犬飼が私に会いに来た。
らしくもない優しい顔をして、その手に花束を持って。
しばらく会っていなかったからだろうか。
ずいぶん大人びて見える表情に、私は唇を引き結んで手のひらを握りしめた。

「久しぶりだな。あまり時間作ってやれなくて悪い」

見当違いの謝罪をする犬飼に、私は顔をしかめた。
それが予測できていたかのように曖昧な笑みを浮かべた彼は、手にしていた紙袋を乱雑に漁り、何かを取り出した。
私の目の前に差し出されたのは、私が大好きなお菓子だった。
機嫌取りの方法が昔から変わらない。
くれるなら、もらっておくけれど。

「あんまり怒るなよ。こっちもなかなか忙しいんだ」

分かってるよ。
この間会ったときは狙ってた会社から内定もらったって自慢話してたじゃない。
就職のごたごたで放っておかれて拗ねるほど単純な女ではないのに。
もっと他に、大切なことがあるでしょう。
目線を合わせるように屈み込んだ犬飼を見つめた。

「ようやく一人暮らしも落ち着いてきた。思ってたよりも大変だな」

一人暮らしが大変なのは当たり前だと胸を張る私の一方で、犬飼が眉を下げて笑う。
疲れているんだろうな。
その短い髪を軽く手のひらで撫でやっても、犬飼はうつむいたまま顔を上げなかった。

「なあ、一緒に暮らさないか」

だから、地に落ちてあまり響かなかった犬飼の言葉に思わず目を見張った。
気を抜いたように深く息を吐き出した彼の肩が上下する。
その肩に伸ばした手は無意識のうちに震えていた。
静かにあてがった手のひらに力をこめて押してみても、びくともしなかった。
男の人の、力強い肩をしている。

「……ようやく言えた」

ふと顔を上げた犬飼が泣きそうな顔をしていた。
それより早く涙があふれて止まらなかった私は、指先で何度も目尻をぬぐった。
ただ嬉しいわけじゃない、複雑な感情が押し寄せて、犬飼に身を預けて思いきり泣いてしまいたい気持ちになる。

「それなのに、どうしてお前は隣にいないんだ」

両手で顔を覆ったまま、その乾いた声を聞いた。
涙をこらえて見れば、犬飼は悔しそうに唇を噛んでいた。
私と同じくらい、彼にも言いたいことが山ほどあるのだろう。

「この前、弓道部の奴らと会ってきたんだ。金久保先輩、宮地、夜久、木ノ瀬、白鳥、小熊…あいつら何も変わってなかったよ。何も変わってないんだ。それなのにお前だけなんて不公平だろ」

犬飼が伸ばした手のひらは、私をすり抜けて黒く冷たい石を撫でた。
私の名字が刻まれている墓石。
いつかは犬飼と同じになっていたかもしれない名字は生まれた時と変わらないまま、終わってしまった。
本当に、嫌というほど分かっている。
この世の何物にも干渉できないほどの脆弱な存在になってしまったこと。
それでも犬飼が会いに来てくれれば、死してなおこの胸が恋しさに疼く。
何の意味もなく、触れても犬飼はその目に私を映してはくれないのに。

「今度はみんなで揃って墓参り、来るってさ」

いいよ。いらない。
首を振ってみても、犬飼は優しく笑うばかりだ。
犬飼は笑って来てくれるけれど、みんなはきっとそうじゃない。
白鳥くんはきっと泣くんでしょう。たぶん、月子ちゃんも。
眉を寄せて俯きがちになるみんなの悲しそうな顔は見たくない。
私がそんな顔をさせたと思いたくない。
そのなかで一人、笑っていながら誰より深く悲しむ犬飼を見てしまったら、私はどうにかなってしまいそうだ。

「また会いにくるから」

本当なら、犬飼にだってあまりここに来てほしくない。
彼以外にまったく人が訪れないわけでもないし、この身で何かを望むような資格はないと思っていた。
それでも犬飼が来れば私は拒否しなくてはと思う反面、彼が好きだという感情を捨てきれずにいる。
私が未練がましく出迎えるから彼も引き寄せられてやって来るのではないかと、有り得もしない空想めいたことまで心配してしまう。
だって、犬飼はまるで私がまだここにいるみたいに優しい。
こんな状態の私の願いさえ叶えてしまいそうに、たやすく笑う。
お前の小さなわがままなんて何でも叶えてやると豪語した犬飼を笑った、昔の私の姿が頭を過ぎった。
世界に不幸があるなんて考えもしなかった、満面の笑顔。

「名前」

立ち上がる間際にぽつり、犬飼がつぶやいた。
久しぶりに名前を呼ばれた。
ここであれこれと話をしていくような物好きは犬飼くらいだから。
懐かしい響きに頬を緩ませかけて、やめた。
逡巡したように口を開いて閉じて、最終的に犬飼はうめくように言葉を零した。

「俺は今でもお前が好きだ。たぶん、これからも」

真正面からこちらを見据えた彼を、大声で叱咤したい気分だった。
情けない顔をしないでよ。
もう、いい加減忘れてよ。
あなたはこんなうら寂しい墓地に一人で佇んでいるような人じゃないでしょ。
どうして前を向いてくれないの。
一人で歩き出してくれないの。
昔みたいに、心の底から笑ってよ。
眼鏡の奥で細められた瞳に私は嗚咽をあげる。
音にならないそれは生ぬるい風が吹いて遠くへ運んでいった。

20130824
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