 困るといっても、具体的に嫌な気持ちがあるのではなく、私は目の前の鯰尾に対してどうすればいいのか分からなくなるのだ。 鯰尾は質問には答えず、首を少し傾ける。 「こういう台詞は、へし切長谷部やいち兄の方が似合うんでしょうけど」 忠臣らしい面子を挙げる鯰尾に、私は素直に頷けなかった。 彼らは忠臣であるがゆえに、私情を挟んだ台詞をひとつだって口にしない。 それが彼らなりの忠義なのだろう。 私があいまいな反応を見せるからか、鯰尾は確信めいた口調で言う。 「口にしたのは俺が初めてですか?」 それは問いかけというより確認に近いものだった。 ふふーん、とどこか得意げに笑みを浮かべる鯰尾は、今日もきらきらと眩しい。 そう、いつだって私は彼が特別に見えていたのに。 はっきりとした言葉をもらうまで気付かないふりをしていた。 それにしたって紛らわしい。 知らなかったとしても、エイプリルフールという日に言われては嘘かと思い込んでしまう。 「どうして、このタイミングだったの」 もごもごと尋ねると、鯰尾は当たり前のように答えた。 「なんで今日なのかって?すごく天気が良くて、みんなが本丸にいて、主が隣にいたから好いていると言いたくなった。それじゃあ駄目ですか?」 別に、駄目じゃない。 私がそっぽを向いて答えても、鯰尾は追いかけるみたく顔を覗き込んでくるから距離は縮まる一方だ。 さすがに気恥ずかしくなって彼の肩を押し返すと、普段じゃれあう時みたく楽しそうな声を上げられる。 「ねえ、嘘の方が良かったですか?」 いたずらっ子みたいな笑顔は、時によって本丸にいる誰より幼く見えることがある。 それでも彼は経歴でいうと人間の私よりずっと年を多く重ねているのだ。 そんな彼が人の身を得て、私に好意をぶつけてくる。 なんだか夢物語のような話だ。 「意地悪なこと言うのね」 「主に似たんですよぉ」 生意気な口を利くので、その頬を軽くつねってやった。 柔らかく、温かい。 痛いです痛いです、と慌てふためく姿はまさに人間そのもの、だけれど。 私はいつの間にか手のひらをそうっと開いて、彼の頬に当てていた。 尊い温度。 「主、泣きそうですね」とは、言わないでほしかった。 20150428 |