夕焼けがきれいに教室を満たす頃、いつものように「帰るぞ」とかっちゃんが言ったので私は鞄を肩にかけた。 彼について行けるよう、少し大きめの歩幅で、歩く。 雄英高校の敷地は広い。校門までに様々な建物や施設を目にする。 帰り際、必ず横目に見えるのが、主にサポート科が使用するプールである。 ヒーロー科とは縁がないよなぁと毎回ぼんやり眺めていたのだけれど、今日はかっちゃんがプールの前でぴたりと立ち止まった。 「かっちゃん?」 私の呼びかけにも応えないまま、彼はずんずんとプールの施設内に入っていく。 よく使われるからか、鍵は掛かっていなかった。 彼からの返事がなくとも私はかっちゃんを置いていったり無視したりできないので、慌てて後を追いかける。 土足のまま更衣室もシャワールームも通り過ぎ、かっちゃんはプールサイドに立っていた。 水面がゆらゆらと陽射しを反射している。 「お前、水難のゾーンで足引っ張ったんだって?」 ようやく開かれた口からこぼれた言葉に、私は身を固くせざるを得ない。 かっちゃんが言っているのは、この前の救助訓練授業のことだ。 あの日は敵の侵入があってただの授業ではなくなってしまったけれど、私が落とされた水難ゾーンと私の個性は相性が悪かった。 「…だって、私泳げないから」 私が持つ爆炎系の個性は、かっちゃんのものより随分と威力が劣り、ましてや範囲でも轟くんのような人に敵う代物ではない。 自分ではなんとかヒーロー科に入れた程度、と認識している個性はやはり四歳になる少し前に発現した。 それまではかっちゃんや周りの子と一緒に川に飛び込むこともあったのに、個性の発現以来、私は泳げなくなってしまった。 正確に言うなら水が怖くなってしまったのだけれど、振り向いたかっちゃんは私の言い分が気に入らないらしい。 「昔は平気だったろーが」 「昔はね」 「デクなんかに助けられやがってよぉ」 彼が苛ついている最大の要因はそこらしい。 本当は出久くんではなく梅雨ちゃんに助けてもらったのだけれど、彼の怒りを買わないために口答えはしない。 でも、彼の言い分も分かるのだ。 かっちゃんの個性も決して水とは相性が良くない。 けれど、彼は個性が発現しても泳げない体にはならなかった。 泳げない私に疑問を持つのも当然だ。 私を見る目がじとっと細まる。 「要するに、お前に根性が足りないのは分かった」 「え」 逆光になっていてよく見えないが、かっちゃんが不敵な笑みを浮かべていることは察しがついた。 嫌な予感がする。 彼がこんな表情をした後、基本的にいいことは起こらない。 長年の勘が告げていた。 しかし、察することはできても逃げおおせられないのが私の鈍臭いところで、気付いたらかっちゃんが目の前で大きく腕を振りかぶっていた。 「ちょっと、待って、」 この人、私をプールに突き落として荒療治する気だ。 ラリアット、という言葉が頭に浮かぶ。 私の体に当たる寸前の腕にぎゅうとしがみついたのは思わず縋る思いからしてしまったものだけれど、次の瞬間には私とかっちゃん、二人揃って宙に浮いていた。 私は図らずもかっちゃんを道連れにしたのである。 ドッパーン、と。 水柱が上がる音が聞こえたのは一瞬で、あぶくが耳元を過っていく音に思考が埋め尽くされる。 とっさに目を瞑ってしまってから、開けられない。 自分がどんどん沈んでいく感覚があって必死にもがくと、ぐいと腕を引かれた。 ざぶり、と空気がある世界に戻ってきた。 「いつまで溺れてんだよ」 しかめっ面をしているかっちゃんに怒るより、むせる方が先だった。 「は、鼻に水が」と情けない声で言うと笑われる気配があった。 ツーンとした感覚と呼吸いっぱいの塩素の臭いは懐かしさすら感じる。 落ち着いてみれば、プールは足がつく水位だった。 そして、私に巻き込まれてプールに落ちたかっちゃんは思ったほど不機嫌ではなかった。 「かっちゃんは私を殺す気なの」 「このくらいで死ぬかよ」 「発想が横暴」 殴られるかと思ったけれど、いくら待っても覚悟した痛みはやって来なかった。 おそるおそる顔を上げると、かっちゃんは濡れた前髪を鬱陶しそうにかきあげていた。 服を引っ張り顔を拭おうとするから、よく鍛えられた腹筋が覗いている。 漠然と、ドキドキするとか恥ずかしいとか、そういう感情を飛び越えて寂しくなってしまった。 こんなに格好良くなっちゃって、まるで知らない人みたい。 「何見てんだよ殺すぞ」 いつものお決まりの台詞を吐いたかっちゃんは、ずぶ濡れの私を上から下までじっと眺めた。 そしておもむろに着ていたシャツを脱ぎにくそうに脱ぎ捨てると、私の顔に向けて投げつけた。 なんだなんだと思っていると、舌打ちがひとつ。 「それ着てろ」 ああ、気を遣ってくれたのかとようやく思い当たる。 目のやり場に困ったように、くるりと踵を返したかっちゃんはざぶざぶとプールの水をかき分けて歩いていく。 私に上着を貸した彼は黒のタンクトップ一枚だから少し寒そうに見える。 「あ、かっちゃん。そっち行ったら足つかなくなっちゃう」 かっちゃんは目についた梯子からプールサイドに上がろうとしたらしい。 ただ、彼が目指した梯子はずいぶんと奥にあって、プールというものは奥に向かうにつれて深くなるように出来ている。 かっちゃんの背丈では梯子まで歩けても、私が進んでいったらぶくぶくと沈んでしまうだろう。 プールの真ん中に取り残されたくなくて呼び止めたら、彼は止まってくれた。 はあ、というため息が聞こえてきて、かっちゃんがまたざぶざぶと戻ってくるのは早かった。 私の目の前までやってくると、彼は突然ざぶんと水に沈んだ。 え、と思う間もなく肩と膝の裏へ腕を回される感覚があって、私は軽々と抱きかかえられたのだった。 さっき水に潜ったのは私を抱えるために屈んだのだと気付き、一気に申し訳なくなる。 「い、いいよ。降ろしてよ。歩けるから」 「お前のこと待ってんのだりい。動くな」 命令されれば逆らえないのが私と彼の関係の常で、大人しくしているしかなくなった。 ついさっき水に潜ったかっちゃんの髪先からぽたぽたと、絶え間なく水滴が私へ降り注ぐ。 まるで泣いているみたいだ。 思いついた表現は、きっと本人に伝えてはならない。 伸ばした手のひらで頬を拭ってやると、犬のようにぶるるっと顔を振っていた。 水滴は落ちてくるたび、夕陽を取り込んできらきら光る。 「くそ重い」 「えっ、嘘だぁ」 服が濡れて重たいな、と思った途端にかっちゃんがそんなことを言った。 自信を持って否定したというよりは、彼の感想を信じたくなくて大声を出す。 確かに、高校に上がって初めての身体測定でちょっぴり重くなっていたけれど。 それは身長が伸びたからだと思いたい。 私よりずっと背が高くて力の強いかっちゃんに言われたら本当に重いということになってしまうから、ハラハラしながら返答を待つ。 「ああ、嘘だよ。よくわかったな」 意地悪で楽しそうな顔をされると、私はかっちゃんに敵わない。 普段でさえ勝とうとも思わないのに、水の中で私を抱きかかえて笑う、そんな彼はもう私にとって絶対だ。 なんて素敵な男の子なんだろう。 気遣うというよりは触れたいという思いで指先を伸ばす。 君はどんな風に応えてくれるだろうか。 20150420 Happy Birthday Katsuki Bakugo!! |